他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

角がとれない

ネギをそこそこの時間水に晒しているのだが、辛味が抜ける気配が一向にない。20分30分ぽっちではどうにもならんという事か。それとも、縦の繊維に沿った切り方ではなくて、横に、繊維をぶちぶちぶった切る方向性でやったから、抜けにくいのかしら。食べ物というのは、科学的に取り扱うだけの情報量があるものだから、その辺なんかあるのかもしれない。砂糖水につけるのがいいとか、料理酒につけとくと抜けが早いし風味が出るとか。この辺は私の想像の域を出ないので、実際そうかは知らないけれど。一人でしか食わんのに、長ネギ3本を買うのも、束売りなのでそれで買わなければしょうがないにしても、多過ぎる気はするわな。じゃがいもを水にさらしてデンプンを抜いていると(あれをする意味を実は知らないのだが)、水の表面にデンプンが膜を作って、あ、そろそろ水を捨ててもいいのかな〜と察する事ができる。のだが、ネギは、そういうのがなくて、ひとつつまんで、あ、辛っ、と実体験するしか判別の仕方がない。何かあるのかな。今、ネギの辛味について、人生で一番考えている瞬間かもしれない。手持ちのタッパーや皿なんかでは、大量の食べ物を処理する時に、容量の物足りなさを感じるようになってきたから、飲食店で使われているアルミのバットとか、でかいジップロックタッパとか、その辺が欲しくなってきた。本を置く場所は既になくなって久しいが、台所を充実させる余裕は、まだ残っている。ボウルと泡立て器もほしいが、これはモノとして欲しいだけで、何か作りたいものがあって、その途上に存在するから欲しいというのではない。ボウルはまだしも、泡立て器は使いどころが想像できない。ホットケーキミックスでホットケーキを作る時とかだろうか。考えると、ホットケーキ食べたいなという気持ちになるが、あれも、一人だと粉の量を少なからず持て余すんだな。ちょっと甘い味がついていた記憶があるから、料理の衣にするには方向性があり過ぎるか? チヂミとか、あれを構成している元の粉は何なんだろう。台所に粉を置いていないので、あの辺は全く想像力が涵養されていない。それこそ、バットがあれば、粉系の取り回しは抜群によくなるな。土曜日、キッチン用品を見に行こうか。人間としての中身が漏れ出す時期には、命を繋ぐための、食うという行為にしか明確なエネルギーを注ぐ事ができない。これができなくなると、よくなくてまずいらしいので、私が自死に向かわない命綱は、食い意地という事になるのかな。