他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

射出を待つ間

部分の絢爛であり、姿を現して立ち現れず、ただ窃視以上の何物になるものでもない。まぜそばを食べながら、手コキについて考えつつ、突然思いついた。手コキについては、今日は得るところがなかった。てしごき(手扱き)から音の経済とかなんとかに従って手コキになったのかなくらいしか浮かんでこなかった。でも、「扱く」だけで「こく」と読めるらしいので多分違う。なぜ、頭の中で、事物が総体として把握できず、ばらばらの、マカロニが散らばったようにしかならないのだろうと考えていたからである。ここでいうマカロニとは、歯車とか貝とか、いくつかのパターンが表されたあれである。全部互いに相違すれば、長細くてもなんでもいいのだが。ロボは合体して戦わない。足が怪獣に勝ち、手が怪獣に勝ち、頭が怪獣に勝ち、胴体が怪獣に勝つ。ディープキスのあとの涎ブリッジほどの繋がりもなく、朝露をほどいたように散在している。部分としての存立以上のものを、それらは求めていないように見える。あるいは、求める気力というものが元より用意されておらず、自存がそこにある事の終着点のようである。それが分からない。ルーペや顕微鏡になるのではなく、現実界の光を乱反射して、ただきらきらとするだけが有り様である。一体それでどうするのか。輝きたくて輝いているのでは全くないだろうが、宇宙の星々は、輝いて、それでどうするのだろう。その輝きにも原理があり、そこには意思もないのであるが、つまり、それと同じように、燃えるべくして燃え、光るべくして光り、黒くとろりとした周辺に溶けていくのがおしまいなのだろうか。それ以上ではなく。分からない。今日も、どこにも連れて行ってくれない、交通費が高いだけの、片道ですらない、茂みに外れた箱型の中で、ぐるぐると同じところを歩いていただけだった。雨は降らなかった。日中は暑いくせに、昨日の最高気温は29度あたりまで到達したそうだが、日が沈んで、風がぴょろぴょろとおぼつかない足取りで消えていく頃になると、上に何か一枚背負っているのでなければぶるりと来るようなところがある。暗くなった空を見ると、べったりと雲が張り付いていて、藍と灰色が隆起していて、明日は天気が悪いのかもしれなかった。人通りはあるが、もう忘れてしまって、慣れてしまって、覚えていないが、こうなる前は、もっと人がいたのだったと思おうとしても腑に落ちないところがある。人の顔という表象を見ても、どうしてこの人の顔にはマスクがひっついていないのだろうと思う事がある。女性を描いて、そして必ずマスクを描いていた、顧問の先生の言葉を借りれば「ド変態」の、フランス人の画家がいるのだが、名前を思い出せない。