他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

椅子すけべ

なんか帰り道に思いついたが、なんだったか忘れた。行く道で思いついた事は、ガラケーのメモ帳にあった。人間椅子について考えると、人が普通の、ありきたりな、テトリス4ブロックの、(逆)L字の終筆にひとつ加えた姿勢で座っていて、その上から椅子のテクスチャを被せて椅子としたものを発想するのだが、最近、股座(「またぐら」を変換するとこうなるらしい。これは別の、「こざ」といういい感じの言い回しかと思っていた)に顔を突っ込んで匂いを嗅ぐ事について時間をかけて考えていたところ、必ずしも、人間椅子を作る、になる際に、通常の座学姿勢をとる必要はないな、と気が付いた。あれを異常欲求の顕出、解消へ向けた希求と見る際、臀部が置かれる部位に顔が来るように、床に横たわってエアバイクを漕ぐような、逆向きの姿勢でも構わないわけである。むしろ、そちらの方が目的に適っている。顔面騎乗位人間椅子とでも言えばいいのか。全く上手い事は言っておらず、形態をそのまま文字にしただけであるが。頭が下肢より下方になるので、血流の問題だとか、無視できない観点は少なくないけれど、これについて思い当たらなかったのは盲点であった。足が長くて、半身比が上体<下体のような体型であれば難しいかもしれないが、胴長であれば椅子としてのフォルムに対して違和感なく同化できるのではないか。そうでもないか。どちらのタイプの方が、より椅子の中の人間、顔面部分に対して腰の圧力が掛かるのであるか、力学的な知見は全くないので分からないけれども、一瞬で思いついた何の役にも立たないようなアイディアも、字面に起こしてみると600字超にはなるのであるから、頭の中が便法として優れているのか、文字のエネルギー効率が悪いのか、どちらなのだろう。形態的な事は以上のようになるが、顔面に下半身が押し付けられるという事実を以ってよしとするのか、さらにそこから匂いを嗅ぐというネクストステージを目指すのかによって、装飾の云々について考えなければならなくなるので、それは別の機会に、人生でもう一度来るかどうかは分からないけれど、そちらに譲りたい。ある意味、こちらも「スケベ椅子」である。初めて人間椅子を読んで以来、あれはずっと色欲的なものとして消費してしまってもいいのかずっと考えているのだが、どうなのだろう。椅子になって肉体を感じる事がゴールなのか、椅子となり相手の無防備な日常に潜む馴染む溶け込むという、どう命名すればいいのか分からない、全く別の欲求が求めるところなのか。