他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

植民地の食い物

もしかして、昨日は書くのを忘れていたかもしれないな。疲れていたとか、書きたくなかったとかではなくて、ただ純粋に書くのを忘れていた日である。年に何回かある。お山の聖火ではないので、たまに絶える日はある。倦まず弛まず、継続できる人も、すごいと思わないわけではないが、私はたまにだるだるするくらいでないとだめだ。さっき食ったマンゴーがうまかった。人生でマンゴーをうまいと思った瞬間が、何回あるのか忘れたが、もしかしたら一回もないかもしれない。さっきが初めてだったのかも。果肉が「むっちり」していて、あれはむっちりという形容詞が全く適切だったと思う、果物を食いながら、クンニリングスの際に肉を食いちぎったらこんな感じなのかなあ、と考えていた。半分に切ったそれを、無理矢理裏返して、全方位に押し出されたまばらな直方体のそれが、外形として、女性器に見えていたのだろうか。した事はないが、気持ちとしてはこんななのかなあ、うまいなあ、と思っていた。頭の中に複線で考えが走るので、目の前で小便をされながらでも飯が食える。目の前で人が小便をしている事と、自分が飯を食っている事は別個の事実で、互いに何の関係もない。目の前で人がセックスしているのを眺めながら飯が食える店に行ってみたいなとずっと思っている。実際にあるのかは知らないが。あぁ、この人たちはこういうセックスをするんだなあという観察と、ここの飯うまいなあ、という感想が、頭の中で併走してほしいと思っている。かける必要が全くない圧を、かけたくて仕方がないらしい。まあ、でも、なんやかんや理由が見つかって、こいつらのセックスつまらんなと思うのかもしれない。だとしても、一回か二回か三回か、そういう事をしてみたいのは本心なので。食欲と性欲は分けてほしいという言説に、そうかそういうものかとぼんやり賛同していたが、もしかするとこれは共存するものなのかもしれない。スマホをいじるのに夢中でちんこを入れられているのに気が付かない女みたいな、ひとつのAVのテーマがあるが(あれは流行りでもうないのかもしれないが)、あれも見ようによっては、スマホいじりという娯楽とセックスという行為の(同時並存であって共存ではないが)であって、食事という営為とセックスという行為も共存できるものなのかもしれない。ウェット&メッシーも、この欲求の在り方のバリエーションの一つとして把握する事ができるのではないか。マンゴーという言葉から連想される一連のイメージ群が、意識下で絢爛を晒していたのかもしれないな。