大変よろしく晴れたのでシーツを干した。これで今夜はよう寝れるで、いや、よう寝れんと困るな、最近寝つき悪いし、と思った。家に帰ったら、前の道路脇に掛け布団のシーツが丸まって落ちていた。なぜ。ハンガーとピンチハンガーの二重留めで干していたはずなのだが、なぜ柵を飛び越えて、まだ見ぬ世界へ乗り出そうとしているのだ。他の洗濯物も数点落下し、物干し竿の直下でうずくまっていたため、いい感じに強烈な風が吹き、入り組んだ住宅街、ちょうど建物の裏手となるくぼんだ箇所、いくつかの要因が作用した結果、ぽんと飛んで、公道に吹っ飛んだと推測される。脇に丸まっていたのは、もしかすると、道のど真ん中に広がって吹っ飛んで、やさしい近隣住民がよけておいてくれたのかもしれない。たまたまそうなっただけかもしれない。どちらかを選ぶなら、世界がステキに見える方を選びたいではないか。明日は毛布を洗いたい。
大所有
びたびたの雨が降っていたはずなのだが、手が非常に乾燥している。季節の変わり目なのでお肌が曲がり角を曲がっているのだろうか。狭い道が多いのでビル風が強烈で、目の前で少なくとも2本のビニール傘が破壊されていた。あるおっちゃんは傘がめちゃくちゃになり、帽子が吹っ飛ばされてびちょびちょになりと可哀想だった。ぶっ壊れたビニール傘を路上に捨てる無責任な大人にはなりたくないものである。明日道を歩くと3本はあると思う。私の家の近所は程度が低いので。日本人は礼儀正しく、街は綺麗だというのは甚だしい幻想である。幻想になったのは何のせいなのか知らないが。貧すれば鈍する、は言葉少なにして含むところが多い。鈍くなっているのは私もだ。どんどんとろけていく。うああ。
派生異物
米を買った。持ってきてもらった。今までもらったことのなかった領収書が入っていた。私用なので、まあレシートと思えばいいのだろうが。はっきりしないぼやぼやした天気で、雨が降ったんだか降ってないんだかな感じだったと思う。見てないので分からない。本当にやることがないというか、ぼろぼろ、おえっと込み上げてくるものがないので、スーパーの呼び込みくんとか、ケータイショップの店頭で誰の相手をするでもなく存在が滑り散らかしているペッパーくんとかの方が益のある存在である。どう……どうすればいいのかと思うのをどうすればいいんだろうか。
板線路
買ったけど読んでいない本と、読みかけなのを忘れて放っている本が、机周り、枕元に散らかっていることを思い出した。そこにあることに慣れると、どういう意味合い文脈でもってそいつらがそこにいるのかを忘れるので、こういうことになる。しばらく頭が肩に埋まるような天気で洗濯物がずっと湿っていたけれども、今日はなんとかそれらしく晴れたので、ハンガーにかかって3日目くらいに突入する洗濯物がやっと乾いた。明日は早めに起きてシーツを洗いたい。特に目標がない。
あっち向いてにゃーん
桜が咲き、おそらく満開と言ってもいいほどで、うすらピンクの白い花びらがぶんぶんと咲き誇っていたが、どうにも天気が悪く、冷たい空気とげんなりした空の色が後ろに透けて、まるで後ろに血管が見えるようだった。雀が枝を飛び回るのにあわせて、花が根本からぼたりぼたりと落ちる。公園に降り注いだ花びらは、近くの作業場のおっちゃんがウインドブロワーで集めて捨てていた。木についているうちはそれこそ「花」だが、地面に落ちるとゴミになる。毛髪や唾液と同じものを感じる。梅も勢いづいて盛っていた。白い方は好きだが、桃色の方は色味が強くて見ていると疲れる。明日明後日晴れなければ、今年はまともな花見のタイミングがないまま、花びらの絨毯の上で葉っぱを見ながらぼーっとすることになるだろう。寒い公園のベンチで、電話をかけながらぼーっと桜を見上げている人がいた。あれは花見なのだろうか。
sambar
特に書くことを思いつかない。やろうと思っていたことがあったのを思い出したが、そう急ぎではない。そんなことを言っていたらいつまでもやらないだろうが。身体が文章を探しているが、何によってそれが満たされるのか分からない。左手がえらく乾燥している。生きるのがもう少し上手ければなあ、と思う。
細切
昨晩に三体を全て読み終わった。とんでもない本である。質・量・スケール、その他諸々どこを取ってもおよそ全てとんでもないものではあるが、これが一人の人間の頭から生み出されたという事実、それがもうとんでもない。ぐわーんと来る。人間味に溢れているのだが、しっかりしたSFでもある。SFという枠を自ら推し広げるような、そんなパワーがあった。なかなか体力を使う旅ではあるけれども、これを読まない選択肢を勧める理由はないくらい、たいへんよい。
地べた
今日は一日ダウンしていた。青色で下向きの矢印がまとわりつくデバフの表現があるが、脳味噌がその状態だった。やろうと思っていたことを何一つしなかった。できなかったと言いたいが、げんなりしてやる気が出ない状態において、そのしなかったという結果に対する原因をどこに求めるべきか考えると、最終的にその意思決定をした自分を責めるべきな気がする。ブルアカのテキスト精度が異常に低かったので、なんか……大丈夫かな……とずっと思っている。