他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

しあわせに有気音をつけるのは難しい

起きて寝て食べて寝て起きたらほぼ終わっていたので、睡眠過多の頭でぼんやりする。咽喉の奥に、牛乳をレンチンして温めた時にできる不自然な膜が張っているような感覚があり、眠すぎるといつもこうなので勘弁してほしいのだけれど、たまに浴びるほど眠たくなるので体質的な何かだと思って半ば諦めてニコニコする事にした。眠いね〜うんうん。油断すると外に一ミリも出ないので、外食なりなんなり、外出の用件をでっち上げなければとても出向けない。雨が降るのではないかと気が気ではなく、カーテンレールに洗濯物を引っ掛けていたため、昼に外が晴れていたのかどうかも分からない。文房具エリアで新しいシグノをひっつかんでレジに向かおうとした時、そういえばボールペンには替え芯システムが存在する事を思い出し(気取って言うとコレトシリーズのようにレフィルだが、恥ずかしいので口には出せない)、WindowsXPのまま職場の情報機器環境が動いている役場に置いてありそうな味気ない平棚の軽い駆動音に捏造された懐かしさを覚えながら探すと、全然手のつけられた事がなさそうな様子で、簡易包装のコンドームと似た雰囲気を纏った替え芯がごろごろ入っていた。薬莢付きが130円くらいだが、替え芯だけならば6、70円くらいだった。ほぼ半額である。ボールペンの機能は書く事だが、書く事と同じくらい、書く事を可能たらしめる機構にもお値段がついているらしかった。新しい外身にすると、ラバーグリップが肌に馴染むまで気持ち悪かったりキャップの締まり方に違和感を覚えたりするので、恒常からの逸脱にどうしようもなく居心地の悪さを覚える心の持ち主としては、古い皮袋に新しい酒を移せるのは大変ありがたい。安いし。芯を取り出して、残りのインクでどれだけ書けるか概算を試みてはいるのだが、もう爪の厚さくらいしか残っていないのに、ガリガリ書き続けても掠れたり引っかかったりがない。もう終わりだろうと見くびってからが本領発揮だった。三本も買ってきたのはやりすぎだったかもしれない。冷蔵庫の中にキノコがない。シメジかエノキがないと不安だが、買ってくるのをいつも忘れている。肉もちょうどいいものがなくなってきて、冷凍を延ばし延ばしにしたために悪臭を発するようになってから保存処理されて食感の悪い手羽元や、パウチで買ってきたのでバラすのが面倒くさくそのまま冷凍されているヒレブロックくらいになってしまった。業務用スーパーで見かけた辛口のレトルトカレーを、「辛口とか言ってもそんなに辛くないっしょ」と見くびって買ってきたら、看板に嘘偽りなくかなり辛かったので、たまには人の言う事を素直に信用しようと思った。

掘っても掘っても尽きない人

一瞥の必要もないくらいにすごいものもあって、そういうものは後になってから振り返ると実は大したことのない見栄だけのハリボテだったりするのだが、まあそれは見れば分かる説明を要しない超言語的な迫力や存在強度を持っているから、こちらからかかずらおうがかかずらわなかろうがそこにあるので放っておいても大丈夫である。相手にしなくてもそいつはそこら中に浸潤しているし、相手にしてもらうには生半可では無理だ。大概、鑑賞品であるままぽてっとあるのだから。しかし、そうではないタイプ、一見変哲はあるものの全容、縦横高さ諸々のステータスが分かりづらいがゆえに中途半端な分かった気しか寄越さないものがある。先達や賢い人がそこから掘り出してきた鉱石や欠片、自分で出向いた匂いや溢れ出す雰囲気を賽の河原のように途方もなく、完成の形が分からないまま、すごいと言われているからにはすごいのかもしれないと騙したり宥めすかしたりを続けながら試行錯誤していると、時々強烈な火花が一面飛び散らかして、さっきまで住んでいた家を全て燃やし尽くすようなものにたまに遭遇する。手の中の針一本がものすごい音を立てて増殖し、もはや威容としか表しようのない、突き崩せない質量を持って腕を踏み潰し、真の姿を一瞬だけいたずらにちらつかせてどこかに行ってしまった時、痛みや喪失感よりも先に、意味を自覚できない涙や滑らかな胸裡の軽さが襲ってくる。本当にあるかは分からない、それにあったとしてそれを伝達し切る事が可能かどうか不明だけれども、神との邂逅、神秘体験は、そのようなものの類なのかもしれない。何をもたらすわけでもないが、有無を言わせない、絶対強度の本物はあるのだと知る事は、多分に贅沢である。外張りのデザインセンスは時代にはるか取り残されているが、ベープノーマット60日タイプのおかげで、安眠にありつく事ができた。ただの一瞬であっても全身総毛立って、磁石に引かれる砂鉄のようにぞわっと存在がそちらへの指向性を持つ事を矯正する蚊の羽音がないだけで、夜のなんと安らかな事であろうか。蚊への尽きぬ負の感情が掃いても捨てるほどあるならば、すでに身体の箇所に恥じらいの砂丘を築かれてしまっているならば、千円しない、税込でも900円弱くらいだったので、騙されたと思ってベープノーマットを今夏のお宅に導入してみてはいかがだろうか。6畳くらいの範囲には覿面なので、寝る前にお布団の周りで炊いておけば十分である……。

可愛くないソラ豆みたいな形

断続的な羽唸りの方向へ、耳の質量が形を変えてうにょうにょと伸びていくかのような錯覚を覚え続ける不眠の夜を乗り越え、朝方にうっすら訪れかけた眠気に手を伸ばした結果再びギリギリ間に合わない程度に寝坊した。湿度の伴わない癒着によって地にへばりついた身体を無理矢理起こすだけで、一日のために確保されていた行動エネルギーが消費されてしまった。何もないのに玄関脱靴にてコバエが飛び回っている不可解な状況を思い出し、何匹かのコバエが立ち上るゴミ袋をひっつかんで集積所にぶん投げた。これからの季節、ことさらに気をつけなければ、たちまちのうちに容易く迅速にあっという間に蛆が湧く。人生のトラウマ情景ベスト10に指折り数えられるあの日の光景を再訪しないためにも、早め早めに生ゴミは処理していかなければいけない。睡眠が妨げられるとはかくやと痛感否痒感し続けて体力や精神力がそろそろ限界に近づきゲージが赤くなり画面に赤の不透明レイヤーがかかり始めたので、ドラッグストアに行って蚊をしばくタイプの薬剤何かしらを仕入れようと思った。さすがにもう無理だ。実害(痒み)と精神攻撃(羽音によるMP削り)に疲弊した末に、やっと足が動いた。蚊がやべーですよと相談したところ、ベープがいいぞとのアドバイスをもらっていたため、一目散に殺虫剤ゾーンに向かう。日常にするりと入り込んでいる「殺」の文字に背筋が冷たくなるものを感じないではないけれど、喰らった仕打ちを考えるとそうでもなくなってくるので、もしや戦争はこうしてエスカレートしていくのだろうかと思考が飛ぶ。そういえば、人生でベープと聞くとノーマットが後ろにくっつく。祖父母の家、畳の部屋の隅っこで黙々と狼煙を上げているあのこぢんまりまんまるなシェイプはやっぱりベープノーマットだ。しかし、棚の隣に「ベープマット」という商品がある事に気がつく。箱をためつすがめつするに、虫除けシート的なもの、らしい。ここで、頭の中でベープノーマットが全く異なる認知に置かれる音がした。ベープ、noマット。マットタイプじゃない、マットがいらないタイプのベープ、それがベープ「ノーマット」だったのだ。今日という日まで、そして今日ベープを買わなければ死ぬまで永劫、ベープの後にくっついているノーマットの意味を一ミリも反省する事なくのうのうと暮らしていただろう。知性とは偉大である。なお、家に帰って起動したはいいものの、間も無く蚊がPCの横に止まったので親指で優しく圧殺した。ベープを買ってきた意味が、早々に薄れた。今晩はよく眠れるといいな。

ごまドレッシングに沈めたおはぎ

季節ごとに、そのシーズンに因んだアイテムを装備できるならば、暑くなって夏場だなと思うようになると「網戸」を装備したくなる。焼肉の焼き網を想起するからなのか、なぜなのか分からないが、網戸という語感がとても気に入っている。外界に向けて開いているようで、しかしその実通行を遮断している二面性も見逃せない。面会所で一面を覆うガラス板のように、双方向であって双方向でない。ある線までは歩み寄りますが、その線を踏み越えてこちらには絶対に来ないでください来るなという印象を与えるアイテムとして、網戸は一つの最適解である。物理攻撃は全然防げないし、アタックに使うにしてもサイズを持て余したハエ叩きくらいにしかならないが、背中に網戸を背負ったキャラがオープンワールドのロビーに突っ立っている光景を想像すると、胸の中でワクワクする悪巫山戯の火花が飛び散るのを感じる。スキンとしてでもいいので、網戸でビームを防いだりしたい。外界に対して網戸で防衛手段を張っていたはずなのだが、洗濯物を干す時だかに室内に入り込んだまま一向に出て行く気配のない蚊に一晩中、朝ぼらけをうっすらと視認するまでになっても全身を刺され続けたため、全く一切これっぽちも睡眠を食む事さえできず、徒らに痒みを搔き消すために悶え続けて気も休まらず、やっと眠気が兆したところで目覚ましが鳴ったのは覚えているのだが、それを止めた次の瞬間から記憶がごっそり欠落しており、覚醒して枕元のケータイで時刻を表示するとギリギリ間に合わない時間がぺかぺかと液晶に表示された。左腕だけで7箇所の被弾があり、全部繋ぐと北斗七星みたいになる。他にも足やらなんやらぶすぶす刺されて、堪ったものでも堪えられたものでもない。ムヒを買って後手に回るか、ゴミ箱に集り始めたコバエもろとも一掃し室内に安寧をもたらすためにベープを導入して一夏の間殺虫スモークを炊き続けるかの二択を迫られて、家にいる時は痒くてたまらんので覚えているのだが、外に出るとすっぽり忘れるので二者択一に答えを出し忘れて帰宅してすぐさま今晩の知覚戦争に思いを馳せぞっとする。今、すでに踝が痒い。始まる前から負けている。目下7ストライクくらい取られているので、そろそろ仕留めないと蚊に負ける。負けないぞ。帰りに弁当屋で買ってきた鶏むね肉のケチャマヨ炒めがすごく美味しかった。ケチャップの嫌な酸味もないし、マヨネーズの嫌な脂っ気もないし、鶏むね肉の無愛想さもない。ソース的なそれをよく観察すると、ハーブやニンニクスライスが入っていたので、その辺が上手い事上手いようになっているらしい。んまい。

知らなかったでは済まされないという事を知らなかった。

朝5時くらいに手荒れがあまりに痒いので起き出して、お手洗いに行ってハンドクリームを塗り直して二度寝したら盛大に寝坊した。ギリギリ間に合うくらいではあったが相当寝坊した。手荒れは日常の些細なムーブにさえ支障をもたらすのが気に食わないところだが、数少ない安息の機会である睡眠も妨げるのは食わずに生ゴミとしてほってやりたいくらい憎たらしい欠陥である。きちゃなかった最表面の皮がだいぶ剥がれて、まともなハンドスキンに持ち直してきた。右手人指し指第二関節に垂直交差するあかぎれが発症したが、それ以外は目を瞑れなくもない。痒さが全身総毛立つ勢いで催した瞬間、両手だけ氷獄の水風呂に漬けてもぎたくなる。掻くと真っ赤になるが、掻かなくても充血して真っ赤なので、デッドオアデッド、だいたいどっちでも一緒である。三メートル以上はありそうな、たっぱのある噴水の近くを通りかかると、同じく3メートル半径よりも遠くにいたはずなのに、眼鏡に跳ねてくる水滴がある事を知覚した。三滴くらい被弾したところで、立ち止まってじっと中空に目を凝らしてみると、ちらちらと景色を乱すホワイトノイズが飛んでいる事に気が付いた。高いところから吹き上げて、低いところへだばだばと自由落下に任せると、被害範囲は目で見えるより広いらしい。男子用小便器などが頭の中で連想されたので、頭をぶるぶる振って忘れた。そういえば、昨日やっとこTRICKのシーズン2を全部観終わった。メインキャスト以外の、時たまメインキャストすらの何とも言えない、ヘタクソさと役に入ってなさが気持ちよかった。堤幸彦演出の回が好きなのだが、昔は色々役割持ちも入れ替わるものだったのかしら。アマゾンプライムが突然追放しない限り、まだ劇場版とシーズン3があったかな、残っているはずなので、ゆっくり楽しんでいきたい。矢部・石原の刑事コンビのどうしようもなさとか、あえてツッコミどころが洗練されずに残っているからなのか、うっかり残留しているのか推し量るのが難しいくらい、物理法則におんぶにだっこでギリギリのバランスを保って世界観が成立している、と思う。当時の阿部寛も特段演技が上手いわけではないのだが、なぜか全体的にぐいと前のめりになるチャームがある。ヘタウマとかではないのだよなあ、サブキャストはヘタクソと言っていいくらいだから。キャラクターの魅力、と言われると、納得できなくはないが、まだ何か正体がありそうだ。ぼんじり食べたら脂で気分が悪くなった。おええ。

蜘蛛と蚊と蝿

部屋に一人でいる時、口に出す時もあるし出さない時もあるが、「虚無を満たしている……」との文字感覚がへばりついて離れなくなっている。頭の中で弾幕みたいに流れたり、衣擦れと呼吸音しかしない停滞の環境音にいちいち耐えかねて水面の波紋を呼び起こすように口を突いて転がり出てくる事もあるが、虚無を満たしている。虚無は虚ろで無いのだから初期値がゼロで最大値もゼロで、満たすもクソもへったくれもないのだが、ないよりはあった方がマシとの習い性の貧乏癖がそうさせるようである。エネルギー切れになった乾電池を目の前に正座して、万が一億が一使えるようにならないかしら、とぽわぽわ空想して、来るか分からないと言い聞かせる事により来る可能性を主観的に担保しつつ来るか来ないか分からない実験的可能性にチップをどろどろ溶かし続けていて、時は金なりと言うくらいだから多分ものすごい、ものすごく無益な沼に足を取られてヘラヘラしているだけで、めちゃくちゃ無駄なはずだが、カロリーを消費しないよう気を配るのにカロリーを使う事に頭がシフトしてしまうと、新しい光明に縋る元気さえしなしなと縮こまっていくので、実はある底にいつか足がついて、一人何の意味を持つのか分からない笑みを取りこぼしながら這い出たり、やっぱり底がなかったので鼻まで埋まった辺りで観念して観念する準備を始めたり、どちらかに選択肢を絞られて頭を使わないようにしたいが全然沈まないし浮かないので、両足を泥の立った水たまりに突っ込んだ状態で帰結を考えて目先の行動を先送りにしているだけでもあるので、手の届く範囲内に需要のあるものを取り置き始めて、色々よくない。よくないのを分かった上でよくない事を止める避けるが可能ならばもっと世界の数直線は正の方向にスライダーを走らせていいはずだから、ああ、よくねえなあ、よくねえんだろうな、よくねえのは分かってんだよな、と頭では分かっている分別を身体が軽々と飛び越えていくのをあと何回経験する事だろうか。玄関入ってすぐのキャビネットに造作と品なく積み上げられた資源ゴミや、ゴミ箱のキャパシティーの4倍はあろうかと推定される過積載ゴミ袋にぎゅうぎゅう詰められた燃えるゴミや、捨てようという意思で捨てるものエリアに移動したものを実際に捨てる事をまたぞろ忘れ続けているので、捨てたりしないといけない。しないといけないで済むならなあ。ご飯に生卵を割って、山椒辣油の固形物をかけ、醤油で調味してぐちゃぐちゃにかき混ぜると美味しい。秘密だよ。

名実共に相抱き合い地の底まで

思いついた事の9割くらいはケータイのメール機能を起動して、下書フォルダの未送信メールに9999文字溜まるまで書き込み続けていて、たまに操作ミスで過去の堆積を開いてしまう事があるのだが、「萩」と「荻」のどちらが「おぎ」でどちらが「はぎ」なのか覚えられなかったから考えた「獣奥義アニマルパンチ、秋はおはぎが美味しい季節」は何回見てもよく出来ていると思う。これを考案してしばらくしてから名字にどちらかの漢字を持つ人が現れたので、咄嗟に思い出して間違えずに読む事ができた。めちゃくちゃ便利である。それがどうでもよくなるくらい、めちゃくちゃに暑い。めちゃくちゃに暑いわけではなくて、ただ暑いのだが、グラデーションを描いて段階的に身体を慣らしつつ不可避的に気候に順化していくのと、グラデーションの中間値をぶっこ抜いて始点と終点のビビッドに突然全身を晒されるのでは天と地ほど違う。天候の話をするにあたっては、一息に一万円をもらうのか分割して一円ずつもらうのかを迫られると後者を選びたい。外に出て、日向のルクスを感じるだけで目が潰れ、冷や汗が濾し出される。暑いと言っているのに。ぺと、ぺと、と追いすがるような暑気ではなく、全身で抱きすくめられるような途切れ目のない暑気だ。う、うわああああとパニックになって身体をよじりじたばたして振り払いたい欲に駆られるが、そうしてしまったが最後、発熱と発汗の永久機関が起動する嫌な音が聞こえるので、じっと目線を下げて唇を噛み、視界を涙で潤ませながら黙々と足を運び続けるしかないのだ。いや、視界が滲んでいるのは陽炎のせいかもしれない。ほら、あそこに陽炎が出てますねと話題を振ると、え、どこですか、いやあそこですよ、ほらあそこんとこ、は、はあ? 全く話が通じず変な空気に帰着した覚えがある。せっかくよいお値段がした椅子も、小市民が出せるよいお値段なんてたかが知れていて、暑くなった時の事なんて微塵も考えていなかったせいでパチモン人工皮革なので、通気性が最悪であり、早くも座っている時にお尻が蒸れ始めている。家にいる時間の90パーセント以上は椅子に座っているから、これはのっぴきならぬ一大事である。図書館に行くと、おずおずとした勢いで冷房が起動されていて、随所から染み込む外気と機械的な冷気が渦を巻いて対流し溶け合っていて、館内の人間が放つ熱もねじれて奇妙な肌触りがした。体調を盛大に壊しそうな気がするので滋養のあるものでも食べたいと言いながらまともな飯を食う元気も蒸発していく。

死ななパルレ・ドゥという事はない

昨日も相当に暑かったが、今日も大概に暑かった。体を動かしていようがいまいが、きつく締まっていない蛇口から水がほんのり染み出して、大きな雫を形成してぴちょりぴちょりと流しを叩く時のように、汗腺がだらしなく呆けていて不快指数を垂れ流しにしている。日が暮れる頃には、指先でついと触ると張り付く、粘った薄膜で全身が覆われているような気がして、早く風呂に入って身綺麗になりたい欲と、早く風呂に入ったところで排泄物の緩やかな分泌は止まるところを知らないのだからできるだけ遅らせたい欲と、色々が頭の中でないまぜになって、夕寝により額に張り付いた一面びっしりの脂汗のとろみを持って頭がぼんやりする。室温に食べ物を放置しておくとたちまち悪くなりそうだった昨日の日差しを木立が遮り、黄色と黒の淡い縞模様が走る影の中、何の花も咲かない、ただ区分けのためだけに茂っている灌木の根元に、何かよく分からない、しかし生理的嫌悪感は余さずくすぐる物質がねっとりと身を横たえていた。まとわりついて絡みつくような、日本の暑気が引く糸をぶちぶちと断ち切りながら覗き込んでみると、犬のウンコと、その傍には正体不明絶対唯一の虹色の粘体があった。七条ほどばらまかれた犬のウンコが、生物本能的にやばいと悟らせる「物体」としか言いようのない何かを取り囲み、不浄を絵に描いたようだった。糞と、淀んだ七色に光る汚穢に上半身を乗り出すと、たったそれだけで、ぶわっとギンバエの煙が立ち上った。鼻に迷い込む刺激臭でこそなかったが、見ただけで胸焼けのする、しかし生命の密度だけはやたらと濃密な景色だった。あの色彩は何を照らしていたのか、答えが一生出ないまま頭の中にへばりついて離れなくなりそうだった。意地は汚くはなるけれども、麗しくはならないなと気づいた。意地汚いとは散々言われるが、意地麗しい意地美しい意地良いとは言われない。意地という言葉が持ち出される時点で、意地にはどことなくネガティブな意味が漂う。意地を見せる時は、窮地に追い込まれているあるいは追い込まれそうなので発奮が必要になる場面がほとんどだし、食い意地など張ってばかりだから風船のように弾けて四散しそうである。綺麗にはならないものを持っているのだから、綺麗になれなくても綺麗でなくてもと胸のどこかで納得が行った。また夜に寝られるようになったというか、ここ数日の就寝失敗を量的に取り返そうと今度はやたら眠りが深くなって全然起きられなかったので、体調が普通に持ち直すには再び時間がかかりそうだが、体調が普通で平常で平熱な事があった覚えが薄いので、50をスタンダードとすると普段ぼんやりと操縦桿を握っている体調は42くらいの調子で大して何の終着点も目標も定める事なくぐいんぐいんとレバーを振り回しているだけだとも思えてきた。衣服にしたい食べ物がいくつかあって、羊羹とか枕によさそうだなと思ったり、キャベツレタスなんかは夏場の羽織りものによさそうだなと考えたりして、しかしその中でも特に服になんねえかなと思わせるのは薄焼き卵だったりする。耳元で突然「薄焼き卵の色を思い浮かべてみてください! ハイ、ドン!」とけしかけられたら、頭の中にはレモンイエローのような、しかし卵の白身とかで焦点と輪郭がぼやけた、薄焼き卵の素朴な黄色が真っ先に思い浮かべられるに違いない。どんな種類のガーメントにすればいいのか詳述するほど素養がないけれど、ポンチョとかがよさそうである。フライパン一面に、底が透けて見えそうに広がった卵や、クレープ屋のDJディスクみたいな鉄板で生成される薄膜を見るたびに、あれ纏いたいなと思うので、ポンチョがよさそうである。だいたいこんな感じ、ほどのイメージしかなく、手応えのあるポンチョ像が私の中で一切のイメージを結んでくれないけれど、纏うものと言えばショールとポンチョしか思いつかないので、ポンチョがよさそうでありポンチョでよさそうである。ほんのりした塩の香りが立ち上るのも、いいアクセントなのだ。薬缶でグラグラにお湯を沸かして、それに茶バッグをいれて15分くらい待ってからコップに注いだ、ジュールのあるお茶はとても美味しい。味がどうこう風味がどうこうではなく、喉越しが美味しい。ビールはこの世で一番嫌いな飲み物の一つだし絶対飲まないし絶対許さないが、ビールは味わうものではない喉越しを楽しむものなんだよ……とこちらに焦点を結んでくれないアドバイスをしてくる人が味わうビールはもしかしたらこんな感じなのかもしれない。熱量を持った液体が、食道その他諸々を通過していく感触が心地よい。この間までこれが心地よく、沸かしたてのお茶が上質な体験を提供してくれたはずなのに、踏み台トランポリンジャンプをかましたかのような気温上昇現象のせいで、さっき飲んだピチピチのホット烏龍茶をトリガーに汗と体温上昇がとめどなくなってきた。お前ぇ……。

カモがネギをしょっぴいてやってくる

夕方帰ってきてから、夜に取れていない睡眠の揺り返しを受けて泥のように2時間くらい寝た。一日というカレーライスがあって、その間に夕寝なり昼寝なりを挟んで意識をリセットすると、そこからスプーンひとすくいのミニカレーライスを形成したような気がする。マックのチーズバーガーが、チーズバーガーだけが無性に食べたくなったので、3個買おうかどうしようか迷って、そういえば単価を覚えていなかったので2個にした。260円だった。ひとつ130円らしい。昔は120円だったような気がする。どちらにしろ安い。注文を入れてからものの数秒でキッチンから受渡カウンターに投げられていたので、どうやらチーズバーガーはめちゃくちゃ簡単に調理できるらしい。ダブルチーズバーガーはもっと時間がかかっていたような記憶がある。チーズバーガー2つという、風情もへったくれもない中身のマクドナルド紙袋を片手で掴んで家に向かった。一歩踏み出して身体が揺れるごとに乾いた音がする。時折、中から染み出してきたハンバーガーの香りがうやむやになる事なく鼻まで届く。紙の手提げで持って帰った事はあったが、ただの紙袋をひっつかんで帰るのは初めてだったかもしれない。大したことのない質量をぶんぶん振り回しながら、これはもしかして死ぬまでに一度はやっておきたかった事リストに無意識に掲載していたかもしれないなと気が付いた。家の台所で中身を開けて、QOLが上がるでもなく下がるでもない、限りなく透明に近い満足感を得た。経験で人間に新規レイヤーがかかっていくのだとすれば、チーズバーガーを2つ一気に食すのは気のせいとも思える程度の不透明度をした出来事だ。またご飯のおかずを買ってくるのを忘れていた。とりあえず明日が終わって落ち着いたら、日曜日にまとめてぱぱっと身辺整理をしよう。日中は睡眠の足りない頭で虚無を凝視する事で手一杯というか目一杯だったから、何をしたのかがあまり記憶に残っていない。うろうろと意識を惑わせているうちにウォークマンの電池がなくなって起動さえできなくなっていたから、電源に繋がないといけない。ちまちましたやらなければいけない事と、のっぴきならずやらなければならない事と、全てがごたまぜでないまぜにタスクマネージャーを侵犯してくるが、真面目に取り合う気が起きないので、レモンをかけたうな重が食べたいなあとか、そんな脇道に逸れまくった些事の方がよっぽど魅力的で重要事に思えてくる。

筋を通すために道理は道を開けなさい

中学だか高校だかの音楽の時間で、『エーデルワイス』という素敵極まりない曲を、リコーダーで吹いたか歌ったかした記憶が間違いなくあって、ずっとエーデルワイスという、それ以上分解しようもない厳然とした固有名詞か何かと思っていたのだが、ドイツ語をちらちら見ていると、頭の中で「edelweiss」という綴りが閃いた。最後のエス・ツェットはタイプの仕方が分からないのでここでは誤魔化す。エーデルとワイスだったのだ。edel"高貴な"weiss"白"である。あの曲調を高貴高級と言われると、確かに垢にまみれた手で触ってはいけないような、ある種の無垢さを讃えている。同語反復みたいになったな。ともかく、意味の上ではそのような分解操作を許す構造だと分かったので、つっかえていたとは知らなかった胸のつっかえが一つ取れた気分である。さらに言えば、画像検索によればエーデルワイスという花、らしい。検索エンジンが寄越した画像が、画面一面たまたまそうだっただけかもしれないが、微塵も可愛らしさのない花だった。ぜんっぜん可愛くない。白く固着したアメーバみたいだ。曲から受けるイメージとは全く異なる実態だったので、正体を検索するのは控えて、頭の中で勝手な像を結んだままにしておきたかった気がする。しかし、鱒寿司をぺろりぺろりと剥いでいくように、思い込みの皮を丁寧に剥いでいく事が生きるという事なのかもしれないので、もしかするとかなり生物らしい行動が叶ったのかもしれなかった。昨日はコメダ珈琲の雰囲気に当てられて、自分の中に生じた衝動とその火花をカツパンの下に押し込めたが、一夜明けて思い返してもやはり妥当で適っていると思うので書き残しておくと、コメダ珈琲はコーヒー等のドリンクを注文する時、ベット100円を上乗せすると「たっぷりサイズ」なる特典に与れるらしいのだが、この「たっぷり」という字面を見た時、見た瞬間、私の頭の中に一閃閃いたのは、「えっ、たっぷり種付けじゃないのか」だった。大変次元の低い脳味噌をしているが、たっぷりミルクコーヒーなどの文字列に目線が下るその前に、2つある眼球が「たっぷり種付け」を空目した。空目して、その事実を自覚して、ちょっと周りを見回して、この頭の中にある考えが周囲に漏れ出していないか思わず確認するほどにその虚妄は現実にあった。もう一度メニューに視線を戻すと、そこには普通の、シロノワールセットの案内が横たわっているだけだった。

たっぷり〇〇の空欄を脳が勝手に補充するので

3月分の新聞、つまり2ヶ月前の新聞が早くも黄ばみ始めており、物質が劣化する速さをしみじみと感じる今日この頃である。昨日の狂ったような悪天候が嘘のように、ぺろりと晴れて暑いと感じるくらいだった。そろそろ長袖シャツはお役御免となり、衣替えをしなければ、ボックスの下から袖の短い衣類を引きずり出す作業に従事しなければいけないかもしれない。銀行口座の残高と同じくらい、どれくらいのどんな種類の衣類を所持しているかを覚えていない。たまに、あっ、こんなの持ってたなと思い出すようなものが出てくると脳味噌がぞわぞわする。さっきメロン型の容器に入った、あのかの有名なアイスを食べたが、正直容器の容貌しか記憶に残っていないので、ラベルに書いてある「メロンボール」という商品名を見て、そういえばお前はそんな商品名だっ、た、っけ……? となるくらいに詳細を覚えていないので、メロン型の容器に入ったアイスという事象を友達とすれば、その商品名称は友達の友達くらい疎遠なものだった。あれの名前はメロンボールというらしい。まるでそのままだが、正式名称を当てるまで帰れないチャレンジに放り込まれたら、三周くらいしないと思いつけそうにない安直な名前である。悪い意味で言っているのではなくて。いつ食べても、記憶の限りでも、これを食べるとメロン香料がふくよかに口に広がり、メロンを食べているかのような錯覚らしき幻想を抱かせてくれるので、極めて駄菓子的性格を有しており、そのやさしいチープさには安心を覚える。ミカンか何かの類似商品があったような気がするが、あれ、ブドウだったかな……? 兄弟シリーズがある。そちらもやっぱり、香料が馥郁と爆発していたはずだ。原因不明に、突然すっごくとっても食べたくなったので、コメダ珈琲に行ってカツパンを食べた。でっかくてまともな味がするという朧げな記憶しかなかったが、その通りだった。千円近くするのも違わなかった。コーヒーの値段は完全に忘れていたが、600円とか普通にしたので高かった。そんな値段したらもう一食食える。飲み物は金を払うものではなく、家で薬缶を沸かして飲むものだとそれなりに固く信じているから、ちっこいカップに入ったあれしきのコーヒーにあの値段を払おうという気は起きないのだった。ラーメン屋に行ってラーメンを食べないかのごとき振る舞いだが、チャーハンが美味しいラーメン屋だってあるはずなのだ。まともに3食食べたのは久しぶりかもしれない。

グラスファイバーの山から春雨を探し出す

朝ごはんに卵黄だけを乗っけてやろうと思って、殻を用いた分離法、これが最もポピュラーな方法である、によって白身と黄身を別っていたのだが、あと少しだけ、あともう少しで完璧に分離できると色気を出し、左手に握った殻で受ける角度を調整していると、意識から投げやられた右手のチルトが大きくなりすぎ、先に逝った白身の後を追って、黄身も排水溝へと身を投げた。他では聞かない、質量の伴ったどぽんという音がして、そこには自失となった阿呆の姿だけが残された。ごめんなさいごめんなさいとうわごとのように呟きながら、新しい生卵を取り出して分離した。ヒヤリハット理論的なアレがあるが、ヒヤリがないまま事故へとつながってしまった。生卵の分離がここまでナイフエッジな作業だとは意識していなかった。起きて、しばらくすると狂奔が踊り狂う音がした。アドレナリンが止まらなくなったかのように、ヤケクソでやけっぱちで暴力的な降り方で、雨が地上をぶっ叩いていた。窓ガラスに鼻を押し付けるまでもなく、雨滴の輪郭が見え、テグスの流星群が景色を横切っていた。雨が降るとQOLが下がるが、それにしても地に落ちた地に落ちる降り方だった。行儀もマナーもあったものではない。杯盤狼藉、上を下への大騒ぎである。この天候の中を、外に出なければならないのかと思うと、足元がすでに濡れてしまったような気がする。雨が降って嫌なのは足元が濡れる事である。じゃあ、せめて靴の範囲だけでも濡らさないように努力できるのではないかと思い、いっそ用のなかった革靴を引きずり出して外に出た。玄関ドアを開けて外界とこんにちはした時点で、飛沫の残滓が肌を叩く。見渡す限りびちゃびちゃだった。足取りはヘヴィメタルだったが、しばらくしないうちに発見した。革靴だと足元が全然濡れないのである。風向きのせいでふくらはぎや鞄はびっちゃこになったが、さすが革と言うべきか、それが取り柄だろうがと言い立てるべきか、全然不快感がなかった。ただ歩きづらいだけで、爆弾ニギリみたいな光沢しやがってこの野郎と常々革靴にはよからぬ思いを抱いていたけれど、今日の暴風雨の中にあって少しだけ見直した。履物の最低次から、長靴と同じ平面までランクアップした。歩き方とフィットしないせいで足首が痛くなるのはもう仕方がないので、濡れないというその一点だけを過大評価して美点として持ち上げ、その他からは目を逸らす事にした。卵には本当に申し訳ない事をした。

築く労力に比して崩れるのは一瞬

敵の技とか何かで記憶喪失になった仲間を、みんなで手助けしながら元通りに回復していくストーリーラインは少年漫画で珍しくないが、ここで大事なのは記憶が「喪失」ではあれ回復が担保されている事で、むしろ記憶不全くらいに言った方が正しいかもしれない点である。失われて読者をハラハラさせる記憶は、出戻りが決定しているのである。たまに本当に廃人になる展開もあるが、それはそれとして。約11ヵ月の間堆積されたデータが一つ残らず虚無と化し、まっちろな状態でMacBookが返ってきた時、そんな事を考えた。今後も必要だったかもしれないDTPデータが生データ編集データ入稿データ全て吹っ飛んだり、ちまちま集めていた画像フォルダが跡形もなくなったり、快適に設定していた操作周りのもろもろが軒並み初期値に戻ったり、言いようのない、言語化不可能なやるせなさがじわじわ足元から上がってきて、途中からめんどくさくなったのかくるぶし辺りまで這い上がってきたところで重力に負けて地面に染み込んでいった。失われたデータ群を嘆きたいのは山々なのだが、口に糊するような超大事データ以外は、何が入っていたのか実はよく覚えていない。巣に食糧を持ち帰ったらその詳細はすっかり忘れて、ただ「棲家になんか食べ物がある、安心!」と思う動物なので、今堆積している本の山に何があるのかそういえばよく分からないし、冷蔵庫の中や流しの下に何があったのかよく覚えていない。現時点でキノコがないのは一応覚えている。なので、喪失した事による精神的痛打を感じなかったというのは、それすなわち、本心ではそれほど重要に思いなしていなかった事なのだろうかと考えざるを得ない。プロパティを覚えていないので、悼みたくても悼めないだけかもしれないが……。ウィルスバスターやOffice系ソフト、Adobeアプリケーションも再インストールしなければいけないが、ライセンス番号とかどこにやったかなと既に頭が痛い。ビックカメラの店員に、なぜどうしてホワイソフトウェアが不全に陥ったのか聞いたが、なんとなくたまたま偶然時と場合の運によってこうなったらしいので、昨日の唐突なブレイクダウンは、ある面では家族が突然逝った状況に近いかもしれない。物心ついて以来、三親等以内がまだ逝った事がないので実際どうかは分からないが、あると当たり前に思っていたものが突然なくなり、どうにか現状復帰しようとすると税とか遺産とか色々な付随要素が覆いかぶさってくる。ちょっとだけ、似ている。バックアップは大事だという教訓を得たが、今度からおまんまを食っているデータだけはクラウドにでも残しておかないといけない。再設定は数分で終わるが、編集データの完成には何十時間もかかるから。