他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

自己変容

現実認識に関して、頭の中のある深度でぶちあたる壁の感触に、さっき気が付いた。今日は、書くべき事がないし、書こうと思っていた事もないような気がするし、仕方がねえからこれ書くか、と思っていた事もないような気がする。天気はいまいちだった。多少マシなら、シーツを洗って干してやろうかと思ったのだが、日曜日に見た天気予報では、そこから一週間、曇りと雨のマークしか見えなかったはずである。3日経ったので、今は予報が変化しているところもあるかもしれないが、にしてもうだつの上がらない天気である。うだつの上がる天気ってなんだと聞かれると、それは、まあ、私の方でも答えを持ち合わせていないわけなのだけど。この身体のだるさというか、伸ばしてもいないのに弛緩している感じ、もっと身体を動かしなさいという、意識下からのメッセージなのではないか、という気がしてきている。まあ、それは。そうでしょうね、と返す他ない。散歩くらいならできる。というか、散歩以上の歩行系はだめだ。走り始めて10秒もしないくらいで、腹が痛くなる。中学か高校かくらいからずっと続いているこの特質、そろそろなくなったかと思ってこの前少し駆け足になってみたのだが、すぐに、あの特徴的な、きりきりと穿つような鈍い痛みが生まれて、こりゃだめだと匙を投げたのだった。向こう、一生付き合っていく器質かもしれない。筆が止まってしまった。あれだ、さっき、晩飯を作るために、食料棚から人参を取り出すと、2本はちょっとカビが生え、一本は、なんかもう、ぐずぐずのとろとろで、よく分からない状態になっている部位があった。気温が落ち着いて、たまに寒く感じるくらいになってもカビるんだ、と思ったし、蕩けて形を失いかけたやつに関しては、ちょっともう分からない。人参色の液体を吐き出していて、先っぽの方は大丈夫かと触ってみると、全くの手応えなく、ふにゃっと曲がって形を失ってしまった。粘液に漬かっていた部分も、粘液に漬かっていただけのはずなのだが、何かしらの変化を起こして得体の知れない事になっており、申し訳ないがそいつだけは、損耗が激しすぎたので廃棄した。すまん。人参さんがそこまで脆いものだとは、よもや思わなんだ。ほとんど一日中窓を開けっ放しにしているが、これでちょうどいいくらいである。次の気温の下り坂はどこでくるのだろう。昨日、まだ耳元で蚊の羽音がしたので、ベープノーマットを起動した。で、あの蚊、どこに行ったのだろう。