他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

「これにておしまい」と「これにておひらき」って相反してない?

3日連続で、夕方と夜の繋ぎ目に矢玉雨霰のような雨が降っている。比喩じゃなく外から「ズドドドド」という漫画でしか聞かないような音が聞こえる。ガガガガガでも、バリバリバリでもいい。どっちもまた同じく聞こえてくる。これが怖いので、洗濯物を迂闊に干せない。たった1分判断を誤るだけで、洗濯にかけた40分がおじゃんである。おじゃんって可愛いよな。当てる漢字がなさそうなのが素晴らしい。スナック菓子の商品名でありそうな気がするのだ、おじゃん。麻雀の点棒みたいなお菓子だったら嫌だな、夢がない。商品化するにあたってどういう形状にするのか、どのようなフレーバー展開をしていくのか、が見所になるだろう。市場にはすでに「バゴーン」という頭の悪い先駆者がいるので、「おじゃん」くらいでは愁眉を招くような事はありますまい。コマーシャルで一番推していきたいコピーは、「これまでのスナックを、全ておじゃんにする。」である。他所様から怒られたりするのだろうか。こういう誹謗中傷と捉える事も容易なフレーズを使ってしまうと。端っこに米印か*を打って、(当社比)と書いておけば文句は言われないだろうか。当社製品中で当社比くらいまで書かないといけないのだろうか。デリケート、というか、ただいたずらに炎上しやすいだけの被ターゲット層の事なぞ知らないけれど。私は放火魔には興味がないのだ。塩蔵わかめの塩抜きをした。袋を見たら3週間前に賞味期限が切れていたが、私は塩蔵の力を固く固く、それはもう強固に信じているので、躊躇なく調理した。塩は偉大なのだ。「塩の柱」とは言うけれど。一回では抜き足らず、二回の工程を要求された。塩蔵わかめ、貴様は結構な箱入り娘のようだな、塩蔵だけに。塩分がさっぱり抜けた後に、豆板醤と醤油を加えて、適当に混ぜて食べた。美味しかった。納豆かオクラみたいなネバネバしたものを入れるとさらによかっただろう。どうも作るものが酒のつまみみたいになりがちだが、いっそ酒を飲まないので意味はない。お茶と牛乳が捗る。他が坦々炒めと牛焼き肉だったので、期せずしてめちゃくちゃにしょっぱい食事になってしまったわけだが、坦々炒めのタレがきつく煮詰まっているのを見て、カップ麺も究極まで圧縮してしまえば小麦と塩分のキューブで表現できてしまうのだよな、と思った。世にはミニマリストという人々がいるらしいけれど、食事に対してもその信念を発揮する一味がいたとして、彼らはそういう「外形を捨象し、栄養のみを見た食事キューブ」みたいなアイテムについてどう思うのだろうか、と考えた。形の残った、調理を経た料理が人間の尊厳なのか否か。ここはミニマリストとは関係ないのかな。ソイレントとかあるし?

うっおぇっぱ

野ションや野グソなど、屋外で行われる排泄行為には様々あって、またそれらには付随するフェチがあるのだろうと当然のように推察するが、野ゲロはあるのだろうかと思った。野ゲロ。酔っ払いが潅木にぶち撒ける光景に、彼氏に腹パンされた女性がふと砂場に胃袋の中身を戻す眺めに、はっきりと自覚して欲望の招待を見る事はあるのだろうかと。あるだろうな。ついでに、露出狂のように、「人前でゲロする事に興奮する」嗜癖を持つ人はいるのだろうかと考えたが、いそうな気がする。露出狂なら、おおよそ局部を露出し他人に見せつけるものなのでお縄の心配がつきまとう。肘や耳を見せる事に異常に興奮するタイプの露出狂なら、見せる方も見せられる方も不幸ではない、なぜならそれらの部位は露出していても違和感がないからである。安心して露出できる。玄人にしてみれば、普通隠れている部位を曝け出すからこその露出であって、丸見えの部位を丸見えにする事は露出ではないのかもしれない。欲求の満たし方としては、公共の利益に照らして、健康的であると言えなくもない。また話が逸れた。人前でゲロ。人前でコートをはだけ隠部をオープンすればたちまち悲鳴と手錠が待っているわけだが、ゲロは迷惑なだけだ。迷惑なだけではないか。おがくずを撒いたり服に飛び散ったりといった付随する処分と実害が存在することは隠し立てしようのない事実である。それはそれとして、路頭で通行人が来るのを待ち伏せて目の前でゲロをげろげろするのは、傍目から見て「露ゲロ」とは考えづらい。ひどく酔っ払ってしんどそうと思われるだけだろう。いやいや、それ以前に、ゲロを人に見せて昂ぶる趣味の存在についてそもそも思いを巡らせないからか。日本は比較的酔っ払いに優しい国である。誰かしらが介抱してくれたりくれなかったりして、気候も夜道に倒れて寝込んでも凍死しない程度のものだ。地域にもよると思うが。ヨーロッパでは、路頭で行き倒れた酔っ払いが凍死しないよう通行人皆で軒下まで引っ張っていくそうだ。よほど重篤の酩酊でもない限り、酔いゲロには生死の濃い匂いがつきまとわない。別に酔っていなくても、気分が突然悪くなったとか、なにか腹の底から押し寄せるものがあったとか、そんなものでいいのだろう。人の目前で吐瀉物を垂れるもっともらしい口実は、全て露ゲロ趣味に洗われているはずだ。飲みサークルで介抱役を担当している女子などは、被ゲロ趣味に目覚めていそうな気がする。全て推測だけれども。

類が呼ぶものは

それひとつで味が決まる系アイテムの一つとして、『鍋キューブ』を大変推している。緑色のパッケージのやつは美味しかった覚えがある。発売直後に母が買ってきていて、その実力を知ったのだったはずだ。鍋キューブはうまい。向こう数十年のインスタント煮込み調味料ランキングベスト5から外れなさそうな程度には。この前の食料調達で、鍋キューブの系譜に連なる「入れて具材と一緒に煮込むだけで完成しますよ、簡単ですよ」系アイテムが並ぶ棚を見つけた。おおよそ、249円+税で4食分入りという価格帯で競争が展開されているらしい。大体の鍋キューブシリーズがよいのは知っていたので、気まぐれで、一番手近にあったが故に、エバラ『プチッと鍋』(坦々鍋)を買ってきた。今日初めて中身を見たが、転生に失敗したコーヒーフレッシュぐらいデカかった。ちょっと大きめの胡麻団子くらいあった。実力を見せてもらおうかと鍋に中身をぶちまけたら、容器の底にゴマ成分が全部残った。後で知ったが、使用前にはよく振らないといけなかったようだ。コーヒーフレッシュを振る習慣がないので、まさかこんな大きくない容器で攪拌の必要があるとは思わなかった。どうにか分離しないように頑張れなかったのかと不平の一つや二つでも漏らしたくなるが、問題なく排出されていったのはマーラー油の部分だったので、さすがに無理そうだ。その点、鍋キューブは全て固形にまとめる事でその類の引っ掛かりがないし、容器にほんのり残った内容物を見て「もったいない、けど取れるわけでもない」と貧乏根性を痛めつけてもこない。ビバ、固形調味料。あとは、想像以下にゴマもマーラーも感じず、なんか味がするだけの水煮に成り果てたくらいしか言う事がない。タレを作るのは上手いくせに、こっちはダメなのか。まあ、適材適所とも言うし、戦場に歯ブラシを持ってこられても困る。敵兵の味蕾をブラッシングで掃討したところで、ほとんど意味はあるまい。直腸粘膜をバリカタブラシで抉り取ればそれまた兵器とも言えなくはないが、正当な使用法ではないというのか、常識的な範囲内での使途でなければそれは考慮に値してはいけない。いや、それ以前に、歯ブラシの兵器的用法を考案するのが間違っていた? だけれど、手指の間にナイフを挟んで投擲してくる敵がいるのだから、同じように歯ブラシを挟んでぶん投げてくる敵がいてもいい気はする。デンタルキラーとか言って。投げた歯ブラシで歯を一本一本へし折ってくる敵。

列成す所以は並んでから

思い立ったが吉日らしく、思い立ってから立ち上がるまでがとても長い身としてはなかなか承諾しかねるところがあるが(吉日に字形が似ているから「古日(こじつ)」という言葉があるかどうか調べたらなかった。ありそうなのに)、今日は実行まで漕ぎつけたので、『まどマギ』を観た。テレビシリーズで全部ぶっ続けで観た。最初の何じゃこらから最後のうぇぇ……まで、特盛りのストーリーテリングを平らげた。今はとにかく「これには勝てないな」と思っている。正確を期すなれば、これ「ら」には勝てないだろうか。本物の大人たちが大鉈を振るうと、こんなものが出来るのだねと力づくのcraftsmanshipで納得させられた。ゴキブリやネズミは一匹いたら十匹いると言うが、アニメのキャラが一人いれば裏で十人くらいの人間が関わっているものなのかもしれない。一番敏感で一番表立っている伏線をあそこまでピンッピンに張り詰めさせながらも終盤まで切らさず焦らし解き放つ運びが素晴らしかった。数日前に西尾維新の伝説シリーズを読み終えたが、あれと同じくらい脳味噌が吹っ飛ぶスケールの話だった。今まであらすじについて想像していた時間を取り返したい。全部違った。うわぁ、うわぁ、うわぁ、であり、もしかしたらもう一回観返すかもしれない。とてもヘビーだったが、抱き石的な重さではなく、子供を負っている時のような重さだ。このまま真面目に重さを育てるのかどうかは知らんが、新たな度量衡を学んだような気分でいる。なぜヤード法が存在するのかといえば、ヤード法が存在するからである。メートルの民には親切とは言い難いが、なぜそれがそうなのかは中に入らないと、郷に入らないと分からない。「悪い遊びを覚えて、どんな連中とつるんでるんだか」と言い、それは事実で、遊びは人から学ぶものらしい。少なかったしそうしてこなかったから、分からなかった。悪かろうが品が良かろうが、こじ入るほどの間口が空いているだけで万々歳だ。脇を見せまいと隙を見せまいと裏に裏に回していたら、表も裏も行方不明になってしまい、スペアカードにさえもなれなくなってしまった。手札がオールブランクであれば、手札がそもそも何のカードなのか分からない状態では、そもそも勝負の火蓋を切って落とせない。ひとり、吸いさしの残り火で火傷して入るだけだ。人間はハリネズミではなく、ハダカネズミだ。それを分かってきたところで、ジレンマの投影が消えるわけではないにしても。

痛み分けを喜ぶなら、それはマゾヒスティック。

晩御飯にカレーを作りながら、「同じアパートに住む女の子から『いっぱい作り過ぎちゃったからお裾分けですぅ〜』とおこぼれを頂くイベントが起こんないかな」という妄念が頭の中を駆け巡っていた。残念な事に、現在の住居が一軒家なため、そういう事態はどうやっても発生しない。発生しないのである。悔しさに歯噛みしたいところだが、噛み合わせが悪くてできない。ともかく、女の子から「余っちゃって痛むのも捨てるものアレですし食べてください〜」っていうのが、いいな〜と思ったのである。「アレ」とか「〜」とかの言い回しは私の趣味だが。さて、ここでちらりと頭を掠めたのであるが、その(想像上の)少女よ、ありがとう、君の手垢は後々美味しく頂くとして、かような幸運に見舞われた際、「先方からもらって絶妙に嬉しくないメニューだったらどうしよう……」なる危険性がそこには厳然としてあるのだ。なんとなーく、そういう場面のテンプレートを、人生で目にした事がある限りで回想すると、定番のメニューはカレーや肉じゃがである事が非常に多い。むしろ、それ以外のメニューをほとんど目にした覚えがないと言ってもいいくらいかもしれない。「手料理にアヤシイクスリを混ぜて日がな隣のお兄さんにお裾分けして常食させる事で薬物依存に陥れ暴力関係団体の金ヅルに仕立て上げる悪いガール」をフィーチャーしたフィクションがあれば、美味しんぼならずとも毎話毎話メニューを変える必要があるはずなのでそのような単調性は生まれないはずなのだけれど、まあカレーか肉じゃがだろう。カレーか煮物、もはや煮物と単純化してしまってもいいかもしれない。煮物は、いっぱい作るのが簡単、いっぱい作りやすいからだ。(ガチャ)「すいません夜遅くに、ちょっと作り過ぎちゃって……」と言いながらポテトサラダを差し出されると、面食らってしまう気がする。ポテトサラダ? 嬉しいけど、なんで? なんでポテトサラダ? と思いながら食べる事になるだろう。少なくとも私は。魚の煮付けなんかが、結構なボーダーラインかもしれない。一体その子が(想像上の産物ではあるけれども!)どんな容器に入れて持ってくるのかで、今後どう接するべきか変わってしまいそうな気がする。タッパーか? 平皿にラップか? それとも鍋のまま持ってくるか? タッパーなら「それ古いやつだから捨てちゃって大丈夫ですよ〜」と言われる可能性があるが、それ以外の2つなら「後で洗って返します」として再度の邂逅を確約する事ができる。よさそうだ。ドアの前に置いといていいですよ〜と言われたら終わりだが。結局脱線してしまった。もしまだ私の所にサンタクロースが来るのなら、煮物を持った女の子が訪ねてきてくれないだろうか。「メリィ、栗スマス」。栗の煮物かー。

お前は私が倒す

メンタルから「そろそろ外に出ないとやばいぞ」というシグナルを受信したので、夕方も暮れたところで手近な国道をひたすらに辿る散歩に出ていた。賑やかしい方面から遠ざかったつもりではあったのだが、そこは東京、大体どこへ行っても都市部みたいなものなので、でっかい交差点やら高架やら色々あった。その交差点で信号待ちをしていると、近くに大学らしき施設があったからなのか、目の前でお若いカップル様がいちゃいちゃし始めた。いちゃいちゃし始めた。頭をすりすりしたり、頭をすりすりしあったり、二人して「えへ、えへ、えへへへへ」みたいな顔をしたかと思ったら突然ちゅーしたり。目前で繰り広げられる光景に、何だコレはと思わずして何を思えばよかったのか。なお、この場面に遭遇した私の胸中には、爆発とか爆裂とか爆散とか、そういった類の言葉は浮かんでこなかった。純粋にそれらの言葉がアウト・オブ・デイトな事もあるだろうが(めっきり言っている人を見かけなくなった)、そのカップル様が男女ともになんとも言えない程度の顔面をしていたからではないかと考える。中で庸で、並で平な凡である。ユーシッツ、エクスプロードとは思わない。ただ、「うわぁ……うわぁ……」としたくもない後悔を背負わされ、目を背けるという労働を押し付けられるだけである。意味が変わるかもしれないが、見ていられないのである。色んな意味で。未だにあの情景に対してはうわぁ……以外の感想がない。脳味噌のメモリーを無駄に食われたのが腹立たしい。以下はいつもの世迷言である。世に迷えるだけ、迷う世が手近にあるだけ、幸せなのかもしれないしそうではないのかもしれない。悪役が主人公格にやられて退散する時に、こてこてのテンプレートに則って口上を述べた場合、私としては一番しっくりくるのは「覚えてなさい!」「覚えてろよ〜!」というシリーズである。自分の事をしばき倒した相手に対して記憶の保持を求めるとは大層図太い神経をしているものだと思うけれども、大変可愛らしいものである事は間違いない。見送る側としても、「そんな事言われてもお前らみたいな雑魚をいちいち覚えてられるかカス」と嗜虐的な笑顔を心の中で浮かべていられるので、勝者を立てる敗者としての役回りはばっちりこなしていると言っていいだろう。で、この「リメンバーミー」的なセリフを、誤って「覚えててよ!」と言ってしまうキャラがいたら、好きになっちゃうんじゃないかという事を言いたかったのだ。「覚えてろよ!」ではなく、「覚えててよ!」である。ちっちゃい女の子みたいだ。末尾に(ぷんぷん!)とかついていそうで、胸がときめく。ツンデレっぽいからだろうか。よく分からないが。尻尾を巻いて逃げる「覚えててよ!」を見遣る視線の、満ち足りた優越感よ。

ひほふひはい(ひとくちだい)

一口大に切る。料理番組だとよく目にする表現だ。多分、「唇を不自然でない限りに広げた場合の口腔への侵入可能面積に収まる程度の大きさ」要するに「一口で食べられる大きさ」を略して一口大と指しているのであって、「一口よりも大きいサイズ」を意味しての一口大ではないのだろうと思われる。まあ、一口よりも大きく切り揃えられたら、食べ辛い事この上ないわけではないが咀嚼に至るまでの過程で不必要なストレスが溜まる事は確かなので、食べやすい大きさにカットしてもらえれば嬉しい。そう、頑張らなくてもよいサイズで。そういう意味合いを理解した上で問いたいのであるが、なぜゆえペニスサイズを語る時に「一口大」という言い回しが出てこないのだろうか。ここは意見の分かれるところであろうが、私がエロ漫画で一番好きなシーンはちんちんを咥えている場面なので、ちんちんは口に入れるものとして認識されても構わないと考えている。この前提をごっくんした上で、受け入れた上で先の命題を考えてみたい。ちんちんに対して「一口大の大きさである」と言う事は、褒め言葉なのだろうか、それとも罵倒なのであろうか。あるいは、逆に、「一口大の大きさでないペニス」は毀誉褒貶のいずれであるのか。胸に手を置いて考えると、脳裏に今まで見た事のあるさまざまなフェラチオシーンが走馬灯のように駆け巡るわけであるが、どの場面でも咥える側が普段の可動域とはかなり異なる範囲で顎を使役しているのは間違いないように思われる。顎が外れるほど、と言うわけではないが、ありきたりなバナナ(無論ここではフルーツの話をしている)を口淫並みにしゃぶろうとするだけでもたちまち顔面下半分がくたびれる。やってみればすぐに分かるのでやってみればよい。やらせる側に立つ可能性がわずかにでもあるならば、させる責任を自覚するためにもやってみればよい。ここは私的な経験に軸足を置いて、「平均付近に位置すると思しき太さのバナナでさえ必ずしも一口大とは言えない」としておく。とすると、「一口大のペニス」というのは、「お前のペニスなんかさして頑張らなくても頬張れる太さだぜ」という意味であって、やはり侮蔑的な意味合いの方に落ち着くようである。一口大のペニス。おねショタエロ漫画だとよく見る気がするが、それなりに成長した男性器にかける言葉ではないようだ。ついでにこの話もしておきたいのだが、ペニスの美しいプロポーションを表現する時に「〇〇頭身のスタイルのペニスだ!」と言わないのはなぜだろう。せっかく男性排尿器には亀頭という立派な頭がついているのに、それをスタイル描写に持ち込まないとは何事か。十頭身美ペニスとか、生きている間に一度は耳にして見たいものだ。巨根などという一律的で概算的なものではなく。

致死豆腐

直近1週間で、なぜか「蠱毒」という言葉を5回ほど目にした。意図してそういう方面の情報に触れているわけではないので、たまたまである。詳しい意味は調べればささっと出てくるが、なかなか笑えない代物だと思う。笑えないが、競争もまあ実際そんなもんだと思うと、これまた別の意味で笑えない。毒を以て毒を制しているのかはよく分からんが(食い千切ったり噛み千切ったり押し潰したりもしているのではないかな?)、生き残った最後の1匹は、もしかしたらただ身体が強かっただけかもしれないし、3位だったけれども1位と2位が相討ちになったことによって繰り上がりで1位になってしまっただけかもしれない。遅効性の毒を喰らっていて、チャンピオンベルトを頂いた後に、じわじわと蝕まれて死ぬのかもしれない。必ずしも生き残りが最強なわけではないだろうに、と気になる。中身が全員(全虫?)好戦的であったなら、サバイバーは間違いなくその中で最強だろうが、そうでなければそうでない、のでは、ないのかな? 毒虫というのはえてして、血が滾り血に飢え血で血を洗う血が流れているのだろうか。その遺伝子こそが毒だというなら、なるほど、バトルロワイヤルの王者を決める蠱毒は、これ以上ない最適解だろう。毒を以て毒を制している。別の話。「豆腐の角で頭ぶつけて死ね」という暴言がある。豆腐はソフトだが、言っていることはハードコアに暴虐だ。暴虐と言うか、無茶難題だ。これに即物的な意味以外があるのかどうか知らないけれど、もしただひとつの解釈しか残されていないのだとすれば、それは、言っているやつが怒り心頭のあまり正常な思考能力を失って前後不覚になっているだけだ。整然とした理路から、豆腐に足を取られてガーターしている。なぜ豆腐をチョイスしたのかに関しても疑問が残る。湯葉とか麩でもよかったはずなのだが、なぜか豆腐だ。朝ご飯に添えるもう一品は、豆腐と心に決めていたのだろうか。むりくりな事を言っているという事実はともかく、豆腐を題材に取り上げる点については譲歩するとして、頭部を豆腐で殴打する以外に痛い目をみやがれこの野郎と伝える術はなかったのだろうか? 例えば、「鼻の穴に豆腐詰めて死ね」ならばくずくずに砕けた豆腐が鼻奥と咽喉に居座り続けて不快極まりない流動感をもたらし続けるだろうし(死)、「豆腐詰めのドラム缶に入れられて東京湾に沈め」でも悪くはない。イソフラボンと無理心中など、あまり名誉な事ではない(同じくらい、不名誉な事でもない)。扱われる中で真っ先に削れてなくなりがちな「豆腐の角」に、なぜ注目したのか。そこに頭でもぶつければ分かるだろうか。

腹も膨れない

思いついた事をテキトーに打ち込んでおく下書きメールフォルダが、ガラケーの中に存在する。ガラケーだから打ち込んでいるのである。当座の備忘録として機能したり機能していなかったり様々だが、最近打ち込んだ中でダントツに意味が分からないのは「電子モスバーガー」という言葉である。ふらふら歩き回っている最中にふと見かけたモスバーガーから着想を得たのもしっかり覚えているし、なんだこれは意味が分からんぞと自覚していたのも覚えている。が、しかし、この「電子モスバーガー」というワードは、私の頭の中に奇妙に引っかかるものがある。それこそ言語化できない程度のもやもやした違和感ではあるが、頭の中で音だけを反芻するにとても心地よい。理由は全く不明で、きっと脳内の複雑緻密、千変怪奇なシステムのどこかしらを刺激するからなのだろうけれど、こういう不可解な歯応えの言葉が見つかる事はそんなに多くない気がする。たまに、忘れた頃に。字面の操作は得意だが、奇跡的な相席に出くわす事はとても珍しい。ツーショットを撮っておかなければならない場面だ。なのでここに、字面という媒体でツーショットを残しておく事にする。いえいいえい。電子モスバーガーと。電子モスバーガーに、結婚式の友人代表スピーチを任せると、いかなるキメラ言語が飛び出すのか、今から楽しみだしその欲求が満たされる事もない。現状こやつは存在しないからだ。別の話。悪役の決め台詞が、「これでザ・エンドだ」だったら、めちゃくちゃにダサいな、と思った。ここで意味される「ザ・エンド」とは、もちろん「the end」であり、いくら日本語がアルファベット発音に対して特効が少ないとはいえ、「ジ・エンド」と綴られるのが正しい場面である。「the」の発音が、母音の前でどう変化するのかという話で、もしヒールが「ザ・エンド」とでも口にしようものなら、たちまちのうちに無教養を晒してしまうであろう。ついでに、人の間違いを暴き立てて愉しみを覚える一部の人たちに、束の間の娯楽を提供する事だろう。それこそ、関係者の社会的生命を「ザ・エンド」するくらいには。それはともかく、もしこれがタイプミスでなかったら、という前提を設けると、この口上を語るキャラクターに、何かしらの背景をひっつける事ができるかな、と思ったのだ。「ジ」ではなく「ザ」である理由、などなどの。単純な「英語を知りませんでした」ではなく、もっと根が深いタイプの。「ここは『ザ』じゃなくて『ジ』だろ」と、もっともな先走りをした読者が恥ずかしくなってしまう類のエピソードを。まあ、私には皆目思いつかないのだが。

冷やし中華が夏に始まるなら、冷やしフレンチは秋に始まるのか。

夏を物語るアイコン、記号の一つに、「氷」の字が書かれた看板(看板というよりは布切れ?)がある。背景で、海波がざっぱーんしているやつである。どうしてあれだけで「かき氷」を指すのかいまいち分からなかったのだけれど、今日ひとつの閃きを得た。もしかして、あれは判じ絵的な性格を持ち合わせているのではないだろうか。というのは、「かき氷」=「欠き(「かき」を欠く、行為として氷を欠く)/書き氷」というダジャレによって、「氷」一文字が「かき氷」を表していると考えると、腑に落ちるからである。これが極めて推測外れな、明後日の方向を向いた誤射であったら目も当てられないが、その時はその時で全く関係ない道筋からでも目的地に至る事はできなくはないという教訓を得た気分になるので問題ない。都市伝説などもそういう類だが、机上の空論は、机上では実体が少なからずある。対話相手が着席してくれるかどうかは全く別の話だけれど、同じ土俵の上に立つ限りでは無視できない実論のひとつなのだ。主観的現実とでも言おうか。同じカメラ視点を採用してくれるかどうか。また別の話をすると、「すきやばし次郎」と「先走り汁」は同じリズムで構成されている事を発見した。人目につかないところで、「すきやばし次郎」「先走り汁」と交互に口にしてみると、とても口馴染みが似ている事に気がつくだろう。気がつかないならそれまでの話だけれど。いまいち感覚をつかむのが難しければ、「すきやばし次郎」「先走り次郎」の組み合わせで実感してから本番に臨んでみるのがよいだろう。先走り次郎とは何ぞや、と立ち止まる暇があったら、音の類似に思いを馳せていただきたい。高級料理店とちんちんの分泌物が、音の平面だけとはいえ近場に存在する事実に、くすりとする心の余裕があるかどうかであなたの人間としての在り方が如実に現れるのだと主張しておけば私が変な事を考えてもっともらしくプレゼンしているだけだという責めを塞げるだろう。風呂の水道管がかんっぜんに詰まったので、ドラッグストアでパイプの汚れを溶かす系液体を買ってきた。私はパイプユニッシュに馴染みがあるのだが、それではないので回りくどい描写を強いられる事となった。千円くらいはするかと身構えていたら、三百円くらいで十分なものが買えた。安い。想定よりも詰まりがひどく、ボトルの7割くらいを消費してしまったが、なんとか流れるようになった。重畳重畳。もも水は変わらず美味しいままだ。

銀幕の外では気安くない

人と会った。家族以外で、こいつには遺言を残そうと決めている人間(総計三人)のうちの一人である。東京に足を運んで遊び回っているというので、最寄り駅まで迎えに行った。行きたい店があると言うので、夜になるまで時間を潰すのにファミレスでグダグダしようと思ったのだが、荷物を置くついでにもう私の家でいいだろうと決定し、パック飲料二本と少々のお菓子を買って帰る。くだらない話をしているだけで4、5時間があっという間に過ぎて行った。くだらない話というのは、内訳をとてもではないが「そいつの名誉の為に」話す事ができない程度にくだらない話である。毎度毎度会うたびにとんでもない事実を絨毯爆撃していくので、気の休まる暇がないと同時にとても楽しい。人に会う事は、私の中で肯定的意味を持たせる事が極めて難しい行為に分類されるのだけれど、こいつは違う。こちらが赤面して縮こまりそうな事を平気でぽいぽいぽいぽい投げつけてくる。言い忘れたが、私が♂でそやつは♀である。下ネタは冗談だが、事実は体験談だ。宅中での会話内容を思い返してみても(すでに大方忘れたけれど)、今この場に残しておけるものがほぼない。書かない方が精神衛生上大変によろしいと推察されるドレッドノート級雑談が連発された。一応、四六時中お下劣で下世話な話をしていたわけではなく(あの時間を24時間換算すれば21時間くらいはそんな内容だったと思われる)、人生設計やキャリアパスについて意見交換をした時間もあったのだ。気持ちの悪い単語が3つも並んでしまったので均衡を取ると、かなりの割合でずっこんばっこんの話をしていた気がする。一緒にいると、脳味噌が中学生あたりにまで戻る。話し相手に合わせるというのはそういう事である。お土産にうなぎぱいの箱を賜ったが、中を見ると2枚しか入っていなかった。箱が綺麗だからあげるよ、と言われたが、体良く押し付けられただけだろう。こういう場面で不快さを感じさせないあたり、さすがの甘え上手と言ったところか。一緒に食ったカレーは存外に辛く、かなり辛く、今でも胃の中でずんずんと火照った疼きが胃壁を踏みしめまくっている。ご飯を食べた帰り、駅に送っていく道中で、指サックを買おうとアダルトショップに立ち寄ると平然とついてきた。平然とディルドで遊ぶわローターの振動に感心するわで、一緒にいるこちらがきょどきょどした。長い時間ローションを品定めしていたが、興味でもあるのだろうか。駅でツーショットを撮られたが、私は死相が浮かんだ壮絶な顔をしていた。身体に気をつけるように言われたが、あちらも健康とは言えない生活をしていた。今日のような日が、70年後もあれば良いと思った。

空駆ける

アストログライドというアイテムを知っているだろうか。端的に言えば、ローションである。その用途がスケベであるかスケべでないかは使う者によるとして、ぬるぬるローション相撲やローション滑り台などで用いられる、あのローションだ。しかし、「ははあローションの話ですかなるほどなるほど」などとピンと来たからといって、こいつを侮ってはいけない。アストログライドは半端ないのである。まず、高い。高い。写真を見てもらおう。見てもらおう、とか言っておきながら、おそらく記事の一行目を読み始めた目端にずぅっとちらちらちらちら映り込んでいたはずだから、意識してもらおうの方が適切かもしれないが。

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左が件のアストログライド、右がMacbook Proのりんごマークである。どう考えてももっと適切なスケールが他にあったような気がしてならないが、すでに写真を撮ってしまったので仕方がない、このまま話を続けさせてもらって構わないだろうか。構わない? よろしい。ボトルのサイズ感としては、背が低いタイプの焼肉のタレを想像してもらえればいい。片手ですっぽり持てるくらいだ。それで、それだけで、1800円する。「なんかアストログライド欲しいな!」という思いつきでデパートM'sに行ったら、そんな値段だった。高級ローションだという事は最前より耳にしてはいたが、実際に目の当たりにすると不安になる。もしかして、腹一杯にならないボッタクリおしゃれ小皿コースを注文してしまったのではないかという不安に駆られつつも、過去目にしたベタ褒めレビューを思い出した。結果、Appleとローションが肩を並べてツーショットを撮る事となってしまった。世界中にMacがある中で、ハメ撮り編集に使われている機体も少なくはないだろうから、実はそれほど違和感のある取り合わせではないのだろう。多分。さっき風呂場で使ってきたのだが、感動的なまでに凄まじく高品質なローションだった。涎を「えろー」と出したくらいの分量が、使用している時間中ずっと出した時の状態、さらさらでのびのびでぬるぬるをキープしていた。そのさらさらのびのびぬるぬるも全くストレスがない。スパコンでペイントを動作させているようなものである。伝わるだろうか。すごい。まだ経験はないが、これでマットプレイをしたらさぞかしローションが節約できるだろうとこすい事を考えた。一滴が、一滴でも大変に有能だと言いたい。最後はシャワーでしゃわーとするだけであっという間に落ちた。牛乳石鹸より早かった。あまりに前評判通りのウルトラ高性能だったので、値段にも納得がいった。よいものは高く、高くても買われるからよいものなのだというおおよその真理をまた一つ身体で知った。

或る乳製品に見る階級闘争の例

存在感として、プリンのカラメルが丁度いいのではないかと思う。あれがあればプリンだし、かと言ってカラメルの部分がなくてもプリンではある。あの部分をやたら好く人もいれば、苦いと敬遠する人もいる。そうやって強く意識する人は、おそらく一握りで、大半の人は気にも留めていないだろう。カラメルの有無はプリンのアイデンティティに、それほど大きな決定裁量権を及ぼしているわけではないからだ。わざわざ別の皿に引っ繰り返すか、器の底まで掘り下げないと目に見える範囲に現れない事も重要である。どうでもいい人には終生見えないからだ。この態度には、色々良い点も問題点もあるが、人目に触れたい気性の人は、腕っ節を鍛えて、上部の黄色い何と呼ばれているのか分からない部分を押し上げシャバの空気を吸いに行くとよい。そうでもなければ、外界から覗き穴(プリン容器の底についている、「プッチン」するための突起跡を指す。余談だが、海外のプッチンプリン的なプリン達には、折るのではなく引っこ抜くタイプの突起がついている)を設けられない限り、こちらの平穏は安泰だ。こちらはカラメルだが、上の黄色い部分は、私がド阿呆なだけかもしれないが、名前を広く知られていないし正式な名前があるのかどうかも分からない。yellow part of puddingであって、簡潔にサラリと説明できない。お笑いコンビが腐される時に使う、「カラメルとカラメルじゃない方」という説明を持ってくるのが一番分かりやすい。あちらはこちらに存在の基底を握られている気がしてくる。縁の下で力持ちをして貢献している気分になる。だが、プリンの実体を占めるのはやはりその黄色い部分が優勢なわけで、プリンをカースト図だと考えると、黄色い部分が叛逆放棄に立ち上がった場合、或いは単に彼らが足並みを揃えてこちらに向かってきた場合、少数富裕層或いはハブられ者集団である我々カラメルには為す術もない。一瞬で叩きのめされ、カーストが黄土色に染まる事であろう。黄色+茶色=黄土色である。字面の面で、茶色はどこかに行ってしまったが、黄色は残っている。カラメルの負けである。名前も分からない、どこの馬の骨だか分からない(牛の乳と鶏の卵だが)黄色いヤツの勝ちである。それほど危ういバランスの上に、プリンは成り立っている。実際、つつくとすぐにプルプルと忙しなく揺れて、落ち着きがなく安定感がない。その潜在的不調和が笑顔を生むのであるから、世の中は分からないものだ。どうしてこんな事を書いたのかも分からないが。

奇抜提灯

台風の猛威を感じなかった。夜眠っている間に通り過ぎてくれたものと見える。網戸と窓ガラスがびっちょびちょだったので、その片鱗は窺い知ることができたが、それは「先刻までこの席に誰かが座っていたんですね」と電車の座席に忘れられたハンカチで乗客を感じ取るようなものであって、コミュニケーションとかそういうものではない。胸ぐらを掴んでボッコボコにされた人もいるようである。ふわりと香るくらいで幸せだったのか否か。天災だけに、神のみぞ知る。飲屋街を知っているだろうか。店に入った事がなくとも、そのエリアの空気感くらいは知っているはずである。私はさっぱり飲屋街とは縁がないが、あそこはあそこで独特の独自文法を持って雰囲気を醸成しているため、昼間に散歩する分にはそれなりに楽しい場所である。夜はアルコール臭くなるので論外だ。チェーン店はチェーン店なので、おおよそ画一的でどうにも興の乗らないものがあるが、個人経営やチェーンなのか私営なのか微妙なラインの居酒屋なんかは面白い。以前住んでいた近所には、焼酎のラベルを外壁に所狭しと貼り付けまくった店があった。清潔感のない店だったはずだ。懐かしさを感じさせる彩色のポスターをはっつけている所もある。傍目にはとても居酒屋とは見えないお洒落な外装の店もあったりして。十店十色である。で、木材メインの小屋っぽい、これぞ居酒屋みたいな居酒屋は、たいてい軒先に大きな提灯を吊るしている事が多い気がする。その提灯には、「焼き鳥」だとか「生ビール」だとか「居酒屋」だとか書いてあって、その場所をその場所たらしめる重要なアイコンとして機能していると思うのだけれども、この間、歴代で最もキャッチー「ではない」提灯を発見した。先の3例から察せられるように、軒先ジャイアント提灯は、その店のウリや場所柄をアピールするために吊るされている。幟なんかもそうだと思うが、客に魅力的に訴求する手段の一つだと私は思う。できるだけ、なるたけキャッチーに整え、客の足をこちらに向かせようとするためのサインだ。しかし、この間見つけたものに書かれていたものは、果たして、「芋煮込み」であった。芋煮込み。芋……。煮込み……。絶妙にキャッチーではない。「さきいか」の方がまだキャッチーだと思う。芋煮込みである。まさかの。少なからず重要な場所に「芋煮込み」を持ってくる感性からして、おそらく里芋の煮っ転がしなのだと思われるが、それにしても、世の人々は「おっ、ここ芋煮込みやってんじゃん、入ろーフッフゥー!」となるのだろうか。経験が乏しいため分からない。potato headはどちらだ。

conquest of a uniform

日本の牛乳はまずいな〜、と思った。まずい。多分高いものを買っても同じ事を思うだろうので、これはそういうものとして受け入れておくしかない。日本の牛乳は口に合わない。口に合っていたが、よそのものを口にして馴染んでしまったため口から外れていった(そんな言い方はない)だけの事である。カバンの中で、香草タイムが収まった容器にUSBコンセント変換プラグがめり込むという形容しがたいアクシデントが起きており、大量の香草がぶちまけられる結果となった。掃除機で吸うなりなんなりの対策を講じなければならないのだが、めんどくさいのでまだ何もしていない。小さいとはいえ、異物(葉っぱ)が散乱している状況は心地のよいものではない。嫌いなやつのカバンの中に、クローバーの葉だけを千切って忍ばせると大変効果的だろうと思われる。ちまちましたものがいっぱいある光景は、なんとなく嫌だ。めちゃくちゃに屋外は風が強く、スーパー帰りに強風に煽られ、頭髪で視界が覆われた。長い長いと言われていて、あんまり自覚はないのだが、過去無かった程度に視界が毛髪で隠蔽され、なるほどこれは確かに伸びたと言うのが適切だなと感じた。身体が煽られる感覚さえあったので、相当な風である。大したものだ。台風だけに。スーパーに向かう途中、前方から大量の制服JKが押し寄せて来た。ポロロッカである。近所に結構でっかい女子校があるのは知っていたのだが、その放課時間に符合して行き合わせたのは初めてだった。もしかすると、夏休み明けの始業日でもあったのかもしれない。分からない。わざわざ行事予定を調べるほど執着はしていない。ともかく、前方から山のような制服JKが波のように押し寄せていたのである。目の前に膨大な量の記号が展開された気がして、脳味噌が混乱した。情報を処理できなかった。顔よりも先に制服が頭の中に入ってくる。普通の、このくっそ暑い気候にあっても冬服を着ているの、さらにその上にカーディガンを着ているの、よく分からない着崩し方をしているの、とりどりいるものだ。もしかするとJKではなくJCだったのかもしれないけれど、制服というアイテムが持つ記号性について、思考を巡らせないと思考を制服に持っていかれそうな気がした。そして、かつてソープ嬢が着ていた「制服」のチープさを思い出した。ああいう場所で本物を着ていると、風評被害(風評というか実害だけれども)に繋がるんだろうか。午後の5時間くらいエロ漫画を読みっぱなしだったので、思考がそちらに持っていかれる。