他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

かね

売文業という言葉を思い出していた。ばいぶんぎょうで一発変換できなかったので、Macこの野郎と思った。機械に野郎も何もないのだけど。金をもらえるほどの文章とは、一体どれくらいのものなのだろうか。検索して、思い出したという感触さえなかったので不明を恥じるべきなのだろうが、深代淳郎の本は読んだことがあり、これはすげえと当時の私はびっくりした。蓮實重彦の、日本語か何かをテーマとした単行本を読んだ時も、立派な文章である、立派! と思った記憶がある。帰省するたびに中国新聞一面のコラム天風録を読み、相変わらずつまんねえなと残念な確認を繰り返している。金をもらえる文章の規範を、同時代に求めるのは不可能なのか。金が欲しい文章ではなく、金を払ってもらえる文章のそれを。看板の立派なビジネス誌やウェブサイトも、文章という点で見れば取るに足りない、その手間をかけることさえ恥ずかしくなるほどのものが載っているのだから、とりあえず日本では、文章は金に隷属していると言いたくなる。