精神のある部分は音のない絶叫を絶やさず、またある部分は、線路のために盛り上げられた土手の横腹から出ている排水パイプの真下で腐って死んでいた名も知らぬ魚のようだった。なんだか覚えているあれは、いつのものだったか考えた。去年だか一昨年だかの春頃、人の手伝いで埼玉あたりに行った時のそれだ。ちいさな家庭農園がへばりついている景色の中で、突然死体がぽかりと現れたので、頭に刻まれている。だからまとまった思考がない。ポテチを粉々に砕いて、無策に力任せに開けた後みたいだ。やっぱり、私の発作は秋冬に出るのだろうか。そうなのだろうか。それならやっぱり私は冬はきらいだ。