他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

海底まで行くと2万マイル溜まる

孤独が毒だとすれば、身体の内側でじくじくと生成されて醸造され続けていて、それと同時に身体も抗体を絶えずカウンターで生成し続けていて、身体が負けて身体に回り切るか、ただひたすらの気が遠くなるようないたちごっこで身体がその場しのぎの処置で毎瞬を乗り切っているのか、前者がちらつきつつの絶えざる後者なのだろうなと思った。孤独を覚えるタイプではないのか、あるいは上手い付き合い方を覚えているタイプなのかな、と思っていた人が、たまにどうしようもなく押し潰されそうになるのだと発言しているのを見て、多かれ少なかれゼロまで拭い去る事ができない構成要素なのだなと分からされたので、夜の渋谷飲み街をひとりでぷらぷらしている時にこういう言葉になった。しばらくぶりに、そろそろ日付が変わりそうな時間の渋谷をうろついたが、人間の営為とタバコの匂いと、安いトイレの芳香剤ほどではないが、胸にうっと来るような濃度密度で漂っていて、一人だけ人生ゲームのピンク色のピンで、周りはみんな青のピンであるかのような感覚があった。現実がオセロじゃなくてよかったと思う事がたまにある。どちらかの面を上にせずに、絶えずスピンして倒れこみ旗色を鮮明にしないよう振舞っているのもそれはそれで疲れそうだが。体内の圧を見境なく全て剥ぎ取って、塊りそうなものを雲散霧消させる力が、あの場にはあると思う。朝うっすら意識が浮上したら、バカみたいな音を立てて雨が降っていて、石臼を帽子にしているような重たさでぐらぐらしたので、今日はもう形を保って生命活動をするのは無理だなと感じて昼まで寝ていた。でも、またウィンウィン上昇の兆しを見せる気温に寝汗をかかされて昼に起きると、透明な暖色で窓の外が澄み切っていて、朝の乱暴っぷりは一体何だったのかと目を疑おうとしたが現実は現実なのでしょうがなかった。ぼんやりと色んな事を考えてしまったのは、小林賢太郎テレビ1・2を観たからで、本当にこの人は職業が小林賢太郎なんだなあと腑に落ちたからである。冒頭で言ったあれとかもあれ、なのだが。これもまた、ハッとするような瞬間で満ち満ちて面白いけれど、やはりこの人の作るものは、劇場でやった時にこそ一番よく映えるなという結論にいつも落ち着く。毎ターンフィードバックが返ってくる事で、常に手札から最善に最も準ずるカードを選べるからだろうか。まあ、何と言うか、世の中のプロフェッションは到底カウントが追いつきそうにない。