他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

性善説からの悪徳教育

定期的に、罫線のない真っ白なノートが欲しくなる。罫線に行を意識させられるのが嫌になる、そう言ってオーバーなら気になる瞬間があって、ザラ紙の沈んだ灰色や、大学ノートの踏みしめられた雪のような白ではなくて、スリーブを外した消しゴムのような、嘘みたいな白を欲する。パソコンの画面から飛び出してくる、色値を指定した白ではなくて、手に取って目で見て「白い」と思う白に手が伸びる。迷い込んだどこかの大学生協で、白いノートを探した。白いノートは、断続的に使って来た。数学の問題を解くのに、図を書く時に余計な横線が入るのが嫌で百均の無罫ノートを濫費した。デザインの素案が浮かぶまで、適当に文章を書きなぐり、四角や丸を頼りに頭の中で構成を散々弄くり回した。何かを思い付いてもすぐに書きとめられるよう、心理的な保険として、カバンの中に白無垢の紙束を潜ませておいた。さすが学生生協と言うべきか、いい感じのホワイトノートがあった。ツバメノートとかいう会社の製品のもので、極厚タイプの表紙裏には「私たちはこんなにノート作りに精魂捧げてるんです!」なる旨の、暑苦しくなるくらいの売り文句が書いてあった。ソノラマ文庫というレーベルがあったが、その時代のエネルギーを、その時代の粘りを持ったフォントで刻み込んだようだった。まだ全然使ってないし、私の頭の中がノートと同じくらい真っ白けなのだが、いちページ目には今の所こう書いてある。「but the quotation cannot be left to speak for itself」「見なかったふりをするのも難しいが、見たふりをするのもまた難しい」前者は、本を読んでいる時に「逆立ちしても一生書けっこないなこんな英語」と思った一節であり、後者は西尾維新が伝説シリーズの各章冒頭で書いていたエピグラムみたいなやつを思い付いたものだ。よいノートを綺麗な肌のまま腐らせるのも勿体無いので、書き込むべき事を発想すべく脳味噌のお尻をぺちぺちしていきたい。私は自意識過剰なので、大型書店と言うのか、普通の本屋に行くとものすごく恥ずかしい。どの棚のどの本を見ているのかを見られていると思うと顔を真っ赤にして凝集してその場から消滅したくなる。エロ漫画を買いに行く時は、ああいうお店では私含め自分の世界で領域が隔絶されているので、ただ孤と孤が共時存在しているだけなので全然気にならない。一冊の本をレジに持って行くだけなのに、ものすごく疲れた。そして、恐ろしく不毛で非効率的なレジシステムだった。あれを発想し定着させる手腕が恐ろしい。