他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

後嗣

ゴミ袋がいっぱいになったので、手遅れになる前に縛った。今回は、普段に比べるとそこそこ早い段階での処理である。もう4回くらいぎゅむぎゅむして、底に沈まないくらい詰まっていたからかもしれないが、前回前々回、そのさらに前くらいは、蓋が閉まらなくなってなお放っておいたはずなので、大幅な進歩である。この進歩は、ステップくらいの、ワンツーワンツー、はい、そこで一歩戻って後ろにターン、みたいなものだが。退化している。ゴミ箱の矩形から引き上げるのが大変だったので、ゴミの種類と押し込み方と、各要因が上手い事噛み合って、従来よりも何%かアップした能率を発揮していた可能性もある。気付かないうちに、あるいは無意識に無視しているうちに、食品トレーと牛乳パックが溜まってきたので、これらもリサイクルに持っていく必要がある。目の前のマンションのゴミ置き場にリサイクル置き場があるのだが、そこの住人ではないので、さすがになあ、と思って置いてない。玄米がそろそろなくなる。いつ買ったか思い出せない。過去の日記を玄米で検索すれば判明するけれども、大体の行いを振り返るのが嫌いだし面倒なので、秋くらいだったのかな、と想像するに留めておく。10kgくらい買ってきた? んだったっけ? 日に日になくなる分には全然意識できないが、底が見えるとやっと減った事実が分かる。本棚を追加しよう追加しよう、机を替えよう替えようと思ってこれも半年くらい経っている可能性があるが、こちらは切迫している割に緊張感や危機感がない。私はその辺がアホなのだと思う。距離感がないのである。今は本に加えて紙も溢れているから、事態は深刻さをいや増しているわけだが、どうするのだろう。明日はいっその事、片が付いたらその辺をどうにかする第一ステップ、モノを見に行くでもやろうか。やらないとやらない。しかし、モノが多い。ミニマリストの精神は一生涯かかっても、輪廻の輪をジェットコースターし続けても理解できる気がしない。ミニマリストの反対は何と言うのだろうか。書痴とか編集者とかコレクターになるのか。今は電子書籍があるが、段々紙の本は、うっすらと、ゆっくりと、存在感を後退させていくのではないかなと今は考えている。神林長平の小説にあったように、物好きがハードコピーを買ったり、配信データから作ったり、する程度になるのではないかな。なくてもいいが、なんならない方がいいがなくてはならないものである。