他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

puis

今日の晩御飯は、生姜をしこたま入れた、野菜たっぷり中華風うどんだった。飲食店のメニューみたいに、バチっと説明できるものでは、自分が作って食う飯はないと思う。ある、それを指すのに適したカテゴリ的名詞があったとして、まさにそれ、的中してそれ、かどうかは分からない。なので、いちいちをくどくど説明した、散文的なお名前になる。生姜は、料理に入れるたびに思うのだが、まとまった塊を、それと認識した上で量を食べるものではない。風味と、ちょっとだけ入っているからこそ許される、あのぞわっとする、ばちっとくる感覚。お、生姜が安い、と思って買ってきたが、生姜というのは、膨張していない時の陰茎陰嚢セットくらいの大きさしかなくても、一回一回に消費される量がわずかなので、一人でしか飯を作らないとなくならない。広い面で切り出すとして、一人だと、一枚でも十分だし、二枚でも、細切りにして考えるとちょっと多いかなと思う。今日は、それを5枚くらい使ったわけだから、しこたま入れたとの言辞に嘘がない事が分かるだろうか。大根、いいな、と思っても、一人で大根一本を使い切るのは、無理くりみぞれ鍋でも仕立て上げないと到底無理なので、家に、飯を食うだけの人間を一人、飼いたいなと考えた。材料費くらいもらえばいいので。これいいな、と思った食べ物から目線を切るのは、なんだか勿体無い気がする。豚の生姜焼きとは言うが、鶏とか牛にも生姜焼きはあるのだろうか。見た覚えも聞いた覚えもない。やりようとしては近い、それらしいものは世の中に存在するのだろうけれど。でも、豚以外、積極的に生姜焼きにしてやろう! というエネルギーを感じた事はない。うどんのスープに、生姜がよく出ているような、出ていないような、よく分からなかった。あんまり最初の方に入れると風味が飛んでしまうかと思って中盤あたりに入れたのだが、それがよくなかったのかな。もっと、熱に破壊してもらって、生姜のエキスというか成分的な何かを存分に垂れ流した方がよかったか。美味しかったのでよしとする。おろし金は持っていないので、生姜おろしとかはできないわけだが、生姜をそれなりに消化していく方法には、何があるだろうか。生姜は、よほどの生姜狂いでもない限り、それそのものが欲望の対象にはならない。舞台照明であって、役者ではない。魚を買ってきて煮付けにするのに使える、生姜のてんぷらとか、聞いた事ないけれど美味しいかしら。