他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

瞼を三枚におろして

窓の前の紫陽花が咲いていた。紫陽花ってこの季節に咲くんだっけ。何日か前、雨が降った日に家に帰ると、玄関のタイルの上を、小さい、本当に小さいなめくじが二匹、なめくじの単位は匹なのだろうか、まあ匹として、目に見えないくらいうねうねと動いていた。ああ、思い出した。擦れ違った散歩中の保育園児の集団がいて、先導している先生が、「ほら、見て、ミミズ!」と、路上の乾涸びて死んだミミズを指差してたのだった。いや、生きてるミミズならまだしも、からっからの、もう得るところも感じるところもない、命の出涸らしを子供に、日常の小さな発見みたいに教えるもんでもないだろ、と本気で思った。私が子供だったらどう思っただろうか。分からんな。昔の記憶がどんどん溶けている。高校時代の記憶まではほとんどゼロだ。言われて思い出したら、それは多分その場で即応的にでっち上げられたフィクションではないかと疑ってしまうくらいに。紫陽花が咲いたんだった。ブルーベリーヨーグルトをパレットに、そこから色を取ったような花、あれは花なのかな、花だと思うけど、そう推定される部分がこんもりしている。桜の花は、物体としての輪郭がかなりあやしいが、紫陽花の花はくっきりしている。ツヤというかハリというか、私という物体はここにおります、とぶっとい筆による楷書体で書いてあるような気がする。まだあの上でかたつむりがでんでんしているのは見た事がないような気がするので、今季は見られればいいかなと思う気持ちもあり、雨が降っている日はどうせカーテンを閉め切って窓も閉めるからそもそも外を見ないよなと思う気持ちもあり。町田康『湖畔の愛』を読み終わった。途中で元気がなくなったりしたのでそこそこ時間がかかったが読み切った。最後の標題作が一番気に入ったが、これは去年だか二年前だかに文庫が出た? んだっけ? 奥付を見たら三年の元日発行になっていて、つまり新しい方の作品なわけだが、夫婦茶碗やゴランノスポンよりも私はしっくりきた。ただしゴランノスポンは一般の魔力と尻の泉というとびきりの二篇が入っている。玄米がなくなる、あー、なくなるなー、と思っていたらなくなった。明日買いに行かないと、明後日の朝ごはん分くらいが足りない。あの米屋に行かねばならぬ。直接的な関係は全くないが、探し物があったので家電量販店のゲーミング用品フロアに行ったら、階全体が薄暗くて、至る所で色彩がゲーミングしていた。私はゲーセンは苦手なのだ。