他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

ぴょん

現代語訳が出ていたので、好色一代男を読んでいるが、直接的には書いてないものの、短い一編の中で抱くわ抱くわ、まさにタイトルにふさわしい内容である。これが洒落本として(戯作本だったかもしれないがどっちがどっちか分からない)流行り広く読まれたというのは、一体どういう風俗が下敷きにあったのか、江戸時代のことを何も知らないのでさっぱりだが、人情ドラマとして読めばまあその通りではあるから、プレイボーイ譚として見るのがいいのかと今は思っている。私にとってはさらにフィクションになってしまったが……。

時房

雨が降ったので、とても奮わず、むっつり黙々とした日だった。今もそうだ。本を読む気力が滲んでこないので、そうすると、どうすればいいのか分からない。ひとつことばかりに傾いてしまうと、偏って、戻れなくなっている。それでも、本を読むのが本源的に楽しいかというと立ち止まって考えてしまうので、必要以上に懐疑的でいる意味は全くない。だから、もう少し、いらん頭を使わないようにいたかったものだ。

かね

売文業という言葉を思い出していた。ばいぶんぎょうで一発変換できなかったので、Macこの野郎と思った。機械に野郎も何もないのだけど。金をもらえるほどの文章とは、一体どれくらいのものなのだろうか。検索して、思い出したという感触さえなかったので不明を恥じるべきなのだろうが、深代淳郎の本は読んだことがあり、これはすげえと当時の私はびっくりした。蓮實重彦の、日本語か何かをテーマとした単行本を読んだ時も、立派な文章である、立派! と思った記憶がある。帰省するたびに中国新聞一面のコラム天風録を読み、相変わらずつまんねえなと残念な確認を繰り返している。金をもらえる文章の規範を、同時代に求めるのは不可能なのか。金が欲しい文章ではなく、金を払ってもらえる文章のそれを。看板の立派なビジネス誌やウェブサイトも、文章という点で見れば取るに足りない、その手間をかけることさえ恥ずかしくなるほどのものが載っているのだから、とりあえず日本では、文章は金に隷属していると言いたくなる。

本題のレシート

5冊の本を買ってきたが、読みながら気が散って、短編をひとつ読んで隣の本、またひとつ読んで元の本と、空虚な行ったり来たりを繰り返した。全く困ったことに、今はまともに本を読める精神環境ではないらしい。他に大してできることも時間を殺す手段もないのに、数少ない手を取り上げられている。ついでに、部屋が暑い。髪が伸びて、これはもうさすがに散髪に行かなければうざったくなってきた。目にかかる、などではなく、縦のボリュームで邪魔だ。ああ。無だ。悲しいことに。

パイプトワリング

それらしい、自省に耐える時間の使い方をしていないので、ついでに髪の毛が伸びて鬱陶しいので、何に向けるでもなくやるせない気持ちになっている。これを助長していたのが昨晩の経験であり、やたら小便が頻繁に差し迫るわ、ベープを焚いているのに蚊がぶんぶん飛び回って手を刺しまくるわ、まともな睡眠を取り損ねた。3年目くらいに突入しているかも知れないしまだ2年目くらいかもしれないベープだが、ちょっとだけ信頼感が下がってしまった。あれは蚊ではなくブヨ的な、類するが異なる虫だったから効かなかったのかもしれない。存在の耐えられない軽さが、本当におもしろくないのもよくなかった。まさかこんなに私の好みに合わないとは思わなんだ。上着がいらないくらい暑かったので、春はどこへ行ってしまったのやら。

テキ、ビフ、

一ヶ月くらい、精神の停滞、心の麻痺、何と表現するべきか、否定的な意味での凪が続いており、原因はおそらくよい本を読んでいないことである。心の肉から、ぶちゃあと液体の歓楽が溢れ出すような、そういう本を読んでいないからだと思う。なので、そういう本のひとつを古本ネットで調べてみたら、古い本なのに2500円などして、困っている。古い本は様々な理由で手に入りづらく、しかしよい本というのは新旧関係のないもので、出版社というみみっちい括りがこの世からなくなり、どの本もどうにか並の手間で入手できれば言うことないのだが、今時分には過分な望みなのやもしれぬ。

エスクワイア

ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』をちょっとだけ読んでみたが、そんなにおもしろくねえな……と思っている。訳が千野栄一なので(知らない人は調べてみればいい)大丈夫だろうと踏んで買ったわけだが、なんとなれば、翻訳というのは独立して別領域の能力であるらしい。能力というか、執着執念というか。私が想定する翻訳のベストは常に柳瀬尚紀であって、ベストとは往々にして不可能を内包するものだが、そしてあそこまでやられるとこちらとしてもげんなりするところはあるにしても、ある言語からある言語への植樹には、複雑にして熟練の妙技が必要とされるのであることの証明としてはそれ以上望むべくもない例だとも思う。まあ、なので。だいぶゆっくり読むことになるだろうな。

区別between

ぼんやり本を読んだのか、読んでないのか分からないまま一日が終わった。読んでうきうき、めくってわくわくという本をしばらく読んでないので、何と言えば良いのか、心のオツユが足りない感じがしている。私の選球が下手くそなだけだろうが、めんどくさいので、古本屋ネットで、書店では普通に手に入らなくなっている本をどかっとまとめ買いしてもいいような気がしてきた。火傷は、あんまり気にならないくらいまで回復した。こういう時は自分の体力に感謝したくなる。気力に感謝する時は一生来ないかもしれない。アダルトグッズの紙カタログを見たが、なんというか、こう、何と言えばいいのだろうな。実店舗で見られるのを知っているからか何なのか、ただの羅列に見えた。パイナップルを切り、少し食べて残りはアイスにするために冷凍した。手がまだ甘ったるい匂いがする。

明滅

形は変われど、ずっと雨が降っていた。今は止んでいるかもしれないけれど、等間隔で物音がするのでまだ降っているのだろう。不意に熱湯がかかってしまい、利き手を火傷した。赤いまだらになって、大したことなく終わる火傷が今までのほとんどだったのだが、今日はかなり本格的なやつをやってしまい、冷水で冷やさないとじんじん響いてきた。面積自体は体表の1%にも満たないはずで、それでこんなに意識に介入してくるということは、原爆で全身に負った火傷、火傷、大火傷はどれほどのものだったのかと、広島で育った者としてつい考えてしまった。些細なミスではなく、対人、明確な敵意のもののもたらした火傷について。

チャリ沈没

開高健のまだ読んでない本はないかと本屋を探して、中公文庫の棚に二冊あった。片方は版面がお粗末で最低だったので買わなかった。今思い出してもひどい。字はでかいし版面は小さいしフォントは品がよくない。本屋をうろうろして、棚を見ても目が滑る。結局、知っている作家か聞いたことのある名前にしか目が留まらないので、可能性の暗渠に落ち込んでいる。前に買った初等読み物さえまともに読んでいないが、また中国語の初等テキスト? みたいなものを買った。最初に買ったのは短文で、暗唱できそうなものばかりだったが、今日のはほどほどに量があり、そして相変わらず何が書いてあるのかは分からない。悪いのは私だ。日中中日翻訳を扱ったテキストもあったが、姿勢はよいものの、内容に「ねっちり」したところがなく買わなかった。語学の中級テキストにはねちっこい細かさと熱意が欠かせないものだと思っているのだが、そういうのを備えた本はまだ見つけていない。そもそも、私が「行きたいところ」を特に持っていないのが一番の問題なのである。行きたい場所がないのに自転車にまたがっても仕方がない。仕方がないのだ。私はこの問題で一生苦しむだろう。

揺曳

パッとしない天気だったが、結局雨は降らなかったのではないか。私が外をうろうろしている時は降らなかった。一昨日までの気温と比べて妙に寒いので、春がまた、自らを忘れてしまったようでもある。天気の悪さがずどんと頭に来て、寝起きが恐ろしく悪かった。一日中、正体がなくぼんやりと眠いのはそのせいだと思う。電車で移動している最中の、目の端に映るような、切れ切れで曖昧、具体性のない、車内の風景が脳内でちらちらしている。どこでもない、この世のいずれでもないコマが。髪が伸びて量が増えたので、頭頂部のあたりが、自然なのか寝癖なのか分からなくなってきた。鼻血は治まったかもしれない。

広がる紋

特に書くことが思いつかないので困った。空気が乾いているのか、私の皮膚ないし血管が薄くなったのか、鼻血が出るし、それが固まって鼻腔が獣道になるし、参った。驚くべきことに、しばらくまともな飯を食っていないので、栄養状態の劣化がそういう形で表れてきた可能性はある。未読のSMSがあった。眠かったはずだが、分からなくなってきた。

物支えるに痛し

渋谷を用あって歩いたが、人が多いし、外国人が本当に増えた。外貨レートを見ていると、そりゃあ安いから来るわなと思う。新しい本が足りないというか、物理的に、かつ精神的に足りないので、本屋に行きたい。経済的には、まあしばらくは死なないだろう見通しが立ったため、土が干割れないくらいにはおしめりを与えていきたい。乾燥しているのか、鼻血鼻くそが多かった。むずむずする。

想像上のキッス

昨日は書くのを忘れていたが、何で忘れていたのかというと、家に帰るのが遅くなったため、諸々を済ませて布団に入ると、日が変わっていたからであった。今日は思い出し、ついでに日が変わる前に家に帰ってきたので書けていると、そういうわけだ。日曜日まで用事があるので、たまにはこういう玉突き事故も起きてしまうのであるな。まだマスクをしているんですねと言われ、まあそれはそうだが、いつまでマスクをするのだろうか。いらないリスクは負いたくないとの思いでしているが、コロナがall is overと宣言される日が、果たして来るのだろうか。小人の身にはさっぱり分からない。

見る前から倒れている

レイアウトが変わっていて戸惑った。身体が、「いつもの」「あそこ」という動き方をするので、少し変わるだけでもつんのめる。ガラケーは鍵を見なくても文字が打てるが、それに似ている。似てるか? 夜なのだが暑くて、パジャマは衣替えしてもいいかもしれないと思ったものの、あの、あれだ、名前を忘れた、ともかく、厚めとぺらいのと2パターンしかないので、グラデーションに欠ける。服はもうちょっと持っていてもいいのかもしれないが、だり〜〜〜めんどくせ〜〜〜という気持ちを乗り越えることができていない。私の内面世界にはもっと世間が具体的に存在しなければならないのだが、荒涼とした透明のぐずぐずがあるばかりで、ぽかんとして、誰も通らない道のかかしみたいになっている。芽が出まくって化け物のような見た目になったじゃがいもを、全部あれこれして、圧力鍋で香草煮にした。火を通せば何とかなるのか。