他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

eloquor

布団の中で寝付くまでに色々考えていたら、あれだな、昨日は日記を書くというタスクが、頭の中からすぽーんと抜けていた。それはもう、綺麗に。ブログページのトップまで行って、面白そうなのないかしら、とスクロールして、その瞬間に、注意が逸れて何かにふらふらと軌道が外れた結果、日記のにの字も覚えていなかった。愚かだねえ……。『他人のセックスを見ながら考えた』を読み終わった。いい本ですねえ。私は、こういう本をこそ、中学生・高校生に読んで欲しいのです。題材が題材なので、面白がって、あるいは「ポーズを作って」読んでしまうかもしれないけれど、その時にメンターが側にいて、最後まで視点を絶えず引きながら読み終えて欲しい。いやしくも人間を名乗るのであれば、学問のひとつでも、究めろとまではいかないが、本物の入り口くらいは見て、人間社会の規範について揺らぎと常なる自己懐疑を持ち、最後に、自分が持ちうる掻き集めうる全ての素材から足を運び出せる想像力を持っていていただきたい。あとは、初めて遭遇する何かに対して、一度は容れる柔らかさであるとか、いくつかあるのだけど。まともなアタマと、まともな推測力と、くらいはないと、Gemeinschaftの構成員を自負するのは口幅ったいと思うのだけど。「性」について考えるならば、その手掛かりとして、素晴らしい本です。武田砂鉄が取り上げるテーマにも、通ずるところがありましたし。昼に、人と会って飯を食いながらお話をしました。これでしばらく顔を合わせる事はなくなりそうだが、私が今まで出会った中では、数少なく、ありがたい、脳内コンテンツフィルタに検閲をかけずに話しても大丈夫な人だった。いつの間にか、私のモラルフィルタはショートして久しいので、あんな事やこんな事も平気で口に上しそうになってしまうのだが、その主観的ストレスがないせいで、延々と、日常の搾りカスを頭の中から拾い出してキャッチボールができる。気兼ねがなくケラケラできるのは、代替の利かない、貴重な繋がりであることよ、と和歌の現代語訳みたいな事を思うので、自分のエロキューションというか、発話生成原理に加工を必要としない相手は大切にしましょう。最近は、作業中にずっと匿名ラジオを流していたのだが、これも全くの生産性のなさゆえにひたすら浸かれたわけだけれども、観たい気持ちが閾値を超えたので、バナナマンのライブDVDを観た。演技がうまいな、おもしろいな、とただただ思う。