他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

大所有

びたびたの雨が降っていたはずなのだが、手が非常に乾燥している。季節の変わり目なのでお肌が曲がり角を曲がっているのだろうか。狭い道が多いのでビル風が強烈で、目の前で少なくとも2本のビニール傘が破壊されていた。あるおっちゃんは傘がめちゃくちゃになり、帽子が吹っ飛ばされてびちょびちょになりと可哀想だった。ぶっ壊れたビニール傘を路上に捨てる無責任な大人にはなりたくないものである。明日道を歩くと3本はあると思う。私の家の近所は程度が低いので。日本人は礼儀正しく、街は綺麗だというのは甚だしい幻想である。幻想になったのは何のせいなのか知らないが。貧すれば鈍する、は言葉少なにして含むところが多い。鈍くなっているのは私もだ。どんどんとろけていく。うああ。

派生異物

米を買った。持ってきてもらった。今までもらったことのなかった領収書が入っていた。私用なので、まあレシートと思えばいいのだろうが。はっきりしないぼやぼやした天気で、雨が降ったんだか降ってないんだかな感じだったと思う。見てないので分からない。本当にやることがないというか、ぼろぼろ、おえっと込み上げてくるものがないので、スーパーの呼び込みくんとか、ケータイショップの店頭で誰の相手をするでもなく存在が滑り散らかしているペッパーくんとかの方が益のある存在である。どう……どうすればいいのかと思うのをどうすればいいんだろうか。

板線路

買ったけど読んでいない本と、読みかけなのを忘れて放っている本が、机周り、枕元に散らかっていることを思い出した。そこにあることに慣れると、どういう意味合い文脈でもってそいつらがそこにいるのかを忘れるので、こういうことになる。しばらく頭が肩に埋まるような天気で洗濯物がずっと湿っていたけれども、今日はなんとかそれらしく晴れたので、ハンガーにかかって3日目くらいに突入する洗濯物がやっと乾いた。明日は早めに起きてシーツを洗いたい。特に目標がない。

celestial sphere

昨日、本を買っていた。宇治拾遺物語町田康訳が出ていたからである。口語訳というか現代語訳というか、くだけたような訳はおおよそなんとも受け入れ難い出来だったりするので見送りがちなのだが、町田康なら間違いないやろうと思って買った。でっかく表紙にもなったことがある、その顔写真が妙に記憶に残っており、学のある醒めた顔が、常にぬっとこちらを覗き込んでいるような気がしてくる。圧力鍋で手羽先をめちゃくちゃに加圧したら、とてもすてきなトマト煮込みができたが、肉が骨からずるりぼとりと落っこちるので、一長一短というか、肉を骨からひっぺがす戦いの感はない。なくていいのだが、なんだか寂しい気持ちもするのである。

あっち向いてにゃーん

桜が咲き、おそらく満開と言ってもいいほどで、うすらピンクの白い花びらがぶんぶんと咲き誇っていたが、どうにも天気が悪く、冷たい空気とげんなりした空の色が後ろに透けて、まるで後ろに血管が見えるようだった。雀が枝を飛び回るのにあわせて、花が根本からぼたりぼたりと落ちる。公園に降り注いだ花びらは、近くの作業場のおっちゃんがウインドブロワーで集めて捨てていた。木についているうちはそれこそ「花」だが、地面に落ちるとゴミになる。毛髪や唾液と同じものを感じる。梅も勢いづいて盛っていた。白い方は好きだが、桃色の方は色味が強くて見ていると疲れる。明日明後日晴れなければ、今年はまともな花見のタイミングがないまま、花びらの絨毯の上で葉っぱを見ながらぼーっとすることになるだろう。寒い公園のベンチで、電話をかけながらぼーっと桜を見上げている人がいた。あれは花見なのだろうか。

ねーむねーむ

よく分からんが疲れた。座っているだけというのも重労働である。会社の受付に座っている人とか大変だろう。今は誰も来ていなくても、すぐ次の瞬間には誰か来るかもしれず、かと言って見えないのでまあ来るわけもなく、アキレウスが亀に追いつけないパラドックスではないけれども、来ないが来る潜在的可能性を持った外来客に対して常に心を向けていなければならない。えらい仕事である。ここで言うえらいとは、骨が折れるとかの意味である。猛烈に眠たくて、ぶちぶちになってしまった。

先に何もない道

もっちゃりとした眠気がずっといた。だらだらと雨が降り続くので、うすらよりはもう少し程度が強い方向に寒く、春には早く春という自覚を持ってもらいたい。久しぶりの用があって渋谷に行ったが、店が結構変わっており、しかし3年以内にはこいつらもおらんなっとるねんやろなと思った。ドンキ前にビルと商店街が悪魔合体したような建造物ができていたが、あれは何だったのだろう。変わらず、人が多くて汚い街だった。

sambar

特に書くことを思いつかない。やろうと思っていたことがあったのを思い出したが、そう急ぎではない。そんなことを言っていたらいつまでもやらないだろうが。身体が文章を探しているが、何によってそれが満たされるのか分からない。左手がえらく乾燥している。生きるのがもう少し上手ければなあ、と思う。

めでたさの残り滓

買ったことをすっかり忘れていて、本の山からぽろっと出てきた辺見庸『もの食う人びと』を読み始めた。のっけから残飯を食う羽目になっていたり、フィリピンで日本軍が食人を犯した話が出てきたり、密度というのか、地面との距離が近い。自分の言葉を持つ人の、メシを食う文章は、どうも魅力的である。開高健米原万里が私としては双璧であるが、向田邦子もよく、筒井康隆も笑犬楼か何かで書いていたと思う。そこにあるものから引き出せる情報が多いのかな。手持ちに潤沢な札があるからこそできることであって、人間としての厚みを感じる。自分にはないものが眩しく見えるんだね。

借財

家の近所の知らないエリアを散歩してみた。マップでうっすら眺めたことがあるくらいで、その時に構造を把握していたりもしないものだから、本当にどこに何があるのか知らなかった。麺屋が複数あるし、公園はあるし、なんとも言えない施設もたくさんあった。帰りがけに寄ったコンビニは、その辺にあるらしいという目的地だったのだが、フランチャイズではあるがほぼ個人経営みたいなもので、生活感でくたびれた雰囲気がよかった。買ったポテトは、恐ろしく油がでろでろしていて、朝マックのハッシュポテトがいかに普通にできているかを感じた。変わらず、どんよりと厚い眠気は重たい。

細切

昨晩に三体を全て読み終わった。とんでもない本である。質・量・スケール、その他諸々どこを取ってもおよそ全てとんでもないものではあるが、これが一人の人間の頭から生み出されたという事実、それがもうとんでもない。ぐわーんと来る。人間味に溢れているのだが、しっかりしたSFでもある。SFという枠を自ら推し広げるような、そんなパワーがあった。なかなか体力を使う旅ではあるけれども、これを読まない選択肢を勧める理由はないくらい、たいへんよい。

重篤な欠陥

朝はまだあまりにもぱっとしない空色だったが、気が付いたら晴れていた。全部抜けるほどではないが8割以上は抜けるような青空で、雨と晴れというのは基本的に共存しないものなのだと思ったが、たまに通り雨か何かで、そうなることもある。気象庁が天気の目視確認をやめたらしいが、どうなんだろう、個人で記録を残し続ける人はいるのではないかと想像する。記録というのは、情報源が多いほど素敵なものなのだから。とにかく分厚い眠気が未だ去らず、これはもう、春の季節病みたいなものなのか。眠い

……。

地べた

今日は一日ダウンしていた。青色で下向きの矢印がまとわりつくデバフの表現があるが、脳味噌がその状態だった。やろうと思っていたことを何一つしなかった。できなかったと言いたいが、げんなりしてやる気が出ない状態において、そのしなかったという結果に対する原因をどこに求めるべきか考えると、最終的にその意思決定をした自分を責めるべきな気がする。ブルアカのテキスト精度が異常に低かったので、なんか……大丈夫かな……とずっと思っている。

会いに行く

最近の睡眠をどう表現すればいいか分からなかったが、さっきの起き抜けに天啓を得た。枕を溝とし、頭と骨から沁み出す眠気をそこにだばだばと流し込んでいる、それだ。楽しい行為ではない。そうしないとしょうがないからしているのであって、素敵なものではない。もうマフラーはいらんのじゃないかと思いながら、寒いような気がしてまだ巻いている。なくても歩けると思うが、ふとした時にちょっと寒いな、と立ち止まりそうだ。よく考えたら、今日一日まともなものを食っていない。さて、なんでなんだっけ。

sanguinis

私が借りているのが初版かつハードカバーというのもあるのか、三体は脱字が結構ある。この「結構」とは、200ページにひとつとかその程度なのだが、出版社を考えると意外ではある。文庫では一掃されていると思うが、これだけ大部かつSFだと、読まれる前に読む方も大変だろう。一日中、大層な雨が降り続いており、頭が鈍い。本当はスーパーに行って食料を買いだめしたかったところだが、雨が強いので寄り道せず帰ってきてしまった。今は、明日の朝に食うものをどうしようか考えている。