他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

物臭

痒い……。目が痒い。外を歩く時は目が痒い。眼鏡の両レンズの端っこに、頭部上半分付近の花粉全てを吸引する空気清浄機妖精みたいなものが乗っかっていればいいのにと考えるくらいに痒い。猛烈な痒さなら、それはそれでのたうち回って、自分でも分かりやすい症状が出るから諦めもつくけれど、20%、30%の低出力で常に負荷をかけられると、低電磁マッサージとは訳が違うから、無視していいのか困った顔をしていいのか、選択をする選択ができないとでも言えばいいのだろうか。そんな感じになる。部屋の中でもじんわりと痒いから、春花粉のシーズンが過ぎ去っていくまでは、ずび、ずっとこうなのかしらね。昨日くらいに、舐めた防護状態でレンチンした玉子が爆発して、レンジの中をキッチンペーパーで適当に拭いた。汚ねえなと思いながらも、その汚さが目に見える実害を及ぼしてこないので、特段清掃の労をとっては来なかったが、レンジの中の汚れというのは、擦って頑張って落とす、水気を失ったものではないらしい。腕に力を入れて天井に当てると、その力が行き場を失ってずっこけるような、ぬるりと横滑りするような感触だった。全然深く考えた事がなかったが、健気にレンジ庫内に留まり続け、私と同じ生活の空気を吸っている汚れは、主に油的な成分から構成されているもののようである。だいたいどこを拭いても、ぬるりぬるぬると、いつ付着したかも分からないのに、つい昨日の事のように滑らかであった。だからと言って掃除はしなかったが。心の中の自我が、それくらいでいいんじゃない? と物臭な事を言ってくる(「ものぐさ」は物草だと思っていたのだが、物臭なのだな。今広辞苑を確認したら、懶の字もあたるようだ。懶惰のあれか)のに逆らわず、中途半端な状態のままである。拭かれたところもあり、歴史的地層が保存されたままのところもあり。遠目に見れば、観念的に見れば、手入れを怠っているレンジの中というのは、メタファー的な自然なのではないだろうか。前向き過ぎるな。理由は分からないが、朝から、とにかくケンタッキーのチキンが食べたかった。そんなにいいものではなかったような気がするが、あるものが食べたいという欲求は往々にして逆らい難いものである。最寄りのケンタッキーはかなり前に逝去していたので、普段行かないあたりまで出向いて買って帰った。チキン4ピースをもくもく食べたが、正直2ピースくらいでよかったと思うし、3ピース目を食べ終わるあたりには胸焼けしていた。ケンタッキーは、衣を食べる口実のために鶏肉があるのだとして強ち間違いではないと、これは私と、たまたまこれを話して同意した知り合いの意見である。