他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

人の心にナメクジの通った跡を残す系

雪寄りの雪っぽい水分が降っていた。風雨風雪のいきれを自転車で駆け抜けた経験のある身からすれば、あとまともなドカ雪を目にした経験に照らしてみればハナクソみたいな雪ではあったが、東京で雪というのは一大イベントである。ここで言うイベントとは事態の生起を表す程度のイベントであって、祭典的な楽しげなアレではない。着陸する前からびちゃびちゃになってアスファルトを汚損していた。地域によってはひどい所もあったらしく、ラジオで聞きその音を私の脳みそが頭の中で再構成したところによれば、高速道路の一部区間で時速30キロの制限がかかっていたらしい。そんなもん高速道路じゃない。一般道の方が速い。ひょっとすると調子のいい自転車の方がよっぽど速い。傘をさすのが面倒だったのでパーカーのフードをかぶっただけで外気に露出した。雪としての形を残したまま布の上に留まるタイプのフレークではなく、ものに付着したそばからだらしなく溶解する一番厄介なタイプのフレークだった。キンキンに凍てついた空気の中を迸る雪は、服についてもぱしぱし叩き落せばそれほど濡れないのだが、このどうしようもない自我不定形なふにゃ雪は、手で叩いて払い落とそうとすると体温に打ち負かされて衣類の繊維の中にじわじわと姿を消していく。翌日なんだか防寒具がずっしり重いなと思ったら大抵こちらの優柔な結晶のせいである。鬱陶しいなとしか思っていなかったが、目を凝らしてよくよく見てみると細い短針のような形をしていて、うわっ、フローズヴィトニルだ、と思った。出力孔の直径を間違えた極細チョコレートスプレーみたいだった。傘をさした人間は、当人が思っている1.3倍くらいの容積を有するようになるので、傘をささず剥き身でそいつらと通り過ぎようとすると、目や頬などの顔面を傘の比較的瞬間的殺傷力が高い部分の被害に遭わないように気をつけて通りすがらなければならない。特に、隣にいる誰かと連れ立って歩き歩道の幅を狭めているようなやつをやり過ごす場合にはなおさらである。豚の肩ロースを焼いたら、見た目から想定した数倍の脂がどばどばしてきた。キッチンタオルが吸収してくれないタイプの脂をフライパンにまき散らした。多分、透明な背景で見るとうっすら黄色に濁っているのだと思う。開高健の本をまた少し読んで、「なまけもの」という作品の、鉄片で生肉を抉られるような、冗談みたいな文章の重厚さに圧倒された。逆立ちしても書けない。