他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

道に寄らされる

シーツを洗ったので気分が良かったが、なにぶん、冬らしさの薄い気温であるからして、布団で寝るのが難しくて敵わない。鎧戸を占めて、それから、窓ガラスをちょびっと空けてある。それくらいしないと、室内にむちむちとした空気がこもって、不快で仕方がない。仕方がないは言い過ぎにしても、寝ようとしても暑さが意識の表面にちらちら姿を現して、心穏やかではいられない。カバーを剥くたびに、うわっ、枕買い換えよう……と思うのだが、それを次に思い出すのは、次のカバーを剥く時である。気になっていた、エンガワのユッケを買っていて、それを2日間の朝ごはんのおかずとしていた。まずくはない。エンガワがくりんくりんして、エンガワらしい。ごま油でも入っているのか、油の香りがすごい。冷蔵庫の中がユッケの香りに取り憑かれるくらいはストロングな匂いがある。ちょっとだけ、エンガワの生臭さというか、鼻に残る感じがあった。でもうまい。しかし、決定的にうまいかと言うと、うーん、どうだろ、と言ってしまう。そこそこ、という形容詞が合っているか。明日からは、いつもの明太子だかなんかに戻る。井上ひさしの日本語相談を読み終わった。平易な語り口なのに、ずんがらどんがら、古今からの引用とかなんとかが出てきて、西洋知識人の本を読んでいる時と同じ、ただもう首を垂れて、はい、はい、と言うしかない気分だった。必ずしも屈する必要はないのであるが、しかし、すげえなあと思うばかりだ。その後、前に買ってきていたはずなのについつい後回しにしてしまった、多和田葉子の本を開いた。タイトルは確か、百年の散歩だったと思う。米原万理のエッセイを近く読んでいたから、あんな感じかと思っていたら、むしろ川上未映子とかあちらの方に近い、脳味噌に距離が近い方のエッセイ、これはエッセイなのか? そういうテイの小説なのか? ともかく、簡単で粗雑に片付ければポエティックであり、そのスタイルでもって表現しようとしているところを正面切って受け止めようとすると音・意味的に重層的で重奏的な、多言語獲得者の見える聞こえる世界の描写となるかと思う。頭の中で感覚が流れるさまをそのまま、流しそうめん素手で掴み取って口に次々入れていくようで、たまに文章のつながりが超越的になり、ふと立ち位置を見失ってまたずぶずぶと感覚の世界に抱かれに行くのは、心地よい。あまりページの進みがいい方ではないが、時間をかけて付き合うのも悪くない味。