他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

乾かなかったら

作った料理が褒められた。感情が抑圧されるのに慣れ過ぎていて、これが一体そうなのか分からないが、多分嬉しいなと感じたのだと思う。こういう時に、嬉々として喜べる人間なら、可愛げがあるのだろうが、私はいつも同じ、何も考えていないような、しかめ面をしながら苦虫のガムを噛んでいるような表情か、一切が抜け落ちたぬっぺりした表情なので、自分の内面を観察する事にエネルギーを費やし、あまりattractiveな返答はできなかった、と思う。そうでなくても別にいいのか。相手は、短い付き合いではないので、私のもにょもにょした言動も、狎れたものだろう。自分の作ったものを人に食べられる機会は、まずないので、褒めてもらえてよかったね。後ろ向きな感情を取り扱うのは得意なのに、プラス感情を表す語彙というか、スタイルが乏しすぎるな。あるいは、それは、どちらがより親しみがあって、手に馴染んでいるのかという違いでもあるのだろうが。私は、いつも楽しくて、いつも楽な方がいいとは全く、これっぽっちも、ぜーんぜん思わないので、というか、光あっての影というか、極が最低2つはないとどちらも立ち昇らないわけで、一つだけに甘んじ傾斜するのは、自身の感覚の否定と鈍麻、もっと言えば圧殺であるから、私は、光を見るために、どっぷりした影をもっと長い時間見つめなければいけないのだと思っている。成長には必ずプラトーがあり、そこがなければ上には線は伸びていかない。なので、放り出さず、見つめて、自分の言葉で、考えを編む事が必要なのである。オリンピックは最悪だと思っているが、特に、開会式に対する反応がもっと、それとも同じくらい最悪だった。風見鶏か、めんこか、書き割りみたいな人間がいる事にどうしようもない気持ちになった。あの胸中は、どうしようもない、以外の言葉ではどうしようもない。あんな集団に、帰属意識など湧かない。いくら一枚岩ではないとは言え、全く別次元の話のようである。これについてはいくらでも言えるが、言っても仕方がないという気持ちだけは持たないようにしたい。いくら相手が仕方のないやつで、言っても仕方がなくたって、言わなければ解決は始まらないのだ。始まるかどうか、随分怪しいけれども。スーパーで、懐かしのビスケット? クッキー? みたいなものを見つけて、買った。開封して食ってみたら、あぁ、お前はまだこの芸風でやってるんだな、と思う、頭の悪い甘みがべちゃっとしていた。窓枠にかかった蜘蛛の巣に、蜘蛛がぶら下がって死んでいる。