他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

存在を抜いたコーラ

天気予報を見ると、曇りのち雨だったので、洗濯物を室内に干した。家を出ると、天気予報を疑ぐるくらいの晴れだった。ここから曇りになる事はあっても、雨になる事はよっぽどでなければなかろうと思われた。若干後悔し、後悔し続け、夕方になっても、一瞬空が鉛色になっただけであとは晴れ渡っていたから後悔は止まるところを知らず、家に帰ってシャワーを浴びているところでやっと、金属がぶつかり合うような音がして、通り雨だか本足の雨だかがぶちまけられているのを察した。雨が降り出す音を聞くたびに、私は、これはセックスのリズムではないかと思って聞いている。特に、通り雨が降り出し、フェードアウトするまでのそれは、まさにそれなんではないかと思いながら聞いているんである。すごいスピードでピストンしとるな、ゆるくなったな、また激しくなったな、あぁ、ゆるくなってそのまんまや、出すもん出して終わったんやなと、頭の中で変換できている。できたところで胸を張るような芸当ではなく、張るとしても下のテントくらいだろうが、そういう事をしている。雨が降る中、ぼーっとして、変な事考えとるやつおるなあと思ったら、それは私かもしれない。ここ数日の自己省察から発見された事だが、私の中の関西弁というのは、筒井康隆開高健の文章に出てくるそれをプロトタイプとしてイメージが形成されている。中学校くらいから、すでにして言語態が変容をきたし、地元の方言もなんも入り乱れた、正体不明のゲテモノを扱っていた記憶があるが、近々数年来の内的対話に登場する関西弁は、どうやらというかどうやらなくてもというか出典がそれらしい。なので、脳内の言語セクションから漏水している関西弁については、ナウいものである保証が全くない。日常生活の中で、関西弁の巧拙を競ったり評価されたりする機会は別にないのでいいのだが。昨日は、天気が悪かったせいか、起きるのも遅かったしどっかり昼寝もしたので夜にうまく寝付けず、布団で横になりながら、両手を頭の後ろで組んで考え事っぽいポーズを取っているらしいポーズをしてみたり(腕がだるいのですぐやめた)、思いついた、端切れのようなものをノートに頑張ってボールペンで書いたりしていた。明日は、それのうち一つを転写する事で文字数を稼ぎたいと思っている。考えている事を出力するには、はじめっからタイプしてもいいのだけど、ノートにがりがりボールペンで書いている時の方が、先へ先へと流れている。同時に、後から読めるように可読性を保った時で走っているのだから、瞬間的に見れば結構頑張っているのかもな。