他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

自発トリガーがなければ元以上を取ろうという気が起きない

何かを食べる時は、最初の5口目くらい、それがどんな味なのか把握したり思い出したりする過程が一番楽しくて、それ以降は絶対に最大値に辿り着かない、数学IIIでやったlim→∞みたいな絶対に越えられない壁を通り過ぎた後は、継続する同一の信号に対して神経がゆっくりと鈍磨していく消化試合となる(少なくとも私はそう思う)。翻って、何かしらのアクティビティとか趣味は、始めたてほやほやで曇りがない鍋の蓋みたいな、まっさらの右と左が分からないような状態を乗り越えて、何ができて何ができなくて何をやれば何ができるようになるのかを自分の肌感覚で朧げながら掴めるようになったくらいが楽しくて、以降は気の持ちようで延々と楽しさが鰻登りになり続けたり停滞してx=1みたいなグラフを描いたりするのだが、あまりに遅きに失した感があるので自覚がなかったのだが、10のうち8も終わった昨日くらいから何をしようかと具体的な案の「水気が飛び始め」お汁もあったまったかなと思った矢先に閉園の札がかけられ遊園地から蹴り出された。確かスペースワールドに真っ暗な中を爆速で進む楽しいジェットコースターがあるのだが、あれと同じで、自分では全く進度進捗を把握できないので、まあゆっくり見物したろと遊山目的で山を登っている間にタイムオーバーになって暗闇が晴れインストラクターのお疲れ様でしたーが降ってくるあれにめちゃくちゃ似ていて、要するに、まあ入園料もタダなのだから損得云々言っても仕方ないのだけれど、お土産も思い出もないままにアミューズメントパークを後にする事になり、自己嫌悪ではなく、もうただひたすら「あーあ」の声しか出てこない。しばらく、他人の思い出トークや抱えたぬいぐるみや頭につけたカチューシャを認識しないように努めなければいけない。安い油で揚げられた業務用スーパーで死ぬほど売っているチュロスの一本くらいは食べたかもしれないが、みろくの里のCMでごり押しされる楽しいエンタメレジャーのひとかけさえも口に入れて賞味しなかった事を考えると、叙々苑の食べ放題に行ったのにサラダのコーンだけ食べて帰ってくる愚行を犯したような気もして、しかしまともな飯を(今日も)食い損ね続けた連日の欠陥を一身というか一部位に引き受けてくれた胃袋が焼肉パーティーのカロリーに耐え切れるとも思えず、そういえば牛角に行った時にそれが何かをクッパを注文したら何かのスープが出てきた事があって、スープなら食べられるかもしれない、と胸を撫で下している自分がいるが、全て例えばと空想の話なのであって、机上で虚ろになっている間に暦に置いてけぼりにされてしまった。