他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

なんとなく日は暮れて

すげえ眠い。なぜだろう。日によっては、10時間くらい寝ているのだが。それも、まだ眠いがこれ以上寝ても得るものが何もない、という消極的理由によるものであって、ぴんぴんしてるから起きて生産的活動頑張るぞ! というものでは毛頭ない。これほどやるせない事があるあろうか。今日、実に数ヶ月ぶりに見て、会い、話した人が、結婚する人がいるという話を突然し始めて、しかもそれを巡る周辺の話がとてつもなく混雑していたので、別れてから、あの人みたく、人生がいくらあっても足りなさそうな人もいる一方で、私みたいな、もう向こうの人生全部おまけみたいなもんだと思っているやつもいて、人生とはまっことままならないものだな、と考えた。今日、初めて手触りと実感を持って感じたのだが、筋肉少女帯の「おまけの一日」、あれは真を語ったものだったのだ。暗唱できるくらい、昔から記憶には残っていたのだが、大槻ケンヂは、ああ思ってしまった日があるのだろうか、それとも、頭の中に、そう思ってしまう誰かがいたのだろうか。おまけの一日というか、おまけの何百日、何千日、何万日なので、あの少年の気持ちは、分かるようで分からないかもしれない。いや、けれど、あの少年には、一生懸命になって打ち込む(打ち込んでいるように思える)事柄があったのだ。夜、帰り道を歩きながら、「サーチライト」も頭の中で歌っていた。あれも、本当にいい曲だし、いい歌詞である。この世には、なりたくもないのに、暗ーくなっちまうやつがいてね。2番が終わってから、次々と言い募るあそこのパート、ものっすごくいいところである。世の中には、たまに、この人には象徴界が見えているか、のしかかっているか、象徴界に飲まれかけた事があるか、何かしらで原酒原物に触れたんだろうなという人がいるが、大槻ケンヂもその一人だと思う。私もいつかお目にかかりたいのだけれど、あまりの密度と狂騒に、全てを投げ出して存在を放棄するかもしれない。や、でも、夢の国ではあるんだな。また、すごく眠くなってきたな。これは別のものかもしれない。丸亀製麺の、タル鶏天うどんを食べて帰ってきた。得、とかいう、鶏天の個数が多いやつがあったのでそれにした。鶏天だぁい好き。わぁい。かと思ったら、うどんの方も得々で、3玉くらいどぼんと入っていた。大盛りに、いっぱい鶏天が乗っているだけじゃないのね? しばらく食っていないが、二郎系を食べている気分になった。丸亀のうどんはしばらく食べていなかったが、あれ? こんなもんだったっけ? と思った。あれ? 疲れてんのかな。