手間がかからないのをいい事に、一週間以上ガラケーを充電せずに置いていた。電池マークの目盛りがあとひとつだけになってかなり長い間保ったものの、そろそろ怪しくなるかと思って充電スタンドに立てた。昨今では何でも大体ケーブルをジャックにぶっ刺すので忘れがちだが、スタンドに立てるタイプもあるのだ。電話の子機とかもそうだが、今の家庭は、家に固定電話を引くものなのだろうか。正直、携帯電話一本さえあれば困らないとは思う。掃除機もスタンド充電タイプのものがある。ニンテンドースイッチもスタンドか。完全に絶にして滅ではないか。読んでいて心踊る文章というか、なんかそんな感じのやつがなくてぼーっとしている。アタリがなぜアタリかと言えば、普通はたまにしか出ないからアタリなのだけど、フィーバーボーナスタイムを連チャンで引き続けたい、その方が楽しくはある。少しづつでも使い続けないと鈍ってしまう。切れ味を保ったところで、では何を切るのかという話になると立ち止まってしまうが。目的なくよく切れる刃物を持っているのは、怖いかな。平時でも大砲銃剣は手入れされるが、その時が来ない方がいいにしてもその時に備えて維持されている。あまりにも長閑で安穏だと、見据えていた目標が意識の地平線下に沈んで、直近にあるそれらの手入れだけを考えてその先に行かなく、行けなくなるというか。武器ではなく器具になる。買ったまま使われず埃をかぶる、筋トレ用品やダイエット用品のように。役割、ファンクションが抜け落ちた、ただ座標軸を占めるだけの存在、モノになったように思えてくる。でも、この座標軸にも値段がついていてお金がかかる。モノになっても、自分で自分の世話をしなければならない。何をするにしても、感情がついてきて持っていってしまうから、それが生成するあれやこれやを頭の中で考えながら磨いたりしないといけない。でも、目の前までしか有効象限がないので、壁打ちにもならず、積み上がっていくBB弾みたいなしょっぱい些事で生き埋めになっていく。太陽系としての1ではなく、デブリとしての1くらいでしかあれない場合、場合……。夜に寝つきが悪いと色んな事を考えるが、高級な事は分からないので手近にあるおもちゃで戯れるしかない。ただ、おもちゃはこちらの成すがままにされるというわけでもないし。結局何かしらを考えなければいけない。今日の飯とか。ここまで何も考えずに書いたらちょっと足りんかった。くらげになるには、何も考えない事ができるという才が必要だ。