他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

アメリカンチェリーのナショナリティ

何か考えていた事があったはずだが、忘れた。そば粉枕についての話だったかもしれないし、ラムネ瓶の中に入っているビー玉の話だったかもしれない。最近のラムネには、ビー玉は入っていないんだっけ。そもそも、ビー玉が入っている理由がよく分からないけれど。音による清涼感とか、なんかそんな理由だった気がする。晩飯を食った後、ぼーっとしていて、アダルトサイトのおっぱいグッズを眺めていた。物を見るのも好きだし、さらに好きなのは、各商品についているレビューを読む事が好きである。キャンプランタンのレビューを読んでも面白くないが、美少女ゲームアダルトグッズのレビューは面白い。何がそこを隔てているのか分からないが、心が面白がっているのだから仕方がない。特に気に入ったものはパソコンのメモ帳機能にコピー&ペーストで残してあるから、好きな時に読み返せる。経験に基づいた記憶は、原体験を呼び起こすので、あぁ、あれについていたやつかと思い出す。年号なり、歴史的事実なりを覚えた方がよっぽど有用なのだが、精神がへんちくりんな食わず嫌いをするものだから、そっちは全然入らない。愚かだ。夕方ごろ、一瞬だけ、外がオレンジ色だった。そろそろ天気が落ち着くのだろうか。先週のどこかで、月曜日まで天気が悪いらしいみたいな事を書いた記憶があるが、一週間くらい、ただ平坦な道を綿棒でなぞるような、無にして虚の、スカスカポンタンな生だったから、そうであるからと言ってどうと言う事はない。読みながら、3割、あるいはやっぱり4割くらいは、知らない単語ばかりだなと、Ray Bradburyの本を手にしながら思う。分からないが、だいたい分かる。ど真ん中の100点ゾーンをピンスポットで射抜くのではなくて、50〜70点台のグレーゾーンを、ふらふら、よちよちしながら行ったり来たりしているような。この、全てが全てに代替される、何かが何かのイメージに置き換わり続ける、イメージのaccumulationそのものみたいな文体に、ものすごく親近感を覚える。日本語ならば、開高健のそれに感じたもの、これを英語で感じるならば、ブラッドベリになるのだろうか。先人は、この英名をレイ・ブラッドベリと訳したわけだが、最後の音を伸ばさなかったのは、よい判断だったと思う。この作家の小説を、訳で読んだら、この語彙の突拍子も無さというか、かなり際どいところから引っ張って来ている、グロテスクさが消えてしまいそうな気がする。