他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

蛙が飛び込んだ池の表面より跳ね上がった水滴は宇宙に達して蒸発した

武田砂鉄『今日拾った言葉たち』を読んだ。非常にちまちました作業である。なんだかするりと横を通り過ぎることができなかった言葉に、都度立ち止まって考え込んでいるのだから、ちまちましている割に手間のかかっている作業である。しかし人間の意識の基盤は言葉であると思うし、ここしばらく続いている粗雑粗野粗暴、とにかくこれがいい歳こいた大人の言うことかよと目と耳と頭を疑うような言葉遣いが暴風のように日々吹き荒れ飼い慣らされている状況において、こうした歩速が遅くて、あんまり前に進まなくて、足跡がしっかりつく過ごし方をしなければ、内面に蓄える言葉がどんどん枯れてしまう。味付けは濃くないが、よくよくこちらのことを考えているのだなという含みを持っている。分かりにくいので、私は武田砂鉄の本が好きである。カミソリの切れ味が、初日のそれがずっと続けばいいのだが、最初の三日目くらいまでと、それ以降と、ふたつしかないような気がする。モンハンの武器の切れ味ゲージを思い出す。朝トイレに座って、ものすごく気持ちよく、するりと一本躍り出たので、これを快便の教科書に載せようと思った。自分の肛門をしげしげと見たことはまだなく、ないわけではないのだが下半身麻酔で意識が朦朧としている中で胃カメラを突っ込まれていたその時は何も記憶に刷り込まれていないから、肛門内の有機的肉ヒダとうんこの表面的摩擦関係などについて思いを馳せるところまではいかず、水で流した。うんこの表面は思ったよりでこぼこしているのだが、あれは外に向かって飛び出すでこぼこではなくて、一定の容積下での膨張を強いられた結果の内面へ向かうでこぼこなので、おおよそ硬度に問題がなければつるとんたんと出てくるのだろう。大便が重力に従って順当に便器内の水面に落下した時、無用の水はねが起こらない、そんな便器を人類が発明したなら、少しだけ、ひとつだけだが世界はやさしくなる気がするのだ。