他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

生える肢体

昨日は、午後から、人格が四散放埓迷走家出弛緩していて、頭部を起点にして、うにょうにょと、触手が伸びるように、一本の線から適当に線を伸ばすように、手の平をいっぱい生やしたような、何をしても落ち着かず、思考の本体がどこかへ行き、ばらばらになって、隙間から世界の向こう側が透けて見えて滲み出してくるような、もう本当に、心が壊れそうな惨状を呈していた。あそこまでひどい、内的disorderは、いつぶりだろうか。あっちを向いても、こっちを向いても、明後日の方へ視点が飛んでいて、全てがずれてぶれて食い違って、頭が崩折れそうだった。頭の中で、適当にテキストフレームを乱置して、それぞれに好き勝手、キーボードをでたらめに押すように、文字列がずらずらと、流れていて、都市鉄道のメイン乗り入れ駅みたいになって、とてもハードだった。きつい。あそこまで、好き勝手やられるときつい。夜には憔悴して、じっとしていたのだが、小林賢太郎の演劇、『振り子とチーズケーキ』を観て、心が持ち直した。2年前と似ている。持ち直したのは完了形ではなくて進行形なのだが。2年前のようだな。まだ、笑う事ができた。すごい、いいなと思う。小林賢太郎の書くものは。まだ、ロールシャッハとか、ポツネンとか、さっぱり観ていないものも残っているので、ちまちま観ていくつもりである。面白いとか、そういう言葉では表現できなくなってしまった。これを、どう言えばよいのかね。形容詞一語二語では、行間が生まれる余地がない。行にはなっていない。正体不明を、捕まえるために、もぞもぞと手を伸ばしていると、時間が経ってもうお終いになりそうだ。あ、これはあれでやっていたやつの延長線上だなとか、あれのそれだなとか、時系列順に整理されていない、頭の中でごっちゃになっているコントとかあれそれが、ちか、ちか、と光る時がある。2人しかやっていないのに、いやあ、すげえなあと思う。空想は、羽ばたくのも、大変だが、地面にもう一度、姿勢を崩さずに降りてくるのも、大変なのだが、小林賢太郎は特に、突拍子もないフォームで飛んで、見た事のない軌道を描いて、それからパッとマットに帰ってくるので、なんというか。職業はあれで間違っていなかったろうと思う。鶏肉のぶつ切りが売っていたので買ってきたが、モモの脂の旨さとか、そういうのがなくて、鶏肉の消極的な部分の味がするところがいっぱいだった。いっぱいできたので明日の分もある。