他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

越境

人に会った。酒を飲んでほどほどに酩酊していた。酩酊という漢字を今打ってみると、ちょうどあのくらいが酩酊かもしれない。ふにゃふにゃして、時々話を聞いていない。なぜか左手親指の中ほどを切っている。鋭利なものを取り回した覚えはないが、iPadを開く時、キーボードの端っこで切り裂いた可能性がある。ほどほどに鋭いので。唐辛子が成っているところを考えたことがなかったが、地産市に行ったら、しゅっと伸びた(想像より)ぶっとい枝の先に鈴なりであって、あぁ、こうなんだと思った。思ったよりずいきはでかかったし、赤ちゃんやそれよりでかい冬瓜もあった。食い物を見る分には想像したりして時間が潰せるが、アパレル店に放り出されたら私は退屈で捻じ切れるだろう。文脈なり、背景に知識あるいは想像が及ぶから鑑賞できるのであって、丸裸の視線は跳ね返されるのみだ。環境保護を訴える団体が芸術品をもってして行った抗議運動もそうだった。解説してくれている人のツイートを読んでコンテクストが分かり、村上隆がやっていることがまさにそうだったと思い出し、今の短絡的というか、ただ反射的であるだけで内省のない日本人には、アートは無理だろうと思わないではいられなかった。あれはそう、文字にそのままハイコンテクストだった。背いもそんなに高くないのだから、背伸びして無理することはない。どうしても参画したければ、欧米人になるしかない。ああ、私が今まで見てきたあれこれと同じなんだな。世界が違うのだから、割り込むには同じルールで、つまり向こうの人になるしかない。