他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

退神ご飯

ミストシャワーのような雨が降っていた。風景に、水滴が嘘のように浮いていた。景色に、塩化ビニルの透明なスクリーンを下ろして、そこに霧吹きで吹きかけたような。日本の雨は、濡らすために降っているようだ。お前を濡らしてやるぞ、という強い意思がある。ここの雨は、そうだな、仕方なさそうに降っている。降るという事になったので、こんにちはあなたの前に参りましたが、すぐにお暇します、という姿勢だ。湿度がそれほどでもないので、すぐ乾くというのもあるだろうが。雨に湿って帰った時、家の中でむんとした滞留の暖かさに身を落ち着けて、眠たくなってしまうのは、プールが終わったあの時とあんまり変わらない。チーズが入っている、チーズばかり入っているサンドイッチを二日連続で食っているのだが、全然飽きないので不思議である。物の見事にメインのフィリングはチーズしか入っていなくて、しかしてうまいのである。チーズがうまいんだろうか。チキンなりハムなり、何かしらの肉が挟まっていないと満足できないものかと思っていたが、別にそういうわけでもなさそうだ。ものがうまければ、気にならない。開けたままのチョコクリームクッキー的なやつ、全然減らないのでどうしようかと思っている。食ってないので減らないのは当たり前だとして、なぜ食って減らさないかと言えば、ひとつずつが感覚に訴えかけてくる満足度がハイであり、そうそう量が減らないからである。このクッキー的な何かをひとつ食べるために必要な肉体・精神的エネルギーは、牛丼並盛一杯分である。なくならない理由が納得いただけたかな? あと、推定20枚弱あるので、計画的に減らしていきたいところであるが、絶賛自主隔離中の身であるから、腹が減らないのである。朝飯も昼飯もうまいし、普段2食なのに今は一日3食食べてるしね。食い物がうまいのは幸せであるが、食い物がうまいと感じるためには、料理ができる必要があるのではないかと思う。自分の命の何割かは自分で握りたいという理由で飯を自分で料理するようにしているが、いくらばらばらの材料がうまいと分かっていても、生のピーマンをかじるわけにも、鱗のついた魚を丸呑みするわけにもいかないし。牛乳もジュースもうまいので、現環境の衣食住について、三番目以外は満足している。部屋が暗いのには参った。本当に。期間が終わったら、視力がまた数段落ちているのだろうと確信をもって言える。負はないが、0への漸近線はある。