他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

咫尺を弁ぜず

朝ご飯のおかずにした冷凍餃子がまずかったので、ある程度ちゃんとした肉を食いたいなという色気が出て、買い物の寄り道にすた丼で唐揚げ定食を食べたが、あれもうまい肉というよりはニンニクの味と温度で誤魔化されているような気がする。朝くらいには雨が降っていたような気がするが、直にやんで、くるくると滞留する曇りになった。日差しが出てこないのでやや涼しくはあるが、どこか粘り気を含んだ風はやはり夏だった。近日、また、頭の中で、おまけの一日、おまけの一日、と繰り返されている。おまけの一日のおまけの一日のおまけの……なのだけど。私の人生の金魚部分はもう終わっていて、あとは切れても切れなくてもいい、糞の部分である事よなあ、というそれが。本が一部崩れた。あああ、と思いながら直した。直した。元通りに、また崩れかねないように。秩序を別の秩序に、体系を別の体系に移すのは疲れるのだ。冷凍餃子がまずかった事をまだ恨んでいる。肉も野菜も入っていて皮もあったが、餃子と言うための最低条件を満たしただけのハリボテで、内実が伴っていないような味がした。牛乳を一週間ぶりくらいに買ってある。好きだがないならないでやっていける。でもないと、あ、ないのかあ、残念だなあ、とは思う。大体のものがこのラインにあるのかもしれなくて、するとこのラインを精査するともっと意味のある境界線がいくつもあっちからこっちへと走っているのかもしれないけど。あってもなくてもいいけどあると便利なような気がするのはマヨネーズとケチャップで、いつも買い物に行ってそれらの存在を忘れている。昔は、適当に塩胡椒で味付けして、このふたつをいい加減に絞ってぐじぐじと菜箸でかき混ぜると、うだつの上がらないチャーハン未満の焼き飯みたいなのができて、曲がりなりにも味は付いているからそこそこの頻度でもそもそしていた記憶が今蘇った。レンジでチンしたさつまいもが熱くて触れないので放っている。焼き芋にしたさつまいもで火傷するならなんとなく格好はつくけれど、レンチンしたさつまいもで火傷するのはどうにも締まらないから、ほどほどに落ち着くまで距離を置いている。冷却期間というやつだねこれが。二人の間を見つめ直すというか。私はそんなにさつまいもの事が好きか、とか、あるいはさつまいもは何を考えているのだろうか。三分の一だけちょん切って食べやがって、こすい野郎め、とか思っているのだろうか。私はお前に醤油をちょっと垂らして食うぞ。