他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

念じて願った

部屋のどこにいても、生ゴミのもんわりした匂いが漂ってくるようになったため、ゴミ袋をふん縛って玄関に放り出した。あまりにも有効範囲が広すぎる。縛ったり押し込んだりする時にゴミ箱に顔を近づけると、温度を伴った香りが顔をぶってくるのが生々しい。玉ねぎとか人参とかキノコの石搗きとか青唐辛子のタネとふわふわした中の白いあれとか、それらがこの気温で熟されて生活臭のティーアで最も低い方に分類される武器を獲得していた。明太子の下に敷いてある吸水シートみたいなやつも、時間経過によってむんとしてくる。匂いがするたびに、意識が何かに集中していてもふっと現実に戻る。火炎系の魔法を使えればなー、と、人生でこの瞬間に思う。この瞬間だけかもしれない。サツマイモを買ってきたら、焼き芋をするために炎出せればなー、なんて思うのだろうか。焼き芋は直火でやるもんなんだっけ? 焼き石でやるもんなんだっけ? なんか……。こう……。開高健みたいな肉の手触りがある文章が読みたいにゃー。語尾が無意味に「にゃー」になる。困ったにゃー。そうだにゃー。理由が分からない。口に馴染むようになった言葉は、直前2ヶ月くらいまで遡れるルーツに思い当たったりするのだが、にゃーについては全然思い当たるところがないんだけどにゃー。ペットの中では比較的猫が好きだが、そもそもが別に生き物に対して興味関心がないのでどうでもいいっちゃどうでもいい。動物の中で、その特徴を人間のパーソナリティに一番置換しやすく分かりやすいのは猫だと思う。耳とか、手つきとか、にゃーとか。あとは尻尾とか? かなりぼーっとしていた。魂に指向性が必要だと思う。行きたいところがなければ、旅行も旅程もない。目的地がなければ、出発も道中もない。数学で使った定点なんとかは、さぞかしつまらないだろうなと思ったが、つまらないのかなぁ。つまらないけどなぁ。stagnantは、人間の在り方に対して毒だと思う。冷やし担々麺が季節限定メニューとして出ていたので食べに行った。そもそも担々麺って何なんだろう。これが担々麺の大体を包含した、まずここを基点に担々麺の概念を拡張していくのがいいと思いますみたいな担々麺を食べた事がない。横でサラリーマン2人が話をしていたが、すげえ面白くなかった。人の話なんか、面白い事の方が少ないだろうが。卓上調味料のニンニクネギ辣油、仕込み方が変わったのかただ出来が悪いだけなのか、油の香りとか素材の甘みとかをさっぱり感じず、駄菓子みたいなしょっぱさを感じただけだった。冷やし担々麺は、味が薄くてちょっと油の入った冷やし中華みたいな感じで、微妙だった。帰りに買ってきたぐんぐんグルトは美味い。