他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

aboliminal

朝ごはんに、食べるラー油をかけて食ってみたが、どうにもこいつには色気がない。今まで食べてきた、食べるラー油と頭の中で付き合わせてみると、いくつか指摘できる点はある。1。あまりラー油が湿潤ではない。瓶の中に、具と、それが浸かり溺れんばかりのラー油がなみなみと泳いでいるのではなく、底の、ワンフィンガーくらいの高さのあたりで、どうやらラー油が同封されているらしいと知れる。しかし、印象としては、ラー油が染みた食べる何かのフレークたちwith心づけのラー油という感じがある。そもそも、食べるラー油の概形を成している、あのつぶつぶたちは、一体何なのだろうね? にんにくであるとか、唐辛子であるとかを、揚げた末の姿なのかしら。2。味が油っ気しかない。口の中がねたねたするが、それは並みの油ならばどれでもできる事であって、塩分とか旨味、香りとか、付加価値みたいなものがほとんどない。揚がった油漬けを、化粧もなしにそのまま食っているような感じがあるのだ。これでは、多少高くとも、桃屋やらなんやらのメーカー物を食べた方がいいな、と思った。アタックネオのボトルがなくなった。ので、詰め替えた。もともと、フタ部分で適量を取った後、余分がいい感じにボトル本体へ戻るような設計をしてあるから、詰め替えもものすごく楽チンであった。あの、中にもう一本パイプラインを通して裏筋を走らせたような仕組みは、とても賢いと思う。もっとずっと前から、洗剤とか薬剤であのタイプが採用されていたはずではあるが、自分で実感しているのは今の洗剤にしてからだ。よく晴れた日だった。外には出なかったが。ここで、なんと気持ちの良さそうな日だ、散歩でもしようかしらと身体を伸ばすか伸ばさないかで、ある種の分類ができそうである。そんな気が微塵も起こってこず、洗濯物の仕上がりだけで十分なのだから、報酬系というのか、欲望のシステム体系全体そのものが、何から何まで違うと言ってしまってもよいのではなかろうか。いつかの洗濯で、シェフパンツが竿から落ちていたらしく、大家さんがかけてくれたのか、それが風に流され流されて、ずっと向こうの方でふらふらしていた。外庭に出ないと届かない。参ったな。やる事だけやって、あとは、ぼうっとしながら、本を読まないと阿呆になる、阿呆に、と思って、これはもう人生に付いて回る私的怨霊・脅迫概念みたいなものだが、遠藤周作のユーモア小説集を読んでいた。お堅い人なんかでは全然ないのだなと、毎度見方を改めている。