私の思考の傾向は連想ゲームであり、飛び石であり、分析とか研究とかその手のものではない。桃と一緒だ。すぐ傷むので、さっさと次に行ってしまうという意味である。相変わらずめたくそに眠いのは眠いのだが、眠気の色が変わったと感じる。暖色系になった。それで楽になるわけではないのだが。眠いし首が痛い。
根こぎ
随分とあったかいというか暑い日で、うっかり生物(なまもの)を室温で置いておくとダメになりそうなほどだった。室温で、炊いたご飯をほっといても大丈夫じゃなさそうになると、季節が変わったなあと思う。その念をついでに強くするのは、買ったことを忘れていたじゃがいもたちから、腰の座ったずくずくとした芽が出ていたのもある。水溜りに船を浮かべる時、どれくらいの大きさから狭いと感じるのだろうか。
守れない壁
用があったので、普段行かない駅から帰った。駅前ロータリーの、なんでそんなところで酒盛りしてるねん、という若者の集団がいて、地べたに汚く座ったコア部分の振る舞いが幼稚で酷く、ゴミを積んでそのままにしており、ああ、こいつらはこれを放って帰るんだろうなあと思わざるを得なかった。公徳心とまで大きく踏み出さないにしても、ゴミをポイ捨てしない(ポイ捨てではなくめちゃくちゃ前のめりに捨てていたわけだが)だけのことがそんなに難しいのか。タバコの吸い殻を恥ずかしげもなくポイッとする大人もそうだが、どうしたらそうなるのだろうか。振り返ると、しょうもない半畳ばかり入れていた。しかし、思いついたら言いたくなる。明日の朝、汚い駅前であろうことを想像すると、あんまり関係ないのだが後ろ向きな気持ちになる。
傍白
10年くらい前に自分が書いた記事のpdfがふとしたことで目に留まり、「うお……」と思った。「き、きっつ……」と思った。なぜそういう文体なのか、なぜそういうテンションなのかは、自分のことなので文脈から想像してみればまあおおよそ分かるのだが、それにしても時代を振り返ってみるとうお……きつ……と思うことを避けられないのは確かである。頭が熱くなるというか、胸の辺りがぎゅっと苦しくなった。うおお。そういう意味では、私の内的ワードプロセッサは、開高健を読んだ前後である程度トーンダウンしているらしい。スキップみたいな文章は、わざわざ書くぞ書くぞ、書くったら書くぞルルルンと、わざとらしい助走をつけなければ出てこなくなった。いや、文章とはなべてそんなもんかもしれないが。あまりにぼよぼよの一日を過ごしてしまい、それはそれとして自責の念がひとつまみも湧いてこないので、全く困ったやつである。
放物線消失
本を読んで、おもしろ……と思った以外に、取り立てて記憶がない。その経験さえも、今振り返るとホンマか? と思ってしまうので、ぐじゅぐじゅの玉ねぎみたいだ。この前腐った玉ねぎを捨てたが、腐った玉ねぎはいつ見ても気持ちの良いものではない。色の悪い油粘土みたいな色になる。臭いし。カブが安かったのか、普段買わないからもしかしたらそんなに安くなかったのかもしれないが、ともかく買ったので、コンソメで煮た。また圧力鍋を使ってしまった。煮物のことがたまらなく好きだ。前にカブを食ったのがいつか覚えていないが、スーパー店頭で見た瞬間に、ああ、こいつはあれやらんあかんな、と頭に閃いたのだった。そんなに食ったことないはずなのだが。茎のところまで全部放り込んだ。圧力鍋に入れればおよそ大体全部食えるのだから。余っていたというか、使うのを忘れていた椎茸も全部入れた。いい感じにできた。圧力鍋で2、3食分を一気に作り、数日の間それをもそもそ食う、というサイクルができてきた。いいのかどうか分からない。しかし、煮物が好きという欲動には逆らえないのである。
腕を広げて
大変よろしく晴れたのでシーツを干した。これで今夜はよう寝れるで、いや、よう寝れんと困るな、最近寝つき悪いし、と思った。家に帰ったら、前の道路脇に掛け布団のシーツが丸まって落ちていた。なぜ。ハンガーとピンチハンガーの二重留めで干していたはずなのだが、なぜ柵を飛び越えて、まだ見ぬ世界へ乗り出そうとしているのだ。他の洗濯物も数点落下し、物干し竿の直下でうずくまっていたため、いい感じに強烈な風が吹き、入り組んだ住宅街、ちょうど建物の裏手となるくぼんだ箇所、いくつかの要因が作用した結果、ぽんと飛んで、公道に吹っ飛んだと推測される。脇に丸まっていたのは、もしかすると、道のど真ん中に広がって吹っ飛んで、やさしい近隣住民がよけておいてくれたのかもしれない。たまたまそうなっただけかもしれない。どちらかを選ぶなら、世界がステキに見える方を選びたいではないか。明日は毛布を洗いたい。
大所有
びたびたの雨が降っていたはずなのだが、手が非常に乾燥している。季節の変わり目なのでお肌が曲がり角を曲がっているのだろうか。狭い道が多いのでビル風が強烈で、目の前で少なくとも2本のビニール傘が破壊されていた。あるおっちゃんは傘がめちゃくちゃになり、帽子が吹っ飛ばされてびちょびちょになりと可哀想だった。ぶっ壊れたビニール傘を路上に捨てる無責任な大人にはなりたくないものである。明日道を歩くと3本はあると思う。私の家の近所は程度が低いので。日本人は礼儀正しく、街は綺麗だというのは甚だしい幻想である。幻想になったのは何のせいなのか知らないが。貧すれば鈍する、は言葉少なにして含むところが多い。鈍くなっているのは私もだ。どんどんとろけていく。うああ。
派生異物
米を買った。持ってきてもらった。今までもらったことのなかった領収書が入っていた。私用なので、まあレシートと思えばいいのだろうが。はっきりしないぼやぼやした天気で、雨が降ったんだか降ってないんだかな感じだったと思う。見てないので分からない。本当にやることがないというか、ぼろぼろ、おえっと込み上げてくるものがないので、スーパーの呼び込みくんとか、ケータイショップの店頭で誰の相手をするでもなく存在が滑り散らかしているペッパーくんとかの方が益のある存在である。どう……どうすればいいのかと思うのをどうすればいいんだろうか。
板線路
買ったけど読んでいない本と、読みかけなのを忘れて放っている本が、机周り、枕元に散らかっていることを思い出した。そこにあることに慣れると、どういう意味合い文脈でもってそいつらがそこにいるのかを忘れるので、こういうことになる。しばらく頭が肩に埋まるような天気で洗濯物がずっと湿っていたけれども、今日はなんとかそれらしく晴れたので、ハンガーにかかって3日目くらいに突入する洗濯物がやっと乾いた。明日は早めに起きてシーツを洗いたい。特に目標がない。
あっち向いてにゃーん
桜が咲き、おそらく満開と言ってもいいほどで、うすらピンクの白い花びらがぶんぶんと咲き誇っていたが、どうにも天気が悪く、冷たい空気とげんなりした空の色が後ろに透けて、まるで後ろに血管が見えるようだった。雀が枝を飛び回るのにあわせて、花が根本からぼたりぼたりと落ちる。公園に降り注いだ花びらは、近くの作業場のおっちゃんがウインドブロワーで集めて捨てていた。木についているうちはそれこそ「花」だが、地面に落ちるとゴミになる。毛髪や唾液と同じものを感じる。梅も勢いづいて盛っていた。白い方は好きだが、桃色の方は色味が強くて見ていると疲れる。明日明後日晴れなければ、今年はまともな花見のタイミングがないまま、花びらの絨毯の上で葉っぱを見ながらぼーっとすることになるだろう。寒い公園のベンチで、電話をかけながらぼーっと桜を見上げている人がいた。あれは花見なのだろうか。
sambar
特に書くことを思いつかない。やろうと思っていたことがあったのを思い出したが、そう急ぎではない。そんなことを言っていたらいつまでもやらないだろうが。身体が文章を探しているが、何によってそれが満たされるのか分からない。左手がえらく乾燥している。生きるのがもう少し上手ければなあ、と思う。