他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

超駆動痩身

日曜日あたりに、移動中マキシマム ザ ホルモン(ちゃんと両脇に半角スペースを入れた)を久しぶりに聞いてみたら、マキシマムザ亮君の歌詞はいいなとの感を新たにした。歌詞がメロディーに対してパンパンで、みちみちに詰まっていて、歌詞カードを見ないとほとんど耳で読解不能でありながら、テーマから溢れ出す質・量共にもりもりであり、これは余人の及ばぬ単独峰よなあ、と思う。自分でだいたいなんでもやってしまう、という、私が好きになりがちな人の癖もあるし。雨が降っている日だった。なんでもない天気であれば、前回の買い物できのこを買い忘れたり、そもそも野菜が尽きてきたのもあって、買い物にでも出かけようかと考えていたのだが、途中、雨が波となって街をざぶざぶ洗う音まで聞こえてきたものだから、これはちょっと堪忍やで、と外出を控えた。雨は、本当に、屋外へ向けてのバイタリティを低下させるのですごいと思う。雨が嫌すぎて、傘を使った最近の記憶がない。雨の中出かけて行くくらいならば、予定を翌日に繰り延べる。靴がそろそろ買い替えの時期な気がしてきたが、下着もそうだけれど、サイズを控えていないので、いつも、サイズが分からないならいいか、とめんどくさくなって買いに行く日がずるずると後ろにずれていく。親父は背が高くて足もでかかったが、私は背は大して伸びなかったが足は同じくらいの大きさになった。今の、さして高くもない身長で頭打ちになる前に蒸発されたから、今、実際に向き合うと、どれくらい見上げるようなのか、そういえば分からない。そんな事、そういえば考えた事もなかったな。精神的な体験を喪失したとばかり思っていたが、そういう、肉体的な経験の可能性も同時に失っていたのだな。そうか。変な事を考えたものだ。頭のいい人にものを教えるというのは、楽でもあり、苦でもある。目から鼻への通りがいいので、ある程度説明を尽くせば、あとは頭の中で勝手にかんかんかんと理屈が噛み合って理解が果たされるというのもあるし(噛み合った音がするというのと実際に理解し運用できるというのもまた別なので難しいけれども)、下手な説明をすれば健全な成長を阻害するかもしれないと思って丁寧な植生、舗装を心がけ、ここまで言っていいのかな、別にいいかな、という取捨選択の妙味もあり。私のような半端物を踏み台にして、将来の傑物が世に出ていくのであれば、私の時間など、いくらでも持って行ってほしいと思う。レティクル座妄想の『轍』、朗読箇所のように。