他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

ふぼすける

お土産でエプロンをもらった。海外のハンドクラフトなものらしい。なかなかイカしたデザインをしている。他にも選んでいいよなものはあったのだけれど、現地ナマのエプロンというのは他に経験し難い。これを選ばずして何を取るべきか。エプロンを人生で意識して持ったことがないので、これからその存在に身体を寄り添わせていこうと思う。料理する時はめんどいのでエプロンを着けてこなかった。しかしエプロンが存在するということは、料理をする時にそれが必要な局面があるということだ。私の中でエプロンとは、英語の授業一発目にappleと並んで登場し、同じアルファベットでも発音が違うのである、という啓蒙のものだ。アルファベットだけの現象かというと、まあ当たり前ではあるがそんなことはなく、中国語だって同じ文字なのに読みが違って辞書を引き損ねることはままある。とうもろこしを一本買っていたので茹でた。茹でながら、4コしかない、なんでもう一本買っとかんかったんやろか、と思った。とうもろこしを買う時は、都度こう思っている気がする。実体と、物量としての手触りが合致していない。私は今、入力の時だ。多分。出てくるものがない。言葉を選ばなければ、でっかいウンコが出てくるのを待っている。精神には、おそらく、糞詰まりで破裂死することはない。