この前の、土曜日だったか、に、図書館で手頃な文庫を2冊借りてきた。読むかどうかが全く自信を持てなくなってきたが、読むのをやめると完全なゼロになりそうで、それが考えるだけで空恐ろしいので、1未満の小数点に成り下がってもすがりつきたいという気持ちがある。井上ひさし『この人から受け継ぐもの』、やなせたかし『アンパンマンの遺書』。後者はまだ読んでいないが、ぱらぱらと眺めたところ、やなせたかしの自伝的なものっぽい。タイトルが、アンパンマンが遺書なんか書くんけ!? とびっくりするものだったから手に取った。タイトルのつけ方が、上手いと言える。誰の発案なのか知らないけれど。で、井上ひさしの方。中学の、クセとアクに溢れた国語の先生が、一年ほど担任でもあったが、演劇をやっている風変わり、あちらから見れば私も相当にへんちくりんなガキだったに間違いないのけれど、なお人で、授業中に扱ったもののひとつが井上ひさしのテキストだった。それ以外にも、現代文芸の本でも井上ひさしについて書かれたものをいつかどこかで読んだはずだが、あの先生のインプレッションの方で強烈に頭に残っていた。時たま思い出す。背表紙の名前を見て思い出して、まだ戯曲もさっぱり読んだ事はないが、そういえばこの人はどんな文章を書くのか知らないな、と思って借りた。目次をざっと見ただけで決めたのだが、一章をほんの少し読み進めるだけで、漠然と抱いていた井上ひさし像が粉微塵になってどこかへ行ってしまった。外国語が少なからずできる人だという事は知っていたけれど、それにしてもそれをおいても、めちゃくちゃな勉強家であり読書家だった。内容は講演録の文字起こしに多少の手を加えたもので、必ずしも井上ひさしの文章そのものというわけではないが、扱う題材が前から吉野作造、宮沢賢治、丸山眞男と続くので面食らう。愉快で軽いものを書くような人とばかり思い込んでいたので、歴史も論文もハードに踏まえて話をするスタンスに、私はそちらがさっぱりだから、太い流れを持つ人には、やはりダムがあるのだなと何回目になるのか分からないが思い直した。自分の立ち位置を持ちながらあれをこれをと引いてくるその様に、言いようのない厚みを感じた。トマト缶を買ったので、久しぶりに鶏肉のトマト煮込みを作った。トマト缶の原材料って、そういえばなんなんだろうと思ってラベルを見ると、「トマト、トマトジュース」と書いてあって、いや、だから、そのトマトジュースの成分が知りてえんだよ、と消化不良の感が否めない。