他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

経年耐久

昨日の出来事がショックだと知人に言われて、ああそうか、ショックなんだ、ふーん、と思った。残念ながら? ここでつく副詞は何だろうな? 私はあんまり何も思わなかった。生き方には相応の最期が伴うものなのね、という感想である。お悔やみ票で大勝されるといやである。それは民意ではない。なーんにも信じて託してない。朝、おはようございますと言って、昼、こんにちはと言って、夜、こんばんはと言って、状況に即応した反応であるだけではないか。抱えて、じっと待つという事ができんのか。遠くから、最後の街頭演説が聞こえる。スピーカーを用いた演説は、言葉が音に分解して、ただうわんうわんするだけなので訴求の手段としては有効ではないと思っている。肉声で届く人数と範囲がいっちゃんよろしいやろ、と思うのだが、そうするには人間が増え過ぎたし生活がせこせこしたものになり過ぎた。あと、メガホンとかマイクで長時間喋っていると、自分がとても素晴らしい、意味に溢れた言葉をだくだくとお送りしている気分になって気持ちがいいのだが、それは喋り続けて脳に酸素が足りなくなっているだけなので、その実大した事は言っていないケースが100%に近い。自分はほんまに、まともな事言うてるんかいなと自らの頬を引っぱたく内的理性、内的観測装置を保持するための酸素くらいは取っておかないといけない。選挙演説は、聞いてみると、しょうもないか、語彙が少ないか、そのどちらもであるかが結構ある。特に語彙が少ないのは、ちょっとあんたをセンセイと呼ぶにはあんた自身が足らんなあ、と思う。今日読んでいたガリヴァー旅行記に、ああここはぴったしの箇所やねというのがあったので書いて終わろう。

「あらゆる就職の場合、その人選に当たっては、有能な人間であることよりも有徳の士であることを重視する。政治が人類全般にとって必要欠くべからざるものである以上、ごく当たり前の人間的理解力の方が各種の地位にふさわしい。それに、神にしても、公務の遂行を、それこそ一時代に三人とは生まれない、ごく僅かな、途方もない天才だけにしか分らないようなひどく深遠な仕事にしようなどとはお考えにならなかったはずだ。それどころか、真実や正義や節制等々といったものは、誰にも手の届かない美徳ではない。経験と善意の力をかりてこれらの美徳を実際に実践できる人間なら、誰だって十分に国家公務員としての資格がある。もちろん、一定の専門的な研修が必要な部門は例外であるにしてもだ。しかし、道徳的観念が欠けている場合には、いくら天賦の知的才能に恵まれていてもそれをみたすことはできない。そういった性質の人間の危険な手に、大切な公務を委ねることはできない。篤実な人間にしても、無知のためについ誤ちを犯すかもしれないが、少なくともそのような誤ちは、生まれながら腐敗堕落しやすい性格をもち、しかも抜群の知能を駆使して自分の腐敗行為を巧みに処理し増大させ言い繕う人間の所業に比べれば、国家の公共の福利に対してそれほど致命的な害を及ぼすことはないはずだ、——これが彼らの考えであった。」(第一篇 リリパット渡航記)