他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

サーモ・カルトヴァッサー

ヒモとか無職には才能がある、という話を何回もしている。今日もその話を思い出した。私は無職の才能がある。何もせずにぼーっとしていて平気である。かと思えば、何かをしていなければ落ち着かない、何もしていないなんて絶対に無理、という人がいて、人間とはかくも異なるものであるかと思ったのであった。あるいは、もっと言えば、私は何かをすることが嫌というか嫌いというか、忌避感があるのだろう。極力頭を空っぽにしようと努力しているところがある。狭いところが嫌いではないが、狭いところと無限に広がるところは同じところがあるのではないかね。そうでもないか。先のことなんて分からないんだから、手持ち資源のやりくりなんて分からないじゃない、と言う心の中の小さな生き物がいる。そうである。君は正しい。予測はできるが予知はできない。常にどこかしらにギャンブルがあるのではないか。書くことがない。ないからさっきから適当に考えていることを何とか書いているが、これが書きたい、書かねばならんことだったら本当にしょうもないことである。しかしそれでも、別にないのだから、なくなった歯磨き粉チューブの裏をこそぐようにして、なんとか搾り出そうとしているところだ、邪魔しないでくれないか。私は怒っているのだろうか。何に? 使い慣れた椅子と机がないことに? あの机は早く取っ替えたいが、めんどくさいのでしないのだ。暇と思うこと、あるいは何もしないことは、水を飲むのと同じかもしれない。少しならず日焼けしたような気がする。気のせいかも。この部屋は少し照明が暗いので。日焼けしたからどうかというと、別に何もない。焼けるようなことをしただろうか。毎日、それなりに歩いている。35分以上は歩いていると思う。ウォーキングとしては少ない。運動をしないよりは多い。当たり前だ。たまに、やけに一味とか七味とか、唐辛子を食べたくなる。台無しにしてほしいと思っているのだと推測している。私は心のどこかで、めちゃくちゃになりたいと、常にそれなりの強度で思っている。あるいはなり続けているのかもしれない。乾いた食パンみたいな。ここに来て感じたことだが、エロ漫画の服装や体型というのは、フィクションだと切って捨てられるものではなくて、現実味を帯びたものである。いないということはない。いる、いた。見たことのない、想像が生み出したものが、現実を映している。そりゃ、あんまりなものはあれだが、存在は虚構を許していた。