他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

余りの出る懊悩ばかりであるから

まだ懐かしいと言うには早すぎる気がするが、少なからざる因縁のある場所を訪れた。別に悪い事があったわけではない事もない事もないような場所なのだが、かと言っていい事があったわけでもないのであまり気の進まない場所ではあった。離婚して親権を預けた子供に会いに行く親は、こんな心持ちなのだろうか。それはまた別の話なのか。ともかく、いちおう一通り歩いてみて、途中で膝からくずおれそうになり、思考が全くまとまらず、皮膜を取り去ってほぐしきった導線みたいに成り果てたので、心の底ではいい思い出の刻まれた地とはカテゴライズされていないのであろう。ここを歩きながら死ぬ事を考えていたな、とか。心が折れないようにするために、音楽を聴きながら歩いた道で、イヤホンをさしていないのにその曲たちが聞こえてきたりとか。場所は変わらないが、人は変わったり変わらなかったりする。その景色にべったり塗りつけられた思い出が立ち上ってくるたびに、頭の中の固形物が雲散霧消して、それがなんだか格好悪い事に思えて、必死に何かを考えているふりをしていた。隠すために、すごく不機嫌そうな顔をしていた。不機嫌そうな顔をしているのはいつもの事か。ここで鳩が死んでいた、ここで猫が死んでいた、そんな事はやたらとよく覚えている。シミというやつだろうか。そのようにストレスフルな散歩をしたせいで、精神に負荷がかかり、してもしなくても直ちには困らないどうでもよい買い物をした帰り、「身体中のパーツが着脱可能だったらいいのに」と考えていた。肩を抜いたり、指を抜いたり、太腿の前半分だけをパカパカ開閉したり。モノに当たる事ができないから、でも自分ならいくら傷つけても痛むのは自分だけだから、自分の身体を身体をモノとして扱えれば、それはとっても不健康な事なのかもしれないけれど、短期的な視点ではスッキリできるのに、と不満だった。引っこ抜けるわけはないのに、体内から来る不安感とか色んなごた混ぜに任せて右手の五指を引っ張るモーションをしていた。すぽ、すぽ、すぽ、すぽ。『そらのおとしもの』でイカロスがこけしの頭をすぽぽぽぽぽぽとしていたように。眼球を取り出して、力の限り壁に投げつけるのでもいいかもしれない。ちょうどよくバウンドして、眼窩に帰って来る遊びに気づいて、目先のストレスからは逃れられるかもしれない。自分の胃を取り出して、十二指腸のあたりをオナホール代わりに使ってもいいのかもしれない。頭を外して、氷の入ったバケツに入れておくのでも。反射でしか自分は見えないのだから。