他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

顔色が悪い部分は腐っている

人参と一口に言っても一口には入りきらないくらい色々あって、普通の人参とか京人参とか高麗人参、現在著者自宅流し台の下でカビに塗れて処遇に困られている人参など数有り余るほどあるのだが、好きな漫画の新刊を買ってきて一切の間隙を置かずぶっ通しで読了した時のその感覚は、よく出来たコント公演数時間を味わった後のような、得も言われぬ味のない旨味に浸されたようになって、心の部屋が数瞬間だけ内圧で押し広がるような感覚がロードローラーとなって他の感情を押し潰し、多幸感ならぬ全幸感に侵される時間を過ごす事ができ、この瞬間だけは生きてるなあ生きててよかったなあと思って、残念ながらすぐ忘れるのだが、喉元を疾る熱さで喜ばしく焼き尽くされる。というわけで、かぐや様は告らせたい15巻を読んだので、よくできたコントだなあと何回目になるかしれないがまた思った。度量衡の単位は人それぞれであって、私の心にも数え上げるのが億劫になるほどの商人やリサイクル業者や廃品回収や最終処分場行きトラックが来たものだしこれからも来るのだろうが、今の所はコントと歌詞が残った。頓狂な組み合わせが残ったような気もするが、存外応用が効くので満足はしている。大満足ではないので、もう一単位くらいは増やしてもいいとは思う。四元素説を唱えたのは、確かエンペドクレースだったか。当人にとってその記述で世界に納得いけるのならば、それでよいのだから。それでよいのだ。曜日感覚がすっぽり抜け落ちていたが故に燃えるゴミを期日に捨て忘れていて、脱靴にゴミ袋ひとつが放ってあるのだが、今日の午前中に出かける時、きつくなった靴を履こうとして上半身をかがめてその内容物に自然と視線が寄った折に、化学の薄壁一枚を隔てて、蛆の大運動会が収縮したり弛緩したりしているのがこれでもかとばかりにうぞぞぞと見えて、ひょっと肝が冷えると同時に、慣れるべきものでは絶対ないし慣れるものでもないのだが、冷静に観察する気概もどこか芽生えていて、蛆がゆっくり、間延びした周期でのびのびうにうにしているそのスピードは、ハメ撮り動画でねちっこい弄り方をするおじさんが好む、ちっぱいをむにむにと見せつけるように揉み弄ぶ掌の筋肉の運動にそっくりではないかと直感された。こんな事を直感するあたり人間としての程度がもろに出て最早恥ずかしくもなんともないのだが、これもやはり、当人にとって世界の記述がそれで満足できれば、それでよいのだと思ってはいる。思ってはね。