他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

針の山から藁を探す

目玉焼きにコチュジャンと明太子マヨネーズを乗っけて食べた。目玉焼きに何をかけるか論争があるが、最近はコチュジャンか青麻辣醤か明太子マヨネーズである。醤油でもソースでも味噌でもない。コチュジャンは、味噌と言えば味噌なのかな。味噌だな。明太子マヨネーズに関しては、チープな値段だったのと、その存在自体がチープであるせいで、あまり期待していなかったものの、それらを大きく裏切る存在であった事は数日前に書いたような書いていないような気がするが、気になる点がひとつあった。食べた時、口の中で、燻製を食ったみたいな、もわっとした感じが広がる。あまり心地よくないやり方で。明太子の入ったマヨネーズを食いたいという雑で解像度の低い欲求を叶えてくれるのは嬉しいが、なかなか完璧とはいかないものである。雨が降っていた。ぴょろぴょろと。洗濯物を干すのが明日くらいでよかった。ゴミを出したのは、最後に出したのはいつだったか完全に忘れた。出すほど出ていないからであるが、燃えるゴミの量は減ったようである。なんでだろう。私が主に反応する花粉の季節が過ぎ、ティッシュの消費量が減った事は間違いない。あと、近頃買い物に行っていないので、そもそもゴミが出るようなものを家に持ち込んでいないからでもあろう。牛乳パックがまあまあ溜まったので、明日買い物に行く時、ついでに出してこようっと。欲求を表す「〜しようっと」の文末が好きなのだが、現実ではなかなか使いどころがないというか、「〜しようっと」と「〜しよっと」の区別が曖昧で頼りなく、これくらい階層の低い口調で会話しても問題ないような人間と話をする事もなく、適切な置き場が見つからないので使えていない。語末の、「っと」という全く不要な何かしらが心の何かしらに訴求してくる素敵パワーを持っているのだと推察されるが、その正体はいまだに掴めていない。生姜を使うのはしばしば忘れていたが、ニンニクは使い切ってしまった。なんかこう、いい感じにあれしてそれすればそこまで匂いが気になるものでもないし、料理の通奏低音みたいな役割っぽいものを果たしてくれているのでできる限り使いたいと思っている。長年親しみ続けているので、ニンニクの各種成分に対するハードルが限りなく下がっているというのもあるが。反面、使いどころを見失っているのが昆布で、料理を始める時になって、下の戸棚を開けてからその存在を思い出すので、昆布を食うぞという直接目的語的欲求がないと覚えていない。