他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

ホイエルバッハ

そういえば、昨日は、母方の祖父母の家に、顔を出しに行ったのだった。寒波だ雪だと脅かされていたが、行きはそうでもなかった。降った端から溶けるような、ちゃぱちゃぱした雪だった。帰りは、これは積もるな、という降り方をしていた。祖父の方が、認知が始まり進んだという話を聞いてはいたが、なんというか、顔を目の当たりにすると、そもそも「人相」が変わっていた。道ですれ違っても、それその人であると分からないかもしれなかった。もう十年以上も、あるいは二十年以上も、バリカンで短く刈り上げたような、ほぼ坊主のような髪型だったのだが、まばらに髪が伸び、一部では指ほどもある長さになっていて、人はこうもこうなるのか、というショックがあった。話もできるのだが、こちらの話が十全に届いているのか分からないし、向こうの発話も6割くらい、そもそも何を言っているのか聞き取れない。ハキハキした快活な人だったのだが。たまに血縁さえも思い出せなくなるらしく、祖母や、娘である私の母なんかは、かなり複雑な気持ちになったのではないか。人は、なんと難しく、複雑で、簡単に失われてしまうものか! 時の流れを、また別の仕方で感じた。中身がこぼれてしまうと。これについては、私も、まだ目の当たりにしたばかりなので言葉にするのが難しい。まだ、自分の手で、言うなれば、つみれにできていない。私のお鍋には入れられない。またよく分からない例え話を出す……。天気予報を聞いてびくびくしていたが、晴れたり雪が降ったり、一面に雪があったり、スノードームの中をゆっくり漂ったり、太陽が出てあったかくなったりして、至る所がびしゃびしゃになっている。さっきもまた、べちゃべちゃになっていたが、夜はどうなる事やら。日が変わるあたりで初詣に行くかもしれないし行かないかもしれない。こんな状況でもなければ、せっかく帰ってきたのだし、見て回りたい店のひとつやふたつあったのだけれど、東京はついに4桁を超えてしまったと聞く。買い物に行くにも、とりあえず母に一任しているので、家で弟と遊んでいる他にやる事がない。この存在の冗長性が、年の暮れと言えるのかもしれない。桃鉄をやっている。これは、まあ、理不尽な人生ゲームという事で、私の中の評価は落ち着きそうである。面白いが。ある程度のところまで盤面が固まると、金を持って物件を持っているやつは貧乏神がつきにくいし、一回転落して物件を売り借金を抱えすると、落ち目から抜け出すのが非常に難しい。人生のゲームである。では。健やかなれ。