ほとんど一日雨が降っていた。洗濯物が干したいが、干せなかった。まだ天気が悪いんだったか。そのせいで調子が上がらず、半日ぐらい、殻をなくしたサナギの中身みたいに、とろとろして仕方がなかった。多分、躁鬱の下向きの方向へずぶずぶと行く、そのサイクルらしく、打てど打てど響く気配がない。こういう時の方が、頭の中で元気な部分もあるのだが、不健全な漬物の仕方だと思うので、そこは体質というか精神質が変わってほしい。まだ、物を食う時はなんとかなっているので、worst of worstではないのだろうけれど(theはつけないといかんのかな)、だからと言って楽なわけでもないし楽しいわけではない。移動中に読む本を減らしたってしようがないので、たくさん買ってきたものの、読む本がない、読む本がないなあと思って、この前、片付けの合間に失敬してきた本をちらと見ると、これは今のような体たらくでも読めそうだった。土屋賢二『哲学者かく笑えり』。著者紹介からふざけているので、しかしてステップを全く外しているのでもないから、これはバランス感覚のよい人だろうと推察される。この人は、一体どこで名前を覚えたのか、おぼろげな記憶が正しければ、森博嗣がエッセイの中で面白いと評した数少ない文学系の人だったはずで、ぽろっと出てきて、ア、これはもしやあの人かと回路が繋がって持って帰ってきたのだ。今しも、文庫本を積んでいる山のひとつが崩れそうである。8割くらい傾いていて、何かのきっかけを与えるとざらざらとしてしまうだろう。今日はやった事も書くような事もないから、もういいか? 煮物にニンニクと生姜を同時に入れてみたら、生姜はちょっと余計だった。あの風味と、酢の酸味が馴染んでいるとは言い難かった。ニンニクは変わらずうまかったが、これは私の舌がどうしようもないほど方向づけが済んでしまっているという話なのかもしれず。