他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

白いけど白くないシチュー

調味済みシマチョウを炒めて食った後、フライパンを洗い場に突っ込んでお湯の蛇口をひねった。コンパネを確認すると、そもそも給湯器がONではなかった。迸ったのはかじかむような水。3、4ミリ程度も浮いた、どろどろした良くなさそうな脂へ血気盛んに冷水が飛び込んでいき、一瞬で脂を冷やし、溶岩に水をぶっかけたようになった。脂の珊瑚みたいな、瞬間的な造形をしたオレンジ色の固体がごろりとフライパンから溢れた。脂と、調味成分の色とか色々のコングロマリット。ただただ生物として不快だった。これをそのまま、ものぐさに流しにポイしてしまうのはやばいと思ったので、ラップを広げて凝固したそれらをこそいで燃えるゴミとして廃棄した。まあ、あんなもんが身体にいいわけないわな。何かどこか惹かれるものがあって、椎茸を買った。軸のほっそい貧弱なやつだが。今日は調子が悪かった。特に。頭の中のホワイトノイズと、それに関係ない内部的な律の混乱で、2割程度の吐き気がつきまとってきた。最後にゲロを吐いたのはいつだっただろうか。小さい頃は、バイキング形式の店や、ふとした事で戻していたらしい。食道をせり上がり一線を超えるほどに食べないのは、その経験を母から聞かされていたせいだろうか。世の中にはゲロを嗜好とする向きもある。泣いたのと同じくらい思い出せない。吐いてないのか。酒も飲まんしな。開けてからの日数を忘れた牛乳を捨てた。さすがに中身は凝固していなかった。たまに、どっ、ぷん、とゆっくりしたリズムを刻んでコップに落ち込むようなカタマリ方をして痛む事がある。痛む、というか。変色したりカビたりといった痛み方は「痛む」でいいと思うのだが、匂いが変わっても外見は変わらない場合も痛む、である。痛んでいるのか? 心がしくしくと疼く時も、心が痛む。頭痛は見えない。痛感する時の感覚もインビジブルなものだ。痛む、でいいのか。どうしても、外傷のような直接的なものを期待してしまう。久しぶりにIllustratorを触ったら、ツールやら何やらが進歩していて、使いやすいやんけと思った。三角形の頂点にあるアンカーポイントにちょうど連なるように線を引っ張れたり、キャンバス内の相互ガイドがあれだったり。道具は素晴らしく進化しているが、私は言いたい事や表現したい事がない。人知れず倒れた木が倒れていないのと同じで。この前、図書館で開いた週間読書人の見開きだけで2つも「待望の文庫化!」の文字があって、食傷が流れた。主語を書き出すのは難しい?