他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

照り返すendeavour

疲れたので頭の裏側がもしょもしょごわごわして秋刀魚に変身した挙句秋の空にフライアウェイして行きそうだが、生憎と天候が寒くなる兆しを見せてからの台風接近を受け手のツンデレホットバック現象をぶちかまして身体がアホになりそうなので、今秋刀魚になったら中途半端に痛むだけで綺麗な七輪焼きにはなれないかもしれない。帰って風呂入って一瞬の間を置いてずるずると眠ってしまい、まだやっていない事もあるのにこんな事ではいかんよキミぃと苦言を呈そうと頑張って人生への意味づけを積極的に行いアウフヘーベン満載のぶち上がり人生上々↑↑決めようと思ったが、疲労の金属的な不快感と重量感は全てを優しく水銀の沼に引き摺り込むかのような抗えなさがあり、そのままぷくぷくと泡を吐いていたら素敵な時間になってしまった。残りの時間で命燃やして綺麗な火花を出してやんよ、と言う元気もないのできたねえ花火になるやもしれん。そもそも汚い花火を見た事がないのだがおトイレットのサニタリーボックスや掃除ができない一人暮らし系ピープルの部屋にある中身の見えるまま捨てられていないゴミ袋、小学校の近くにあったケミカルと刺激臭のする側溝と淀みを風呂敷に詰めて打ち上げたらそれは汚い花火になるだろうが、fireworksとしての花火できちゃないものを見た事がない。そもそも、あれを見る時に綺麗ー汚いという二極ではなく、0から始まってどれだけ綺麗かという正の範囲の数直線で考えていると思うから、汚い花火というのはあくまで言葉の綾でしかないんじゃないかしら。今年はでかい花火を見なかったな。ちっちゃい花火セットみたいなのを、実家に帰った夏に燃やしたりしたが。大きな、花火大会とかで打ち上がる花火を見ている間は、ただ花火を見ていればよくて、それ以外を考える口実を失わさせてくれて、空欄になった頭の中に毎秒毎秒一瞬だけ光華が書き込まれてメモ帳のそのページが破られてまた書き込まれて、連続的に意味のある思考をしなくていいからある意味で気持ちいい。夜の空気とか、周囲に平べったく伸び回る空間を共有する一体感とか、そうか、花火を見上げている時、それは映画館で席に座ってスクリーンに視線を吸い込まれているあの時間にとてもよく似ている。毎瞬新しいページへと引っ剥がされていくし、でかい音が鳴るし、顔が光でぼうと照らされて浮かび上がるし。火花は映画だったんだな。ただ、ライブビューイングだと決定的な何かが削ぎ落とされるだけだ。