他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

進軍するから悪路を立てよ

今日のかぼちゃの煮物は美味しくできたと冒頭で自慢しておきたいと思う。ひとしきり煮の過程が終わった後に、20分ほど火から降ろして放置しておくと(IHなのだが)、味の馴染み方が違う。プラシーボかもしれないが、そう思わないよりはそう思った方がいいので、粗熱をとった後の方が煮物は大概美味しいという事にしておく。IHという、選り好みの激しい調理器具を導入してしまったばかりに、以前愛用していた雪平鍋(大小2つある)が使えなくなり、少し持て余すサイズの鍋で煮物をする事を強いられているが、「雪平鍋=アルミ」「IH=アルミ非対応」という容赦の無いほどに相反する命題がぶつかり合っているのでどうしようもない。外で焚き火をしてそこに雪平鍋をかけるか、ガス機器を導入するかの2択である。ここまでを「雪平鍋ってなんやねん」と思いながら読んだ人は、検索してみればいいが、雪平鍋は可愛い。鍋界のティーンアイドル的立ち位置と言ってしまってもいいだろう。寸胴が、紅白でトリを飾る演歌歌手である。「YU! KI! HI! RA!」とコールする事も不可能では無いと思うので、煮物系アイドルグループをプロデュースする機会があれば……あれば……。応援うちわに雪平鍋を採用したいところである。今日もウルトラ何もしなかったが、スーパーに買い物に行くために夕刻外に出ると、「うわさみっ」と感じたので、冬がひたひたと近づいてきているのだろう。冬に足音のオノマトペを当てるなら、まず「どかどか」ではないだろう。「ダッダッダッ」とかでもない。あの肌触りを思い出すと、やはり「ひたひた」に軍配が上がるのではないかと推測する。しかし、冬には冬将軍という隠しキャラが実装されているわけで、冬将軍が進軍する際に当てられるべきSEは、もっと重厚で無骨なものの方がふさわしいのであろう。しかし今日は何もしなかったな……。昨日読み残した悪魔のメムメムちゃんの残りを全部読んだ。途中から「絶対面白いの分かっとるやんけ」と思いながら読んでいた。作者を信頼しながらコンテンツを享受するのは、伴う快楽も大きいがその経験を得る事が難しい。痒いところにぶっすり刺さるようなものを見つけた時に、これよこれ、と思うので、原体験の模倣をもう一度、と一度巣穴に持って帰ってから、日が暮れるまでまた探しに出かけている。一見開きに2つ3つボケがあるので、毎秒ボケてほしい私としてはとても気持ちがいい。コントみたいな人生がよかったね。

口移しという調味過程について

冷蔵庫の中で数カ月に渡り放置されていたチューブタイプのウェイパァーを処分するため、フライパンに投下した。チューブタイプの避けられない運命であるが、入り口の方に少しだけ、根気よくほじくり続ければほとんど掃討できるものの、そこまでして頑張りたくない程度に内容物が残る。最後なので、チューブ口が多少汚れようとも痛くもかゆくもないという事なのだが。今日の私は、何を思ったか、「後で口に入れば、腹に入れば一緒だろ」という思考に基づき、口で内容物を吸い出し、それをフライパンに適宜移していくというバケツリレー式人工呼吸とでも呼ぶべきメソッドを思いついた。浅ましいのでなかなか思いつかない気がするが、振っても振っても出てくるし出てこないので、これはもうこの手段に訴えるしかないと思ったわけだ。数カ月放っておいたかと思ったら別れの瞬間にはこれなのだから、非常にめんどくさい性格をしている。善は急げとばかりに、チューブに吸い付いた。ちゅぅぅ。出た出た。思ったより出ないが、出ないよりはよほどマシだ。一円もないよりは、一円はあった方がいい。一円を笑う者は一円に泣くらしいが、現代では一円くらい笑い飛ばす気概がある人物の方が表に出ていくのではないかと思ったりする。ともかく、この鶏ベースペーストをフライパンに移さなければならない。ふと、魔が差して、味覚に意識をやった。口の中にものがある事はそれほど珍しい事ではない。ただ、ウェイパァーの味がどんなだったかしらん、と気になったのだ。味蕾が爆ぜた。しょっぺ。しょっぱかった。冷蔵庫の中で虎視眈々と雌伏の時を過ごしている間、じわじわと水分を飛ばして、その濃度を限界まで高めていた。よく見れば、私の記憶よりも数段クリーム色が濃い。人生で初めて、そう言おうと思わずに「ぐああ」と口にしながらフライパンに吐き出した。小指の先ほども絞り出せていなかった。目の前にあるウェイパァーのチューブを途端に恐ろしいものに感じ、ゴミ箱に放った。鶏ガラベースって嘘だろ、と思うほどに塩の味しかしなかった。骨髄溜まった恨みで、背後からぶすりとやられたような気分になった。アニメイトにカガクチョップの新刊を買いに行ったところ、悪魔のメムメムちゃんの新刊が出ているのに気が付いた。ネットで最新話をさらっと読んだ時に、簡潔にまとまったコントみたいだと思ったので、衝動的に全巻買ってきた。久しぶりに年齢指定のない本を買った。ご飯食べたら読む。

しめりけヒップアタック

3日くらい室温で放置しているお茶を飲んだせいなのかどうかは分からないけれど、継続的に、うっすらとお腹が痛い状態が続いた。座り心地の非常に悪い椅子に座って、あ〜、お腹痛いですね〜、とぼんやり痛覚と会話していた時、ふと、夏に受けた大腸カメラ検査の痛みを思い出した。体内でぐりんぐりん蠢く異質で硬質な物体がもたらす鈍い痛み、それに伴うぼんやりした不快感(麻酔が効いているのではなく、痛みをまともに感受したらやばいという本能が優しさを発揮して意識をほとんどシャットダウンしてくれたから)がうっすらと蘇ってきた。めちゃくちゃに不快で痛覚をこねまわされたので、正直ほとんど覚えていない。「ここ切除するよ〜」「ここにあるの分かる?」とかいう質問を投げられて、どんな返答を返したのだか曖昧にしか推測できない。あの感覚を再び噛み直し、「レイプされた時の意識の十分の一にも足りないかもしれないけど、こんなひどい事されてほしくないししたくないな……」と思った。結構本気で思っているので、自戒のために大腸カメラを突き込まれるのはおすすめである。痛い。お腹も痛い。電車のモニターに流れ行くCMをぼんやり見ていると、どうやらポータブルウォシュレットが新発売されたらしかった。スポイトみたいなやつで、押したら水が出てお尻をキレイキレイしてくれるという、まあ要するに洗浄液入りスポイトだった。習字セットに、どうして入っているのかよく分からないスポイトが入っていたと思うが、あれである。口の位置は多少違うけれども。そこまでしてお尻を、もっと直接的に、ダイレクトに話題の俎上に登っている部位をあげると、そこまでしてお尻の穴とその周辺を執拗に綺麗にしておきたいだろうか、と疑問になった。通常のトイレ教育を受けた者であれば、そこまで過度に不衛生な状態で大便後の処理を怠るという事はないはずなのであるが、これは一体必要なものなのだろうか、と。確かに熱心なウォシュレット信者はそこそこの数いて、スーパーのレジ待ち列にウォシュレット対応のゴツいペーパーを持っている人がいたりするが、それにしてもそこまで肛門を水で洗っておきたいですか? と聞きたくはなる。トイレットペーパーも十分有能だと思う。水で流したい人は、まあすればいいと思う。施設が許せばの話であるが。それを、なんと、ウォシュレットをスポイトまで矮小化する事で利用可能にするとは、何と言うか、そこまで労られるお尻が羨ましくなる。

異形の花の前に手折り

胸に手を置くまでもなく、何もしなかった一日だった。生産性という言葉が本当に苦手である。話をずらすと、Macは使用感は抜群にいいが、内蔵の日本語辞書がどうも微妙である。63点くらいの精度で変換してくれる。よく変換をミスる。Windowsはある時期を境にクラウド辞書が入るようになって、それはそれでおかしな事になりはしたが、Macの方は本当に、あと2歩くらい足りない感じで微妙である。孫の手というか、孫の指で届かないような、そんなこそばゆいを一段階不快寄りに寄せたような。ATOKくらいとは言わなくても、単語の並びからどう考えてもその変換にはならないだろ〜という頓珍漢をしばしばやらかしてくるので、いざ本物のふしぎちゃんを相手取ると、こんな心地になるのかもしれない。私は生涯で、「本物の」ふしぎちゃんと実際に邂逅しコンタクトを図った事がないので、確たる手触りに欠ける言にはなる。その皮を被ったゲテモノには幾度かお世話になったが。何かしたいという気持ちさえ湧いて起こらなくなったので、本当にハンガーか何かになった気持ちになる。雨で重くなったゴツいバスタオルを抱えていたせいで、何本かのハンガーは痛ましく変形してしまった。針金の背負った宿命を、その歪な形に感じた。今日はまともに洗濯物を心置き無く干してもいい日だった。多分乾いていると思う。触って確かめるのが怖いのでなんとなくほっぽったままにしているけれど。スーパーに行ったら、ニンニクの芽を売っていた。30センチもないくらいに切り揃えられ、いっぱい入ってパッケージににんにくの芽と大書してある。遠目に見ると鉛筆みたいだ。今まで意識してニンニクの芽を買った事はなかったのだが、一つのパターンとしてこういう売られ方をしているのだな、という勉強にはなった。それにしても大量に入っているので、三分の一を食べる前に飽きるだろう。キクラゲと一緒で、それ単体を貪り食うような食材ではないと思う。好きな人はそりゃあ、それ単体でも食べまくるのだろうが、あくまで数多ある食材のうちの一つとしての認識を出ないそれに対しては、ほどほどに付き合ってさっさと忘れたいというスレた恋愛観みたいな感情しか抱けない。アラが安かったので、鯛の煮付けを作って、箸をつける直前になって思い出した。鯛は事前に鱗を取らないと、汁気の中を泳ぎ回って舌触りが最悪になるのであった。完全に忘れていた。案の定、とんでもない邪魔者として食事を阻害してきた。またの機会には思い出すようにしたい。

それは期待ではなく

朝起きると、これまでの失敗を取り返せと急かしているように、空が晴れていた。3回洗濯物を干し、3回洗濯物を雨にびっしょびしょにされた後の寝起きである。今日は勝てる、と思った。晴れの日のしるしが出ていた。L'Arc〜en〜Cielが「ピーカン」と呼ぶには白雲が少しくたゆたっていたが、それでも晴れていた。今日干さずして、いつ干すのか。晩のうちに部屋干しをしていた洗濯物を嬉々として洗濯竿に移していく。昨日散々期待した昨日は、本当に、何の足しにもならなかった。洗濯機についている風乾燥コマンドは、「しとしと」を「しと……しと……」に軽減する程度の効力しか発揮しなかった。金を払ってランドリーする以外には、お天道様の力を信じるしかない。長らく目にしていなかった心地さえする太陽を眺めながら、家を出た。安い洗濯機だと、風乾燥は何の意味もない。ただ騒音を撒き散らしながらドラムが回転しているだけで、風っぽい音が何も聞こえてこない。もしかして、ドラムの回転による空気との摩擦を風と呼んでいるのではないかと疑いたくなるほどに、何も起こらなかった。パルプンテに全てを託し、そよ風さえ起きなかったその時のように。地球の裏側では、誰かがトラックに轢かれていたりするのかもしれないけれど。用事先に行ったら、突然「いっこあげるよ」と柿をもらった。「これもいっこあげるよ」とヨーグルトを渡された。贈与主は、一見行動の意味がさっぱり分からないが、行動原理を聞くと「あぁ〜」と納得される、一筋縄ではいかない歯ごたえのある、あるいは歯に挟まる人物である。なかなかに結構な理由を突然聞かされたので、リアクションに困って「あぁ〜」と返す他なかった。突然暴投できるピッチャーは、もしかして強いのかもしれないと思った。日が出ているうちは、それはもう晴れていた。ラジオから10月並みの陽気です、とのニュースが聞こえてくる。明るい。気持ちよく乾燥している。家に帰り、パリパリの洗濯物を取り込む事を想像した。4回目の悲劇はごめんだった。そこからの帰り、以前それはもう全身全霊を捧げた場所に寄った。今は全くそうではない。かつて、「将来ここのためになればいいな」と私が心血を注いだ遺産が、チリ一つも石くれ一つも残っておらず、爆心地グラウンドゼロ状態になっているのを目の当たりにして、誠意とか親切心とか、そういうものが蔑ろにされると、虚しいものだなと思ってだるくなった。そこを出ると、雨が降っていた。またか、またか、またまたまたか、と思った。びしょびしょになる前に、なんとか家に帰った。急いで救出すると、洗濯物諸兄はすっかりしんなりしていた。濡れてはいなかった。そう思いたい。もういいや、と思って、取り込んだ。

枕を濡らす前に

またかぼちゃの煮物を作っている。多分、私は、かぼちゃが手元にあれば、毎晩かぼちゃの煮物を作ると思う。美味しいからである。それ以外に、特にない。入れる肉は変える。今は豚肉を入れているが、一番好きなのは鶏モモ肉を入れたものである。鶏肉の黄色っぽい脂とかぼちゃの橙色がいい感じになる。肉の脂で一番好きなのが鶏肉のものであるという嗜癖も大いに関係しているとは思うが。少し前に、稲庭うどんを買ってきて食べた。名前しか知らなかったが、店頭で見比べてみると、普通のうどんに比べて細い。普通のうどんをミミズとすれば、稲庭うどんはサナダムシくらいである。いちうどんポーション(上手い言い方が見つからなかったのでこんなぎこちない形容を取ったが、よく考えると一食分でよかったのではないか)あたりの密度も高い気がする。年越しうどんを食べるなら、稲庭うどんの方が細く長くで縁起が良さそうだ。そういえば、うどんを入れているのはかぼちゃの煮物にである。字面に起こして外見を想像すると、なかなかに壮絶で極まった感じのある料理ではあるが、要するに醤油味のタレにうどんが浸かっているだけなので、意外と違和感はない。味噌汁に餅が入っているようなものである。ぜんざいに餅が入っているほどではないが、正月付近で餅が余ると、味噌汁や粕汁に餅が入る事頻りである。地域柄、家庭差かもしれない。だが、まあ、餅味噌汁も、大豆と(もち)米なので、納豆ご飯を食べているのとあまり変わらないと暴論する事もできなくはない。3回ほど連続で、干した洗濯物が雨にやられた。被害洗濯物は1回目から3回目まで継続して被害に遭い洗濯機で洗い直され、そのたびに雨に晒され直している。おかげで、今日着る服こそあったものの、風呂から出て身体を拭くタオルが枯渇した。5、6サイクル準備していたにもかかわらず、洗って復帰させようとするたび雨の魔の手にかかって出戻りしてきたので、何の役にも立たなかった。このような緊急事態に陥ったので、洗濯機に搭載されていることは知っていたが使おうとは夢にも思わなかった「風乾燥」機能を起動するに至った。やっすい洗濯機なのでどこまで出来るのか大層実物なのだが、今現在目下もっぱら風乾燥してくれている。洗濯槽カビ除去3日後に元通りになっていたような環境から放出される風が果たしてどれほど気持ちの良い乾燥に寄与するのか注目したいところだが、その前に、風呂上がりに何で身体を拭うのかを考えながらかぼちゃの煮物に稲庭うどんを投入する。

食用パンの延伸

電車の最前車輌に乗っていると、運転士とおよそ同じ視点で進行方向を向く事になるのだが、進みゆく方をぼんやり見ていると、そりゃあ、こんな進み方している電車の前方に突然人が現れたからといって、前方に突然人が見えたからといって、急には止まれないだろうなと思う。きゅるきゅるきゅる、ぷちぷちぷち、べきべきべき、と乗り上げて、車輪が進んでいくんだろうなと、足を乗せている重さから推測する。木綿豆腐ほどではないが、こんにゃくか厚揚げを包丁で切る程度の力で、海ぶどうみたいな感じで轢かれるんだろう。あーあ、と思う暇くらいは与えられた上で、なんとなくの部分に無作為的にバラバラになっていくんだろうな、と電車に乗りながら思った。走っているトラックに、「グルメミート」という言葉が書いてあった。美味しいお肉とか新鮮なお肉とか、そういうキャッチーな感じではなくて、グルメミートなんだな。今日は誰かに特に言いたい事とかが少ないな。朝食べた食パンが、スーパーのプライベートブランドのものだと思うのだけれど、思ったよりも3割くらい縦に長かった。こう、食パンマンを想定して、その顔を縦に3割くらい伸ばして、横も1割くらい伸ばしたサイズ感の、思ったより面のインパクトがある食パンだった。なんか、こう、こんなに変に大きなサイズの食パンに遭遇すると、普通の食パン、規範的な食パンって、収まりの良い可愛らしいサイズなのだなと感じる。今不適切な比喩を思いついたが、不適切なのでやめる。無責任に不適切発言をするとアドレナリンが出て気持ちよくなる気がするが、アドレナリンは永続しないので出来るだけ出し絞っていきたい。脳みそがまとまらないなぁ。外出先から帰る時に、勘で道を選んだら迂回ですごく遠くなったからだろうか。一人で歩いていると、独り言をそれなりのボリュームでぽつぽつ呟きながら歩を運びたくなる。それと同じくらいの頻度で、デスボイスの出し方を実技で思い出しながら歩いている。たまにやらないと、喉が開かなくなる。普段の生活のせいで、閉じがちではある。今日は全然書けないな。パソコンを持ち上げる時に、手元を誤って机の角にぶつけた。机の角がえぐれた。時々MacBookの角は強烈だなと思うが、表面加工の木材を損傷させるほどの強度だとは思っていなかった。端っこの部分で肉を打つと結構痛い。MacProくらいになると、振り回して鋭利な鈍器として使える気がしてくる。寝る。洗濯物を干し忘れていたので干す。

イワシの信心

カプリコのあたま』を食べた。厳密にはカプリコはアルファベット表記なのであるが、カプリコに対してそこまでの思い入れはないのでカタカナで書いておく。書いてやる。今晩、悪夢の中にカプ助が出てきて私を苦しめるような事もあるかもしれないが、そこまで確率は高くなさそうなので考慮しない。朝起きて、枕がカプリコでべっとべとになっている、とかは嫌なので勘弁してほしい。カプリコのあたまを食べた。味は正直、元々のカプリコをそんなに食べた覚えがないし、はっきり言えばうろ覚えなのだが、商品の味云々より、その商品が入っているケースの方に意識を取られて、味どころではなかったというのが正直なところである。どういう事かというと、カプリコのあたまというくらいなのだから、カプリコのてっぺんの方、カップアイスで言えば蓋を開けてすぐ一番目立つとんがった部分、一番キャッチーなあそこだけを贅沢に取り出しましたよ(大トロ的な意味ではなく、その部分だけを生産しましたよという、「皆さんこの部分お好きですよね!?」という押し付けがましい大義名分に則って生産の手間を省く口実なのではないかという意地の悪い考えが浮かんだが、そんなことはなかろう)なので、確かにあの頭の部分だけを好きなだけ、内容量を定義域とする範囲でばくばく食べる事ができる。昔行った、卵かけご飯専門店(すぐ潰れた)を思い出す、素敵なコンセプトではないか。だが、そのブツが入っている容器のせいで、すぐさま「カプリコの一番いいとこだけ貪り食うぞムフフ」という思いは霧散する。外装を開け、中身をするっと取り出すと、取り出そうとすると、まずそもそも、一粒一粒がバラバラに入っているのではない。アポロとかポイフルみたいに、容器の中で個と個とが物理的に研鑽しあっているのではない。秩序立って、ピルケースみたいなものにはめ込まれて出てくるのである。脳みそが「???」となる。図解すると以下のようになる。

| 粒 | 粒 |

| 粒 | 粒 |

| 粒 | 粒 |

| 粒 | 粒 |

| 粒 | 粒 |

こんな感じなのである。それはもう、整列して出てくる。しかも、あたま達が埋め込まれたそのプラケースの上に、みっちりフィットするように別のプラ蓋が装着されている。カプリコのあたまと言うより、カプリコのあたまの標本と言った方が正確なのではないかと思ってしまうほど、パッケージングされた状態で外装に包まれていた。正直めちゃくちゃ食べづらい。「いいところだけいっぱい取り出したよ!」というパーティーなコンセプトと、相反するプレゼンテーションの仕方に、開発会議で何があったのだろうかと思いを巡らせた。

 

明日の朝起きたら妖精さんが直してくれていたりしない

雨を見たのは久しぶりな気がする。昨日の記憶さえ薄いので、2日前とかにも降っていたのかも知れないが。折り畳み傘を常備しているゆえ、急な雨には十分対応できるが、折り畳み傘は守ってくれる範囲が心もとないので、あくまで安心用であって護身用ではない。スタンガンではなく、スタンガンに見えるシェーバーを持ち歩いているようなものである。目が悪いので、大体どのシェーバーも2メートルくらい離れればスタンガンに見える。どうなんだろう、変質者って、皆んな視力が良かったりするのだろうか。例えば、覗きは双眼鏡を装備していたらそれはもう間違いなく逃げる余地なく覗きであるが、裸眼ならば、「偶然その方向をぼうっと見ていただけで、その視線の赴く先に何があるとかは意識していませんでしたが?」と言う事もできなくはない。ぼうっと視線を投げやる時、本当に何にも焦点を合わせておらず、虚無100パーセントの場合もあるからだ。露出狂も、どうせ露出するなら相手の反応をできるだけ仔細に感受したいものなのではないだろうかと思う。その際に、やっぱり目はいい方がいいだろう。サングラスにマスクも怪しいが、マスクをして目深にフードを被った裸眼露出狂も、また別の怪しさ恐ろしさがある。露出狂には遭遇した事がないので、どちらの方がより怖気立つかという確言はできない。いざ目の前に露出狂が現れたら、他人の性器なんかじっくり見る機会がないし、案外じろじろ見せてもらうかも知れない。後生役に立たなそうな経験であることは承知の上で。雨の日には、寒いので露出狂も外出を控えるだろう。見せびらかすべきものが、寒いと縮こまってかわいらしいサイズになってしまうからだ。降雨時に靴が濡れるのは、いくらか濡れるのは仕方のない事だけれど、今日はいつにもまして染みてくるので、傘の差し方がまずかっただろうかと靴を見聞すると、左右両足のかかと部分が擦り切れて、ラバーがなくなり、中の布地部分へイージーカム・イージーゴー状態になっていた。それは……。それは足元がよく湿るわけだった。多分今の靴は1年も履いてない、いや、1年と半年弱履いている。一年365日のうち、90パーセントくらいの日数は履いている。正しい歩き方をするので、かかとがまず真っ先に磨り減る。なるほど、使用頻度に照らしてみれば、順当に寿命が来たと言うのが正しいのだろう。新しい靴は買ったきり玄関に放り出してあるが、あっちに乗り換えねば足元がおぼつかない。干してあった洗濯物がびっしゃびしゃになっているのを今から確認する。

開いた口を塞ぐために突っ込む

晩御飯を作る途上で、ネギをビニールから出そうと引っ張った。上部緑色部分の一部がアホ毛のように飛び出しており、そこが引っかかって大層な摩擦となり抵抗となり、なかなか取り出せなかった。ははーん、と私は思った。触手陵辱モノで、体内に(胎内に)侵入した後、変なコブやら何やらが形成されて抜けなくなるのは、つまりこういう事か、と思ったのである。別に気づかなくてもいい、全く気がつく必要のなかったこの世の真実の一つに気が付いた。今日も、鶏もも正肉の皮裏にびっしりついている脂をこそげ落とすのに苦労した。まともなスーパーなら正肉で出す前に常識的な範囲内で除いておいてくれるものである。自分の手で除去していると、「もしこの手間をかけなかったら、体内にこのやべーカタマリが吸収されるんだよな……」と思い、健康的な食事をしようという気力を呼び覚ますので、小学校の家庭科の時間には「鶏肉の脂を取り除く実習」があっても良いと思う。前にも小学校の家庭科科目の話をした気がするが、それはまあいい。あの脂の白は、絵の具として発売されてもいいほど特徴的な色を有している。アブラホワイト。モンハンのフルフルも、そういえば結構いいホワイトをしている。今思い出すと、フルフルってチンコみたいな頭部をしていた。白いの(電気バリバリ)出すし。通りがかった店が、「閉店感謝セール」というものを開催していた。何度も通りがかった事があるが、それはもう、客が入っているのを一度も見た事がなかったので、まあ閉店もむべなるかなという感じではある(歩いて2分ほどの距離にある同業他店に客が入っているのも見た事がないが)。だが、しかし、「閉店感謝セール」とはこれいかに、と思ったのである。確かに、現状に照らしてみれば「閉店感謝セール」としか言いようはないのであるが、これだと「皆さんのおかげで閉店できます! ありがとうございます! 感謝の気持ちを込めて、セールにてご奉仕させていただきます!」というような感じになって、破滅思考の起業家が抱えるフェチに付き合っているような気分になってしまう。けれど、やっぱり、短い言葉で「私たちは閉店してしまうのですけれど、最後の最後に、ぜひご奉仕させてください」、要するに「最後の瞬間くらい、ちょっと買い物してってくれてもええんとちゃうの」という嘆願を表すには、「閉店感謝セール」というむず痒い字面に落ち着く他ないのであろう。閉店にあたっての感謝セール、だとどうにも締まらない。二重の意味で。

翻弄されるくらげ

朝に洗濯機を回し損ねたので、夜早めに風呂に入って、その洗い物まで含めて一気にかけた。その間つらつらしていた。晩御飯を作って、さて洗濯物でも干すかと洗濯機の前に立つと、足元がぬるりとした。脱衣所の光に照らされて、洗濯機の足元が光っていた。水漏れを起こしていたのである。そういえば、洗濯機が回転している間、普段聞かないような「グォングォングォン、バキバキバキィ」という異音がしていたから(ちょっと勢いよくドラムが回転し過ぎたんだな! と思って放っておいた)、おそらくそのあたりで流水が爆発したものと思われる。上から水がドバーしたわけではなく、下の排水ホースから溢れたようだった。床につながる排水ホースジャンクションから、一見ただの水、されど中には洗濯で落ちた汚れと洗剤を含む、破壊力のある水である。放っておいて自然乾燥させるのもまた一興ではあるが、物件退去の時に変なシミでも作って敷金をごっそり持っていかれるのは本意ではない。一応、手の届く範囲はタオルで拭き取っておいた。今の家には洗濯機台(プラスチックの台座みたいなやつ。上に洗濯機を置く)が設置されていなかったので、洗濯機の下部にはほとんど隙間がないという事を体感で知った。全然手が入らない。自販機を見習って欲しかった。洗濯機周りを軽く掃除する羽目になったので、もうここまでくればだいたい一緒だと、埃ネットの中身も廃棄しておいた。忘れた頃に溜まるやつではあるが、忘れている間に溜まり続けている、よく考えたらとても恐ろしい物体である。お金がそんな感じだったら、もう少し皆幸せなのかもしれない。たまに、スマホ黎明期に一瞬だけ超絶隆盛して一瞬で消えていったなめこ栽培ゲームを思い出すのだが、あれに似た何かがあると言えばあるだろう。あのゲームの話を持ち出すと、いまいちピンと来られない経験が多いのだが、もしかしてあれをまあまあ誇大に捉えているのは私だけだったりするのだろうか? 刈り取る動作が指でサッと画面を横切る事だったり、本当に初期な感じがあるのだけれど。それはまあいいや。埃ネットの中に溜まっている埃をポイしようと、ネットを逆側に繰り出すと、埃の灰色が中に入っているのはまあいいとして、赤とか白とか、出自の知れない色彩が含まれているのにギョッとした。赤い服を洗った覚えがないし、持っていないわけではないがあれを洗っただけでここまで赤くなるとも思えない。もしやこれは可視化された「皮脂」や「垢」なんじゃないかと思って、一人戦慄に震えた。風呂に浮いているだけじゃなかったんだな。

面の皮は厚いが、肉がついてきていない。

「おっしゃ、かぼちゃの煮物作ったろ」と思い立ったので、前の食料買出しでかぼちゃを買ってきてあった。なので、記憶の限りでは1年と4ヵ月ぶりにかぼちゃの煮物を作った。かぼちゃの煮物は、おそらくこの世で一番美味い食べ物である。食材のルーティンが上手く回ると、週に6回くらい作る。かぼちゃの煮物は美味い。皮が厚いせいで極めて火が通りづらいので、一番最初に切って鍋に放り込んでおいた。そこまでやってから、だしの素がない事を思い出した。これを入れないと、なぜか味がさっぱり決まらない。不思議なもんだ。食料棚の奥の方をごそごそしてみると、だしの素の箱が出てきた。なんとなく、うっすら確信はあったので賞味期限を見てみた。2016年9月だった。なかなか過ぎている。超過している。超、超過している。だが、とは言え、ただの粉に賞味期限もクソもあるかい、と思ったので、躊躇なく入れた。見た目が緑やオレンジ色に変色するという事もなく、普通に鰹出汁と塩の茶色だった。厳密に比べてみれば、香りが劣っていたり風味が劣化していたりするのかもしれないけれど、そんなものは醤油や料理酒やみりんといった他の調味料で間違いなく分からなくなる。よって、2年ちょっと「賞味」期限が過ぎていたところで、痛くもかゆくもないのである。箱の中にはまだ10袋くらい残っていたし、まだまだいけるだろう。鍋の蓋を閉めて煮込んでいる間(蓋を閉めた方が火が通りやすい。開けっ放しよりも効率がいいので、「自炊は時間がかかるぅ〜ん」と思っているなら、煮物の時には蓋を閉めれば良い)イカをバラして照焼きダレに漬ける仕込みをした。明日の晩御飯にでもするつもりだ。昨日はさっぱり気がつかなかったが、肝というか内臓というかは、黄色くでろっとした粘体が入っていた。これがコクの元か、と思った。墨袋はまた無傷で取り出せた。イカの軟骨(?)は、いつ見ても剣っぽい。小学校の調理実習で材料にイカを採用したら、まず間違いなく男子はこれをイカブレードとしてふざけるだろう。強度もクソもない、ぺろっぺろの透明な板なのだが。数十枚くらい重ねてボンドで補強すれば、イカブレードとしての体裁は整うかもしれない。そこまでして、イカで争おうとは思わない。メールが40通くらいドカドカ来ているので、まず間違いなく裁かなければならないのだが、添付ファイルがもれなくいっぱいなので、処理がめんどい。かぼちゃは、結局煮込み過ぎて、ほぼすべて煮汁の中に消えていた。残骸をすくい上げると、ゾンビみたいにぼろぼろこぼれ落ちていった。反省。

おはぎは黒でなく紫である

寝つきが悪い間は、接続の悪い回路みたいに、意識がついたり消えたり通電しているので、たまに変なイメージが頭の中にわだかまったまま意識が戻ることがある。昨日の夜は(22時半に布団の中にいた。体力ゲージの最大値が減りすぎだと思った)、「おはぎを割り箸で2つに分けようとするけれど、割り箸があまりに脆く割れる」というイメージだけ抱いてハッとした。おはぎを割り箸で食べるという状況が、まずそもそも気にかかる。おはぎなんて手のかかるものを作るからには、多分割り箸ではなくて塗り箸とかで食べるだろう。私は家でものを食べる時には割り箸を使わない。なんでおはぎだったんだろう。柏餅でもいいのに。祖母が歳をとるにつれ、おはぎのあんこの味付けがブレブレになりつつあるのが、深層心理では気になっているのだろうか。おはぎは美味しい。もち米(黄色の食品群最強クラス)+あんこ(糖分含有量最強クラス)という組み合わせの恐ろしさに気がつかなければ、おはぎはもりもり食べられるとても美味しい食べ物だ。お菓子と言っていいのかどうかは、よく分からないけれど。きちんと作ったおはぎや柏餅の味を知っているので、スーパーでよく売っているタイプのおはぎや柏餅は食べない。本物は、いやどちらも本物ではあるのだけれど、手間がかかっている分だけ、確かに味が上回る。努力が報われるかどうかは時宜や周囲の状況に左右される部分が大いにあるけれど、少なし料理という分野においては、ほぼ例外なくかけた時間が報われるシステムでよかったと思う。そうでなければ、自分でご飯を作って食べる事なんてしないだろうから。報われるほどの時間をかけているわけでもないが。イカを買ってきた。なかなか「イカを買ってこよう!」という気にはならない。今日は、夜8時くらいのスーパーで、どういうわけか血圧が上がり、晩飯のメニューについてものすごく独り言を言いながら品定めをしていると、イカが鮮魚コーナーにあったので(イカって魚なのだろうか……? 烏賊……)「今夜はイカにするでゲソ!」と言いながらカゴに入れた。侵略するイカ娘の漫画は、読んだ事がない。長い長い、細長い頭の方に、イカ独特とも言える、ブレードみたいな骨が入っているのは覚えていた。なんとなく、勘で、内臓と墨袋を傷つけずに取り出す事もできた。すっかり忘れていたのは、墨袋を入れると、想定の30倍くらい料理が真っ黒けになる事であった。うどんがすごい色になった。イカの顔というか、目玉がある引っこ抜く部分を食べると、コリコリした部分があった。目玉だな。

ひんやりしっとり

チキン南蛮弁当を食べたら、皮が不自然にぶよぶよしていた。キクラゲほどではないが、キクラゲもかくやと言うほどにはぶよぶよしていた。以前ケータリングで出ていた甘酢鶏の皮も、似た感じでぶよぶよしていた。健康的とは口が裂けても言えないので、どうにかならんのかと思った。昨日の夜食べたアジフライは、ものすごく手作りの味がした。あの、個人経営感満載の弁当屋で買ってきたものだ。全くストレスなく食べられはするが小骨がすごいし、タルタルソースの玉ねぎがきちんと生だ。煮豚に一緒に入っていたほうれん草も、「茹でたほうれん草」だった。食におけるリアリティは、その食べ物がどう作られたのかを推察する手がかりくらいにはなるのかもしれない。頑張っている人を見ると、頑張っているなあと思う。そのままではあるが、真実そう思うのだから仕方がない。頑張っている人は頑張っている。飲み下すのに水が必要だが、本当にそう思う。朝起きると、水蒸気になって消えていないかなぁ、と思いながら寝る。水蒸気にはなっていないし、窓から差し込む太陽光をスイッチに目覚めたらしいことも、起き抜けに飛び込んでくる最初の視界から分かる。今の住居は窓が小さいくせに、そのくせに冷気を超効率で室内に伝達してくるので、カーテンを買おうかどうか真剣に悩むくらい部屋を冷やす。今日くらいから急に下り坂を描いた気がする。朝9時に外に出ると、冬の匂いというのか、冬の朝にが息を吸い込んだ時に鼻奥で感じるあの感覚があった。トラックが通り過ぎるたびに吹く風が冷たかった。そろそろ半袖半ズボンという夏の装いで眠りにつく事をやめたほうがいいかもしれない。が、しかし、これ以外には、対極たる冬用の分厚いスウェットしかない。確かそうだ。今装備を厚くしてしまうと、これからさらに苛烈になった時に辛くなるのは自分だ。外に出た第一瞬に、「あぁ~寒い寒い寒いこれは無理無理無理無理」と口に出すくらい寒くなってから、Tシャツにパーカーという今の出で立ちを見直そう。そういえば、ズボンもルーチンの中にぺらぺらの夏用が1本混ざっている。どこかで機を見て取り替えないと、下半身が冷えておトイレの間隔が玉突き事故を起こしてしまう。そうだ、今朝は洗濯するのを忘れていたのだ。もう、いつ洗濯物を取り込んでもひんやりとした質感が手の平を覆うようになってしまった。夏はタオルがパッキパキに乾くが、冬は空気が冷たいため、タオルが乾いてはいるが冷たいだけなのか乾いていないのか分かりにくくなる。エロ漫画の「これじゃどっちのエッチなおつゆか分かんないね……♡」と同じである。違うかもしれない。平間ひろかずの単行本を読み直して、あぁ~、いいな~、とやっぱり思った。

同じものを2つ買うと経験が2倍だから

体力が保たずに11時くらいに「許して……私は寝る……」と布団に潜り込む頻度が上がった。寝るとは言っていない。3、4時間くらい眠れずにごそごそしている。全然眠れないのならば、それはそれで夏頃苦しんだ症状なので割り切れなくはないのだけれど、今回のは7割くらい意識が落ちかけて眠れないという、なかなか厄介で不快な寝られなさなのである。川底に潜った時のように、見てはいるが視界がぼんやりして曖昧な感じ。あれに似ている。隊長「寝るぞ!」隊員「ハイ!」隊長「寝るぞ!」隊員「ハイ!」隊長「寝るぞ!」隊員「ハイ!」というやり取りを永遠に繰り返しているようなだるさがある。いつもより早く寝ているのに、起きるのは遅くなっているし。秋をすっ飛ばして冬に片足を突っ込もうという今、身体が調子を崩し始めているのかもしれない。風邪とかは全然引かないので、内的統一性が乱れるとでも言おうか、太極拳的な意味の「気」が乱れるとでも言おうか。まあ、うずくまっていればそのうち治るだろう。鍋キューブは濃厚鶏白湯以外ハズレでがっかりだと思っていたのだけれど、3つ買った中でとりわけ美味しくなかった魚介醤油だし(正確な名前は忘れた)を全然使わず、いっぱい残っていたので、早くなくそうという一心で一回に2キューブ入れた。これは一回の卵かけご飯で生卵を2つ割るのに匹敵する暴挙である。いや、そこまででもないかもしれないが。単価は近いので。はよなくなれいなくなれと思ってした狼藉だったが、レンチンするのも面倒だったご飯を入れて卵も入れて、すごくいい加減なおじやにしたら、なんと、美味しかった。一つではうっすくて味が全然分からない水炊きになるが、2つだときちんと自立した立派な子になった。下に兄弟姉妹がいると、しっかりする傾向にあるのと似たようなものだと思いたい。糸唐辛子とか乗せるといい感じだったかもしれない。残念ながら、私の自炊場にはあの赤い隠毛は存在しない。今度から、担々麺や辛い麺類に乗っている糸唐辛子が、すべからく赤い隠毛に見える呪いにかかるがいい。赤い隠毛って、リアス・グレモリー部長くらいしかパッとは思いつかないけれど。『だから僕はHができない』というラノベでも、赤い隠毛の描写があったと思います。はい。携帯のメモ帳を漁っていたら、「僕は恋のメジャーリーガー/君に恋の観戦チケットをあげよう」という謎の一節がメモされていた。「僕は…」の一行目は、実家に帰った時に、確か弟が口ずさんでいたフレーズだ。めちゃくちゃ面白い。