他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

自生する

移動時間に読むための本を買いに行った。のろのろしていたら午後になったが。一階の新刊エリアとかを見るたびに、俺は生まれる時代を間違えたのではないかと思う。うわぁ……と思ってしまう。理屈とか抜きに、もうこいつは絶対、根本的に合わない無理だなと思う人に、近い感覚がある。そういう人がいるので、そういうものもあるのだろう。いつもの小説エリアへ。この世にはたくさん本がある。昔、ロシア語の授業で、世界中にある全部の本を(原語で)読みたいとか抜かした記憶があるが、まあ無理だろう。あの頃、なぜどうしてあれほど元気だったのか、いや、元気ではないな、目的も目標もなく渇いていたのか分からない。今は、ないものは同じというかもっと増えたが、存在の有り様として静的になってしまった。はぁ……。穂村弘のエッセイがあったので、手に取ってぱらぱら読もうかと思ったが、新刊にあった、誰彼との対談集を読んで、これは違うな、との感想を思い出し、自分が出した結論を重視し、棚に戻した。なんかで読んだ一冊は、面白かったような記憶らしき朧げな何かがあるが。伊坂幸太郎の、気になっていたタイトルが2つ、文庫になっていた。片方はタイトルさえ初めて見たが、伊坂幸太郎なら面白くないわけがない、という自分ルールがあるので、それは取った。キャプテン・サンダーボルトは、新潮社は新潮社でも、ネックスという、ラノベと文芸の中間みたいな、いや、ラノベも文芸っちゃ文芸なのだが、ライトなのと、一般に言う小説みたいなのとのグラデーションにあるやつというか。装丁はものすごくラノベっぽいが、意図してスタイリッシュな感じにしているとかなんとか、創刊の時に声明か何かを読んだ気がする。ノベルゼロとか、他にもあったが、どうしてそんなに中間が必要なのだろう。ラノベはだせえけどちゃんとした本は読みたいようなでもハードルが高い、みたいな、そんな事があるのか。そもそもそういうターゲット向けなんだっけ。とりあえず、レーベルでまとまって棚に並んでいると、上から下へ、黄色から白に変わっていくようなグラデーションで、字面のちまい明朝でタイトルを切ってあるから、全部が全部同じに見えるデメリットがあるな、とは思った。新潮とか文藝春秋は、背の色が違うから、あれは綺麗だ。村上春樹の本とか、川上未映子のエッセイとか、これ面白そうだな、もうちょっといけるかな、と考えながら手に取っていたら、最初は4冊くらい買っておけば安泰か、と思っていたのに、いつの間にか7冊になっていた。あ、そうだ、森博嗣のつぶやきシリーズ最新刊が出ていたのだ。あれも買った。あれは面白い。