頭の中が爆発している。音と実体なくして。工場の地図記号みたいな。発電所だったかの地図記号のプリントTシャツを来ている人がいて、いいセンスしとるなと思ったのはいつだったか。夜も寝られないし、意識がぶりぶりして、家出、蒸発、逐電、もぐり、一体どこへ行ったのやら、晩飯が冷えていくつの晩を過ごしたか。最寄りの文房具屋に行ったらRaserは売っていなかった。私はあれを使うことにしている。だから何も買えなかった。ないのか。あれはないのか。近所の自販機に、ただでさえ置いていないなっちゃんのただでさえ置いていないりんご味、ちっちゃいやつだが、それにしても並んでいて、あぁ、私は君が好きだ、好き好き、と思いながら一回も買ったことはない。本屋の洋書コーナー、洋書とあるからもしかして銀河ヒッチハイクガイドシリーズの原書でも置いてあったりするかな、しないかな、もじもじしてフィクションの棚を眺めてみたら、ダグラス・アダムスなんていの一番にあって、最初のだけではあるがあった。でも版面が気に入らなかったので買わなかった。版面で選り好みしているところがある。間違いなくある。洋書は判型にはじまり数々の点がばらばらで、それで言うなら講談社文庫は文字の大きさがもう少し小さくて版面がぎゅっとしていたらいいのになと思う。前、でっかくて読みやすいのがいいのだ、と出版社かどこかの人が言っていたけど、私が一番かっこよい、ビッとしてるなと惚れ惚れするのは、かっちりした欧文組とか辞書とか、ああいうのなのだ。密度と粒、あれがいっちゃんかっこよろしわ。ネ、だから棚に戻して、でも横にあった、ダグラス・アダムスの名前が印刷された本は買った。未収録短編だか、エッセイだかみたいなのらしい。タイトルはThe Salmon of Doubtであって、これが一体どういう意味なのか、表紙のレジスターとシャケを眺めているだけではさっぱり分からない。ちんとぷんがかんしたりぷんしたりしている。ちんぷんかんぷんとは、学校の始業ベルに似ていると今思った。4文字で、偶数音節がんであれば全てそうだと言えるかもしれないが。きんとんびんせんとかでもいいような気がしたが、これは統一感、しっくりくる感じ、そういうのに欠けている。ちんぷんかんぷんは言葉としてこなれているからだろうか。洋書を読むのは苦手だ。読み解くのと意味を楽しむのは別個の作業であって、グラタンを食べながら背泳ぎするようなもんなのだ。だから外国語学習は困難なのだ。いつか深海でアップルパイを食べられるようになるのかしら。