他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

飴でできた林檎

ゆーっくり、ほーんのり、気の抜けた炭酸みたいな緩やかさでぬるめの晴れとなり快方に向かった。台風が来るとか来ないとか聞いているが、今日の洗濯物が乾いただけよしとしよう。藁半紙を空中にほどかしたような、変に質量を感じさせる、確かかさぶたを作る時に血中の固形成分を絡め取る働きをする繊維質のナニカがあったはずだが、あんな感じの微細なそれがわらわらと群れているような暑気が「呼んだ?」とばかりにぴょこぴょこと顔を覗かせ始めているのが感じられて、あぁこれはもう終わりで、そろそろ夏が自らの性格その他諸々エトセトラを自覚して自己実現を始めてしまったなあとの思いが全身に沁みて、沁みているのかと思ったらこれは夏の暑さがへばりついている例のあの感覚で、やっぱり夏来たのかなあと思うようなそうでないような。結構前に見た光景だが、ちらちらと雨が降る日に、家の近くの自販機前で、けったいな物体を見かけた。ぱっと見では青い不透明がぷっくりと膨らんでいて、その中に白い芯みたいなものがくるくると丸まって輪郭を保っていた。新手のキノコか、はたまた危険なワールドトレジャーかと思って恐る恐る顔を近づけると、なぜ透けたぶよぶよと白のへにゃへにゃが融合し合一して形態を成しているのかが察された。道端に放置された冷えピタ的冷却シートが、雨の水分をわがままに吸い焼け太りした結果、ジェルの部分が密度を失い体積に魂を売った膨張を繰り広げ、向こうを見透かせるオーシャンブルーがドキドキおっぱいドリームしているのだと判明した。写真を撮っていないので、あのマテリアルがあの状態にあるとどのようにグロテスクで、しかし綺麗に横たわっているかに関して筆舌を尽くすしかないのだが、見ていると恐らく涼しい気分になれる事は請け合い間違いなしのはずゆえ、夏の夜半には金属ボウルに水を湛えて、膨らんだ冷却シートを縁側で拝むとよいかもしれない。美味しそうなソーダ味色をしているのだから……。何日か前に、駅の階段を上がって地上の景色が見えてきた時に、「雨の匂いと安い最中に入ってるアンコの匂いは同じだな」と気が付いた。傘、差す? 差さない? と択一を迫られているような絶妙な勢いの天気だったその日の大気は、確かに安い最中に挟んであるアンコの匂い、あの他では嗅がない、もしかしたら生地というか挟むパリパリした方についている独特臭で満たされていた。一瞬しか捕まえられなかったので、気のせいかもしれんが。

文庫本の角に足の親指ぶつけて

未明から景気のいい音が始まって、あれよあれよと言う間に乱れ打ちに変わり、液状にしたところてんを押し出したような豪雨一歩手前の落ち着きない流れが湿度と騒音と暗がりを一度にもたらした。布団に半身以上を突っ込んでいないと忍び込むように寒くて、しかしそうすると室内に溜まってぶよぶよと集合体を成した湿度が至る所に絡まって不快だし暑い。どっちつかずの、中間域がないワン・オア・ジ・アナザー領土分捕り合戦をしたりしなかったりするうちに4時をとうに回り、ようやっと眠くなってきただろうかと思って湯煎真っ最中の蜂蜜のような意識の薄膜に視線を凝らそうとすると目覚ましがけたたましい、そういえばまだそのタイトルを知らない音波をぶちまけて騒ぎ出した。外を見やるでもなく、みっしりと弾幕が張られ、全身に下向きの矢印を覆い被せたような、全身的ダウナーの方向性を直感的な視覚として捉えてしまい、やっぱり解像度がアホみたいに低いままの脳内は立ち眩みその他でグラグラと照準点を定められないまま正体を明らかにしない透明な眠気にラッピングされながら身体を引きずるとそれはそれでまあ稼働するものだった。洗濯物が全然干せねえなあ。夕方には少なくともあがるかと思って洗濯機を回したものの、まだ空気が湿っていて先が見通せないし新しく台風が生まれたとの報も耳に入ってきたし、7月の自己主張が弱すぎて涙で枕をしとどに濡らしてしまいそうである。およよ。そうすると枕カバーを別途洗う必要が出てくるので、絶対に泣かない。強い心を持って、部屋干しで対抗するのであると思ったが、部屋に淀む生乾きカビの匂いとカーテンレールに並ぶ力なき皮っぺらの惨相を思い出すだけでしなしなと、チャック密封を忘れた刻み揉み海苔がごとく気概が消化されてしまったので、やはり悪は悪である。ぱらぱらと大人しい雨になった時間があったので、読む本もなくなってしまった事だし、図書館に行って新しい本を探してきた。歴史やら、思想やら、かてえジャンルの岩波が密集した書架があったが、タイトルを一つ目視しただけで辟易してげんなりして体内の固形物がすべて融解し床に流れ出す感覚があったので、大人しく日本の小説的なそれらが置いてある棚を見た。最近から遡って、江戸川乱歩の作品云々があって、岩波に所収されている事を知らなかったのでおっと思い、短編集をひとつと大江健三郎のそれもひとつ引っ掴んで帰ってきた。インテリが教養をくちゃくちゃする口の中を見せられているような文章だなあ。

空砲の空耳

グラム98円特価で出ていた美味しそうな豚バラを買ってきたので、ポーションごとに分けて冷凍庫に入れようと作業していたところ、なんだか肉と脂の地層が思っていたような割合とずいぶん違うんと違うんけ、と思って、一枚フライパンで焼いてみると、赤身の部分がどんどんと可愛らしく縮こまっていって、つまり何が言いたいかと言うと、脂7肉3くらいに収束してしまったので、あらこれは失敗したかしらと頭を抱える事になった。豚カルビとタイマンを張れそうな組成をしているので、事前にジップロックへ沈めて息の根を止めた上で、じっくり弱あく火を通してオイルを追い出す作業が必要そうだなあ、と思われた。齧ってみると、ぷるぷるした脂身の味がする。どうにかうまくさっぱりいけないか考えてみる必要が生じた。酢とか買ってこようか。引き換えに、ブラジル産の鶏コマは、サイズを整えた後の切りカスなのではないかと疑いたくなるほどクズクズの部分と、不自然につながった歪なビッグサイズの部分とが共存しており、不良パックをつかまされたんじゃねえのかと自分を責めかねないほどであった。安い鶏肉は消費期限を過ぎるとたちまち悪臭が立ち上り変な匂いの汁に変貌し嫌な色に変身するので、早めにシメておくに越した事はない。冷凍庫の中に、最後ひとつだけ残った雪見だいふくをそのままにしてしまって、最後のひとつゆえになかなか手をつける気が起こらず、時たま存在さえ忘れている。昼下がりに志賀直哉短編集を全部読んで、うつらうつらしていたら昼寝夕寝になってしまった。あたまがいたい。ここ数日慢性的に。寝ているからな気がするが、寝ないとそれはそれで頭が「痛そうだ」。晩御飯に、豚の首肉を煮込んでカレーを作った。弱火でちろちろ舐め回して、いやそれにしたってIH調理器なのだから弱火もへったくれもないのだが、人参と玉ねぎを仕込んでから、肉を入れようとしたら骨の部分がめちゃくちゃにデカかったのでなかなか入らなかったにしても、水を入れて煮立たせる段階では全体的な量も減って押し込めて蓋をする事ができた。カレールーを入れて味が満遍なく塗り潰されてしまう前に、色んな成分が溶け込んでアク色一歩手前になった水分をスプーンで取って味を見てみると、肉にしてはかなり甘ったるい部類の味わいがのろのろと口の中に広がっていった。確かに、肉本体も、ぎっしりと密度のある感じではなく、膜と筋で、脂がとろんとまろみのあるテイストだった。豚の首ってこんな味なのね。

ねずみ閃光炸裂弾

朝4時くらいに、這い寄る寒さとしとどな音で意識が紛れて目が覚めると、バケツを引っ繰り返しながらシャワーで追い討ちをかけているような、勢いばかりとは言え猛烈な勢いの雨がざんばざんば朗々と降っていて、トイレに行って再び布団に潜り込んでもまだ続いていた。完全に起き損ねたので、起きるまでの記憶は、ぼんやりと見た8:45の目覚ましアラート画面だけだ。のそのそ起きて、ご飯に辛子明太子を乗せて食べた。辛子明太子とたらこを同時に買ってきていて、どちらがどう違うのか検証してみようと思ったのだが、今の所は「辛子明太子=辛い、味がする。美味しい」「たらこ=あんまり味がない。ぷちぷちする感覚はこちらの方が感じやすい。あんまり美味しいとは言えない」という程度のレポートしか吐き出されていない。味がついている方が、味がするし美味しいよね、とアホみたいな事を考えている。私蔵の、最近人から貰った本の背表紙が少しビリビリ来ているので、本補修用テープでも貼ってやろうかなあと、千切れてメッシュが見通せるようになった断裂を見ながら考えていた。いつぞやにAmazonで買った代物で、色は黒いのだが、くっそでかい辞書の背中に何本か補強で貼っておいてやると、何度開閉してもだいたい大丈夫なくらいの強度をもたらしてくれる一品だ。まだまだ付き合いは長くなりそうなので、ばらけてしまう前に処置を施したいところではあるが、随分と古い本であるため、かっちょいい背表紙のタイトル、びっくりするくらい旧字体が金箔押しされた無骨な背中が見えなくなってしまうのは少なからず名残惜しい。たまに亀裂が広がる音も聞こえてくるし、手遅れになる前に……という気はする。ホルモンを一度に200グラムも300グラムも食べると、顎が疲れて自分が何をしているのかどうやら分からなくなる。小さい頃にはホルモンの良さがさっぱり分からず噛み切れないまま吐き出していたし、今も通じたとは言いがたく脂ぼいんぼいんなホルモンはノーセンキューおかえりはあちらだけれども、何であるのかに関する初級定義は掴めたような気がする。にしても、真っ当な食べ物として向かい合おうとしたり、表面のけったいで生命体なぶつぶつを撫でるように視線を走らせていると、時に「えっ、これフードなん? ほんまにフードなん?」という感想が込み上げてくる事もしばしばあったりなかったりする。明日は豚の首肉を使ってカレーを作る予定だが、美味いかどうかは知らん。

あっち向いて翻意、

1割弱くらいしか残っていない歯磨きチューブみたいな状態で目が覚めて、ほんの数分だけ意識を握りしめたものの、握力がゆるゆると失われて、地に落ちる音を聞かないまま次に覚醒すると家を出なければいけない30分前で、それくらいあればまあご飯食べて水筒にお茶を装填して出立できるらしい事が最近分かってきたので、無意識の自堕落が輪をかけて輪にかけてギリギリまで手綱を返してくれない理由はそれじゃないかという気がしてきて頻りである。そこそこ晴れそうな晴れ間がチラリズムを扇情的にぺろりんちょしていたから、下心を惜しげもなく晒して、洗濯物を屋外に移動した。もう、しばらく、パキパキに乾いて、折り畳もうとすると繊維がミシミシと音を立てる乾き上がりが恋しい。そういえば敷き布団のシーツを洗っていないので、明日洗おうと思ったら、日曜日は昼下がりまでだらだらと降り募るらしいと人が言っているのを聞いたので、目覚めて洗濯機を回して何も考えずにハング・アウトするのはどうやら不可能であるらしかった。8時9時に吊り出して、17時くらいに取り込むのが一番気持ちがよい、よかったような気がするが、これらをまたしばらくやっていないやれていないので、そんなに気持ちよかったかどうか忘れた。日照り日照りなので仕方がない。志賀直哉の短編集は、ひとつひとつが短いので、お菓子を食べる感覚で手軽に気軽にぼつぼつ読める。直前にすごいアクと喉越し、旨味、その他諸々エキスエトセトラのテイストコンプレックスを平らげた後であるが、簡素に質素に塩を振ったのみで、素材の味がゆっくりじんわり出てくるような、さざめきがこんこんと湧き出てくるかのような文章で、描写が込み入る前に羽衣で撫で去ってしまうような、さらりとした軽さがある。これまた、別の意味で、ひとつの手技手管だなとうむむとなる。ジャムパンを食べながらではないが、うむむ! となる。思いついた、いらねえのに面白いと思った飾りをあっちにぺたりこっちにぺたりとする癖が抜けないし根を深くするばかりなものだから、なおさらそういう潔さらしいものにキュンとなる。執と念と着がコンポーネントの大部分を占めるので、意識して克己しなければきっと本当に難しい。誤字とか、脱字とか、意識せずに発生したような文章の綻びらしきものを発見すると、これは別の色味を帯びたうむむが心の中でイラレのパターンを適用したみたく散らばる。納得の往路チケットが欲しいよ。

片ぽんぽんぺいん

目が覚めると賑やかな音が聞こえてきて、透明な銀色に部屋が侵されていたので、また雨が降ってやがるなと思った。7月もそろそろ脂が乗ってきて、額を光らせながら地表をじりじりと焼き付けてきてもいいようなものだが、まだ自己主張の強度が戻ってくることはなく、雲の向こうであちらにふらりこちらにふらりと風来坊を続けている。早く本来の責務に、と言ったところで太陽が自身の職能について自覚的であるとはあまり思えないけれど、籍を戻していただきたいところである。信仰しろ。ふんぐるー、ふんぐるー。起き抜けに、あと数ページを残すだけだったなと思い出し、開高健の自伝をカバンからもぞもぞと繰り出し栞の挟んであるところから読み進めると、あと1ページ程度も残っていなかった。たちまちのうちにフィナーレを迎え、楽しい往路が終わってしまった。復路のない旅であるから、まあ、実質終着点のようなものだ。続けて、志賀直哉小僧の神様という小品を知りませんか、知りませんか、そうですか、と言われたのが忘れられずに借りてきた志賀直哉の短編集を一編だけ読んだ。最初に置かれているのが、当の『小僧の神様』だった。さすがの表題作だなと思う。目次に並んでいるタイトルをざっと見るだけで、なんだか面白そうだと思った。読んでみて、あーなるほどなあとなった。黄色い脂の乗った、なんていう形容を酢飯の上に乗せて寿司に仕立てられる気がしなかった。最後にくっついていた、作者はこう書こうかとも思ったけれど、これこれこう思ったからして、このような結末にはせずにここで筆を擱く、なる部分がメタ的で、しかし物語からは変に浮遊していなくて、剥がれたかさぶたのように、同質のものが隣にあるような感覚で、だいぶん珍しい心地がした。今日は、身体が有する感覚が、40分は優に噛み続けた風船ガムのようで、締まりがなくだらだらして、少なくとも一本のぴしっと通ったスジもなくて、行き当たりばったりの靴に踏んづけられて、無目的に場所を変えるような事をした。18時くらいに雨降りが寛解したので、そろそろ食料買い出しに行かなければ立ち行かなくなる事はないが立ち行きたくなくなる事が感ぜられていたのもあり、遠いところのスーパーに行った。顔にふわふわと綿埃のように当たる小さな雨滴が、鬱陶しかった。豚の首肉(骨付)、ちょっといい豚ロースを買った。豚のネックは煮込み用と書いてあったので、カレーでも作ってみようかと思う。美味しいのかしら。

出汁ほどき卵

チャーハンから油っ気をぶっこぬいたような精神状態が続いているので、チャーハンのウリであるパラパラという形容さえおこがましく、それぞれの米粒が各々に対しての連関を欠いて一孤の不干渉独立体として散在しているような心地がしてまずい。上の空と言うほどではないが中の空くらいには手元がお留守であるし、行動を起こす時の十字キー押下にさしたる目的地があるとはとても思えない。今日も空が真っ白で、前数日ほど寒気が降りてはいなかったものの、厚みのないしっとりした空気がそこら中でたわんでいて、結局降り出してそこそこの勢いを保ったまま気勢をそぎ続けている。洗濯物サイクルを何度目になるだろうか、ともかく見誤ったので、明日止んでいなければバスタオルなど日常の諸相に厄介な事態がプチスペクタクルを巻き起こして冒険活劇の波乱をもたらしてくれそうな気がしてやまない。何かしただろうかと数えてみると、片手の指で優に余ってしまった。B4やヘンテコな判型からA5に直したかったので、色々四苦八苦悪戦苦闘しそれなりの紙資源を犠牲にした結果、A4の紙に横並び見開き印刷をしてそれを半分に折り、切り離せばA5ページが2枚生産できると昼下がりに突然閃き、一時間と少しくらい、出力したA4紙数十枚を半折りカットする作業に費やした。切れ味の悪い、いやそれどころか刃というものを持たない穏健なペーパーナイフで切り分けたため、切断面は少なからずギザギザになったが、データの輪郭には含まれなかったので胸を撫で下ろした。ただし、PDFに読み込んだ結果、全体的に版面が微妙〜〜〜に斜めに傾いでおり、これはどうにか自動で補正してくれるプログラムをAcrobatに求めるか、それとも手動でちまちま角度補正をかけていくか、今後の対策を決めあぐねている。モニター上で倍率を上げて間近で観察するとそれほど気にならないのだが、等倍とそれを超えて縮小に至ると全体的なテキストの傾斜が嫌でも目に付き、見た目として大変美しくないので、どうにかしたいのだが、どうしてもマニュアル操作が求められるという事であれば面倒臭いのでそのまま出しちゃおう、そうしようという腹積もりである。一度データを印刷して、それをスキャンすると文字が多少なりとも読み辛くなるのもなかなか納得のいかない点ではあるが、上手い方法を見つけたい。帰りにナポリタン屋に行って600g食べた。まだ食べられる。横に座った男子大学生二人が、筋肉の付け方について会話していた。なるほどな。

豆電球を代えるためにジャックは木を植えた

人の話を聞く時になると、ある人数以上になると唐突に気をやって全く関係ない隘路脇道に思考が転がり込んではっとすると自分のいる位置を見失っていたりするものだが、ある程度の役割を担った上でその場に座り存在している事を要求されると、お家から出るパスポートさえ発行されずただまんじりと任されたロールを果たす事に集中する他なくなるので、6人を超える空間にいると自分はダメなのだろうなと思う節がある午前午後を過ごした。立派な構えの立派なレセプションの、しかしどこか時代遅れして気後れしたくてもできないような中途半端さを宙ぶらりんと残した絶妙な建物に足を踏み入れると、どちらに身を振ろうか考えて立ち止まりそうなので、ここは萎縮すべき場所ではない、萎縮するに足らないとの判断を下してゴーサインを自身に下す事も時には必要である。背筋を正さなければならない場面になると、さすがに無頼豪傑の血をしとどに流してはいない悲しい小市民であるから、頑張ってぴんとは行かずともぷぃんくらいは伸ばそうと精一杯努めるのだが、いかんせん普段の姿勢が姿勢であるがゆえに、伸ばしたくても直線とはどのようなものか身体で理解できず、腰7割上半身6割程度の直線度をもった、自覚的には非常に奇妙な姿勢を取る事となり、改善しようと足掻けば足掻くほどあちらがぐねりこちらがぐねりと取り返しがつかないとっ散らかりようになるので、途中からはもうこの程度で妥協するしかないと前のめりになった腹を括ってとりあえず座りそこに居続ける事に注力するようになる。昔に生まれていたら折檻されていたような気がするので、よかったようなよくなかったような気がする。全身にケッタイな疲労感がのめりついて離れず、濡れ鼠を引きずるような億劫さがあって、夕日が夕陽の色を濃くして墨汁の羊羹みたいなエーテルに満たされる前の時間に重さが頭の中にある意識の秤を何周もぐるぐるして計量を損ない、めちゃくちゃ眠くなる事もあれば底に薄く淀んだ澱のような時もあれば勃発的に頂点をなす事もあって、ともかく変な時間に少しだけ質の良くない鈍色の睡眠を取ってしまう。目が覚めると喉の更に後ろの方、身体を突き抜けた意識の後方に苦い、嫌な感触の弛みが強張ってうずくまっているのを感じておえっとなるが、これで得るものが寝付きの悪さである事を思い出してそういえばともう一度おえっとなる。こういう空隙に気付きがぽつりと垂れてくる事があって、それをまた引きずって、いる場合ではないのだけれど。

果汁は果汁100%だが全体として100%ではない

Chromeの新規タブ背景を変えられる事を偶然発見したので、デスクトップに設定している画像と揃えてみたところ、お気に入りの画像なので大変満足度は高くなったのだが、後ろにシークレットではない普通のウィンドウを敷いている時にデスクトップと間違えて操作しそうになるので一長一短だと思った。吉野家の高菜牛丼を食べたい気持ちが緩やかな上昇曲線を描いているが、お待ちどうさまと出された丼の側面がほんのり心持ちべっとりしていた時に心が「スン……」となるので、その瞬間を想像して意気消沈し結局バナナチップスを袋から直接口に放り込む操作で満足してしまった。満腹感は覚えていないので満足はしていないのだが、これでよしとした。「スン……」という独特の擬音表現については『悪魔のメムメムちゃん』を見られたいが、そういえば読み返していないので心が虚無に侵された時にもう一巡する時間を取ろうかな。実家に帰るたびにめだかボックス涼宮ハルヒの憂鬱シリーズを読み返そうと思って、思うだけで終わっている。めだかボックスは一回読み返したような気がする。読んだ当初よりもいくらかの分別がついた今、もう一度谷川流の文章を読んで、どんな感想が内より湧き出づるのか、楽しみである。なんかここまで書いておいて急激に疲れたな。身体の中に、疲労を包含しておくオブラートのカプセルみたいなものがあって、それが背骨に沿ってじわあと広がって、じわあと背面全体に鈍く広がっていく感覚を覚える事がある。それが病的に、実体を伴うと帯状疱疹とかいう日常生活と集中力を根本から引っこ抜く病気になるわけであるが、そのお疲れカプセルを身体から析出抽出して、ゴミ袋に入れて、燃えるゴミの日にぺいと集積所に置いておきたい。もし、世界に疲労埋め立て場みたいなスポットが生まれたら、自分でも排出しておいてこんな事を言うのはまっこと無責任なのだが、近寄りたくない。疲労といっても様々諸相があるわけで、長距離走らされた後の全身に覆いかぶさって取り憑くような疲れだとか、朝起きた時に身体をラップのようにくるんでいる不透明度20%くらいのあえかな疲れだとか、そういうものが中を見透せたり見透せなかったりしてずももももと積み上げられて瘴気を放つ集積所があるならば、そこはもう、近寄るだけでげんなりして疲れて、その疲れをそっと取り出して投げ銭のように放り込んで、重い足取りをよたよたと引きずって帰る事になるだろう。着地の時に、音も立てないまま。

前例はないが前々例はある

ほんの一瞬だけ晴れ間が見えて、やったぜ洗濯物がカピカピに、バリバリに乾かせるチャンスだと心が踊ろうとして、運動不足が祟って足をもつれさせてこける音がした。滅多にないとは言い過ぎだが、二週間ほど疎遠だった屋外で物干しができるチャンスだったから、寝る前に塗るハンドクリームが染みて黄色い軟膏みたいに変色してしまった掛け布団のシーツと枕カバーも一緒に洗う事にした。脱水の工程になって、鉄檻に閉じ込められた猛獣が所狭しと暴れまわるような、ガッタンガッタンドッコンドッコンガンガンズンズンベンベンバキンバキンという破壊音が洗濯機の方から聞こえてきた。耳を覆いたくなるような、とっちらかって自制のない音であり、使い始めて5か6年目、ついに耐用年数をオーバーしたのかと心中ヒヤヒヤしたものだが、そういえばシーツのような大きな面積で広がるものを入れると、そいつが他の洗濯物を抱き込んでひとつの巨大なカタマリを成し、脱水行程の猛烈なドラム回転に慣性の法則とかなんかその辺のものが素っ裸になって乱入する結果金属と金属の痛ましいぶつかり稽古が繰り広げられるのだと思い出された。一斗缶を踏みつけて、金属バットでぶん殴り続けているような音で、原因を知ってはいても心がざわざわと浮き足立つような、極めて極まって不快な音だ。録音してノイズを除去しなかった挙句、嫌いな奴の枕元で一晩中流したいくらいには快ならざる音だ。洗濯が終わって、もりもりのボリュームを成した布や化学繊維のお団子おにぎりを解きほぐして、さーてハンガーにひっかけようかなと思ったら太陽は厚い雲の向こうにかくれんぼしていて、白と銀を羅紗に透かしたような、曇り特有の光線で屋外が満たされていて、さっきまでの高揚と期待を返してくれないかと思った。返ってこなかった。しんなりとした手触りがまだ残っていて、お世辞にも乾いているとは言えない状態でcruciateされた洗濯物が、葬列に見える。見えない。どっちだ。虚無の軽さを背負って重さを感じようとする事に疲れたので、なんとなく肉がいっぱい食べたくなって、冷蔵庫の鶏もも肉を2ポーション解凍した。イギリスの塩もついに底をついたし、何かいい調味料あったかしらと思って棚を漁ると、買ってきたのを忘れていたホアジャンと唐辛子の生七味ペーストが出てきた。サルサソースみたいな色をしているが、少しスプーンに取って口に含むと、強烈に渾然一体となった風味がぶあっと駆け抜けて、舌に渋いタイプの足跡を残す。使い所を選ぶ、なかなかおもしれーやつだった。

pocket of the universe

土曜日、図書館の近くまで行ったので、そういえば前読んだのは1が付いていたから、きっと2かあるいは3まで続編が続くのだろうと思って岩波文庫緑の棚を刊行年が新しい方から遡っていくと、遡るまでもなく一番ケツの方に夜と陽炎、開高健の自伝二巻目があった。あったので借りた。1、2とナンバリングしているくせに、2で終わりらしい。なぜだ。上下分冊にすればよかったのに。岩波文庫のHPを見ても、3が出るとは書いていない。基準はよく分からない。開いて一行目を読み出すと直ちにすぐさまに、特有で独特の、湿度と粘度とほんのりとした固体っぽさを感じる、練り消しみたいな文体が流れ込んできて、これこれこれなんだよ俺が食べたかったのは求めていたのはさあ、と脳味噌が喜びの快感物質を噴出させるのを感じた。恐ろしいまでに力強くのたくっていて、それが途切れる事なく、図太く腰を構えて見据えてくるから、押しも押されぬ堂々とした、しかしながら寂しげに内向いた視線の切れすぎなさに舌が丸まって解けないし巻いた尻尾が鬱血してもげそうである。味が妄想できるし感触も匂いも想像できる。徹底的に濾し取って残ったエキスのような密度があり、向こうが見透かせない分厚さがある。美味い食べ物とはこういう事だなと思う。最初に解像する事を許さず、一言目として、噛み砕いて飲み込まず「うめえ……」と呟くしかない、緻密で強固な有機体を産出できるのは、やっぱり、すげえよなあ。暇だったので、というか何もやる気が起きず、尻に火がついてやらなければならないような事もなかったので、買ってきたのを危うく忘れかけていた外付けHDDをMacのバックアップディスクとして設定しておいた。数時間繋いだまま放っておくと、ディスクイメージをそのまんまミラーしてくれたらしい。すげえな。開いてみると、同じ日であっても、更新された時間ごとにファイルが分けられていて、復旧する分には楽ではあるが、ここから逆探知するのは死ぬほどめんどくさいなとも察された。ひたすらうず高く積むのは楽だが、どこにある何を引っ張り出せばいいのかを考えるのはめんどくさい。午前中は空が真っ白で、屋外が病的で気の抜けた白にぼんやりと発光していたが、午後になると軽い異物音が聞こえるようになり、8割ほど閉めていた窓を滑らせると、斜め45度くらいでささめいているテグスの切れ端のような細い線が一面に見えた。洗濯物を気持ちよく干したい。

言葉尻を鷲掴みにして揉みしだく

一日の始めに、それとなく軽めに屈んだところ、漫画表現で言うところの背景黒ベタに白の稲妻が走るあれみたいな現象が発生し、半日近く右足を庇いながらえっちらおっちら歩く羽目になった。膝とはそれすなわち、皿と二本の骨柱、とそれに繋がった色々な有機的生体的アレのめっちゃごっちゃジャンクションなので、どこかが上手く行かなかった結果玉突き事故を起こしてビキィっとなったのだと思いたい。屈むのに上手いも下手もあって溜まるか。しかし、重量上げの際に足でなく腰に体重を乗せるメソッドの方が身体への負担が少ないとかなんとかがある事を考えると、下手な屈み方もまた、存在する、のか……? 吉野家の外壁に、新メニューのバナーがかかっていて、おうおうどんなもんやじっくり見せてもらおうやないかと視界に入れた瞬間、意味内容がショートした。もずく牛丼って何だ。どうやったらもずくを牛丼に乗せようと思うのだ。もずくが牛丼に乗っていた。東京と沖縄、それにわずかばかりの地域だけでの限定発売らしい。沖縄のもずくを使っているようなので沖縄での販売は分かるが、全体的に????と闘う羽目になる。もずくの酸味と牛丼タレの甘みが絶妙に合わなそうな気がするのだが、果たして。あれと果し合いをする気はないので、誰かに食べさせて感想を聞きたい。電車の窓から見えた中古楽器屋の看板に、「販売 ヴィンデージサックス」などなど書いてあった。目が悪いのでヴィンテージかと思ったらヴィンデージだった。vintageと綴るはずなので、vindageでは絶対ないはずなので、辞書を見たが前者しか項が立っていなかったので、誤植である。横文字をカタカナイズして用いる時に、よく分かっていないのか分かってやっているのか、濁らない音が濁点を担がされたり、濁った音が浄化されたりというのはたまによくある事である。経験があると脳が訴えてくるが、具体例の収集をサボったがために説得力が薄い。日本語の「ヴィンテージ」から直ちに想起されるイメージが英和辞書の第一義として載っているかとついつい先入観を持って参照してしまったが、一番最初に取り上げられている意味は「(優良)ワインの作られた年[場所]」だった。例文がなんだか納得行きづらい意訳を与えられているので奥歯に物が挟まったような心地がするけれど、まあ確かにそっちの意味が優勢してもおかしくはないよなと思う。あ、これは形容詞の項を見ていたな。名詞もあるのか。あ〜。なるほどね〜。

ルーズソックスみたいな湯呑

太陽が見えたわけではないが、雨が降らずそれなりの気温だったので、洗濯物を物干し竿にかける事が叶った。家に帰って部屋がカビ臭くない事のなんと嬉しい事か。ただし、今着ているTシャツが生乾きの状態だったので、めちゃくちゃな匂いが漂ってくる。やっとしっとりしていないバスタオルで身体を拭く事ができる嬉しいな、と思っていた矢先、パラパラという例の音が聞こえて、まさかまさかいやそのまさかと思って耳を澄ませば、雨が降り始めていたので大急ぎで室内に避難させた。人がいい気持ちになっているところを狙って降り始めるたあ、いい度胸してんじゃねえかコラァ……。明日は外に出る予定があるのだが、できるだけ傘を持って出たくないので、寝ている間に綺麗に止んでくれないだろうか。窓に洗濯物が並んでいると、目が覚めた時に朝陽が差し込んで来ないため、今日は全てハンガーやピンチから外して寝る。明日は、外から差し込むカラッカラの太陽光線でぱっちりと覚醒するのだ。そうに違いないのだ。だから、雨なんて降ってない、降ってないのだ。前髪がちらちら視界に被さってきて鬱陶しかったし、鏡でちらと見るだけでも、頭部がくっきりとアシンメトリーな輪郭をなしていたので、どうせこれから気温が上がり調子ならば環境を整える意味でも、と思って髪を切ってきた。前が3月なので、三ヶ月ぶりである。デメリットが出始めてから三ヶ月なので、おそらく適正散髪周期は2.5ヶ月だと思われる。伸びるのが早い。椅子に座り、シャンプーまででお願いします、と伝えるが早いか、「毛多過ぎだね」と言われた。毛多いね、ならば分かる。毛多過ぎだね、と言われた。tooがついている。一日に何十人も切り捌いているプロフェッショナルが言うのだから、なるほど多過ぎるのだろうと思った。これからは、毛量が多いです、と臆面もなく言っていきたいと思う。言っていくメリットは分からないけれども。櫛を通して毛束を揃えたり、梳いた後に切れた髪を追い出すのに櫛を走らせている最中に、ガツガツとものすごい引っかかり方をしていた。結局、梳きバサミを手放すまでに頭の鉢を四周くらいしたのではないか。シャンプーまでと伝えたはずなのに、顔面にジェルを塗られた時はおいおいマジかよと思ったが、眉剃り+髭剃りの総合調髪まで行かれた。人の話を聞いてくれ。シャンプーと200円しか変わらないので別にいいけれど。終わった後、「どう? 頭軽くなったでしょ」と言われた。確かに髪は減っていた。が、頭の重さなんて意識していなかったので、こいつこんな事聞いてくんのかよと驚きながら、そうですねと返した。あの人上手かったなあ。

見透かされてもお前になら

昨日の夜沸かしたお茶をがぶがぶ飲んでいたせいで、1日もしないうちに2リットルを誇ったはずのお茶がなくなってしまった。夏場はお茶の消費がとんでもなく早いので、1日に一回は薬缶でお茶を生産している。お茶パックの減りにも目を見張るものがあるので、今度薬局に行った時にでも買い足す必要がある。お茶パックは、なぜか薬局で買うのが一番安い。薬局とは不思議な場所で、あるいは時代に即してドラッグストアと呼ぶ方が頭の中に浮かんでいるイメージにぴったしくるような気もするが、少々のお菓子が置いてあるだけで他は全てザ・薬局な店もあるし、店の半分以上を薬局以外の要素、お菓子やパンや納豆に牛乳、酒類が我が物顔で占めている店もある。酒は飲みようによっては酒になったりならなかったりすると言われるけれど、さすがに卵や食パンが安くて、しょっちゅうポイント5倍や10倍セールをやっているとお前は本当に薬局ドラッグストアなのか、小さいスーパーに広めの薬用エリアがあるだけではないのかと問い詰めたくなる気持ちが湧いてくるのは自然の成り行きと言ってしまっても問題なかろう。ドラッグストアはそれは頻りにポイントが数倍になっていて、期日にそうなったり雨が降ったりするとそうなるのだが、ドラッグストアで大金を落とす事もないのでそこまで痛くないとしてもあまりに乱発が過ぎるように思う。しかし、溜まったポイントで買うようなものがあるかと自問自答してみると、髭剃りアイテムか歯ブラシくらいしか思い当たらないので、やっぱり客を惹き付けるにはポイントを増し増しで贈呈しても問題ないような気もする。昼に時間を見つけてOfficeとAdobe CCを入れ直した。でもまだInDesignが入っていなかった。一番使うのに。下手くそめ……。帰りが少し遅くなって、晩御飯を作るのも面倒になりそうな時間になったので、今まで横目で見てはいたものの実体として捉える事のなかった蕎麦屋に入った。どこかで同じようなせいろのバナーを見た事があるので、おそらくチェーン店なのだと思われる。蕎麦・うどんを出す店でチェーンじゃない店をよく知らない。券売機がなかなか野口英世を飲み込んでくれず、しかも紙幣挿入口が変にべたついておよそ挿入されなかったので、何度も挿し直す手間を強いられた。家では作らないので天ぷらそば(温)を食べた。揚げ置きされてへたった食感と、つゆにじわっと広がる仕様のない油に、飾らない落ち着きを感じた。そこまで美味しくなかったが、悲観する方の美味しくなさではなかった。温そばにわさびは合わない事を知った。

剥けた一皮を着回す

PCが手元に帰ってきたはいいものの、「どうして短期間で同じような不具合に見舞われ初期化という工程を経なければいけなかったんですか?」という問いに対する、「う〜ん、あの〜、システム的なアレですかね〜、多分ね〜」というほんわか曖昧輪郭ブラーな返答を私はまだ許したわけではない。PCがさっぱり使い物にならない金属塊と化すのも大いに困るが、それと同じくらい蓄積したデータが吹き飛ぶのも超絶困るので、大枚を叩いて外付けHDDを買ってきた。Macのタイムカプセルとして使用していくつもりである。どれくらいの頻度でぶっ刺しておけばいいのかまだ掴めていないが、一週間に一回くらいで多分、大丈夫だろう。不必要な感情の起伏があった。モスバーガーのテリヤキチキンバーガーと激辛テリヤキチキンバーガーを食べ比べたところ、激辛はトリニダードなんちゃらかんちゃの唐辛子が使われているらしく、確かに一口目から質の違う辛さを楽しめたのだが、それが味を掻き消しているように感じられたので、無印の方が好きだった。モスバーガーは、まともな食事をしている感覚があって、それが強みですわね。えー、せっかく室内干しから解放されたと思ったのに、突如降り始めた雨に湿らされた洗濯物の重みを感じて精神的に気分が下がったので、今日はこれだけにします。部屋が湿っぽいしカビ臭いから、早く洗濯物を室外に放逐させてくれよな。