他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

おいしくならないようになあれ

本屋に行った。暇過ぎて、何もやる事がないので本を買おうと思った。結論から言えば、本を買ったとて暇過ぎるという理由でぼーっとしていたので、これは私の中に内在するどうしようもない何かなのかもしれない。ともかく。本屋に行った。探して欲しいと言われていたし、私も気になっていたものがあったので、それを探す意味でも。これも結果から言えばなかったわけなのだが。もはや国技と言ってもいいのではなかろうかという競技について、ルールブックそのものが存在しないというのは、にわかには信じられなかった。でも、なかったのである。棚を何周も探したし、店員にも聞いて、在庫検索までしてくれたが、でも、なかったのだ。選手名鑑とか年鑑とか、エッセイを通して把握するみたいな本はあったが、でもルールブックはなかった。変な国だと思う。一番近いと思われた本でも、glossaryが載っていた程度なのだから、何なのだろうな、これは。古本の中身をひっぺがして、ガワの中に真っ白い紙束を挟み込んだ、見た目再生ノートみたいなのがあるのを、棚を見て思い出した。そうだ、こういうものを売っている。何年か前に、プレゼントで買った。今は、紙そのものに書くのかどうかは分からないけれど、洋書を棚に飾るのは、まあ、悪くなかろうて。レイ・ブラッドベリの、なんか知らないやつと、日本語にするとあれは何だ、『アルカトラズへの道』とかになるのかな。それを買った。中身は知らなくて、表紙の感じだけで買った。自分の母語でない本の小説なぞ、まあちょっと見たところで、ぺろっとめくったところで流し読みなど、私の能力ではできない。小説とは、小説であるがゆえに、語彙レベルとか、言い回しとか、会話文の実生活への距離の近さとかのせいで、全然簡単じゃない。じゃあ、それ以外がそうでもないのかと言うと、新聞は教養のある人が読むのでそれはそれでめちゃくちゃ難しかったり、学術系の本はさらに教養のある人が読むのでさらにもっともっと難しかったりする。社会には、知性の階梯があるのだと、こういう時に分かる。分かって、分からんなあ、と思うだけなのだが。買ったので、10ページくらいは読みたいところだが。外国語のリーダーと違って、自分が今読んでいるその解釈が正しいのか、それが最後まで正解のないまま読み続けなければならないので、それが結構なストレスなのだ。読んでて幸せ、というほど、その言語が好きでもないし。好きこそ物の上手なれとは、まあ、そうだよ。