他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

季節を冠する王

午前中からむしむししていて、やれんなと思った。日向を歩いていて、存在自体が干上がるような、げんなりする感じがないだけ、まだマシなのかもしれない。春キャベツは、甘いがちっこくて、同じ値段なのに損した気分になる、という話を聞いていたけど、今日見たキャベツは、人の頭部を殴るのにちょうどいい石みたいなサイズで、中身がみっしりしていて、おぉ、これぞキャベツ、それぞキャベツ(これに「ぞ」は付くが、それに「ぞ」は付くのかな。指示代名詞+助詞という構造は同じだけど)の様相を呈していた。春キャベツは耳にした事があるけれど、夏キャベツ秋キャベツ冬キャベツは聞いた事がなくて、もしかすると世の中にはあるのかもしれないが私は聞いた事がない、少なくとも、春キャベツでなくなったという事は、春の次のシーズンに移ったという事になるだろう。日本には四季があると言うが、四季のそれぞれの境界、あわい(「間」で「あわい」と読める事を今タイプして初めて知った)に対して、固有名詞的なそれがあるわけではないので、もう春は終わったな、そろそろ夏かな、夏の足音が聞こえてくるなという気配だけでそこを表現し、もう夏だなと言って忘れるわけだ。暦がそうなっているだけで、どこかの会社のカレンダーでは、夏・前Q1期、夏・後Q2期みたいな区分を設けているところもあるのかもしれない。しかし、それだと、夏・前Q1期という無骨で何の面白みもない言葉が季語になりうるわけで、これが詠み込まれた俳句なり何なりに風情を感じるのは、よほど鈍感か、よほど想像力が自壊するほど逞しくなければ難しかろうて。すると、やっぱり、季節は四季ぐらい、適当でふわっとした切り分け方でいいのかもしれないな。夏と秋の中間点をこの辺としたら、まあだいたいこの辺です、この辺。春っていうヤマを越えると、次の夏っていう峠が見えてきますよね、道が蛇行してるとたまに。こういう、もにょっとした感じの。早めに身辺を片付けてしまったので、夕方にしてやりたい事がなくなってしまった。やらなければならない事はあるが、まあ、あれは明日でよかろう。冷蔵庫の中でじっとしているじゃがいもの身の振り方を考えてやるのがよいか。じゃがいもってどうすればいいんだろうか。一人暮らしを始めて、本当に一人っきりになった最初の日に作った料理は、今でも覚えている。じゃがいもを炒めれば食えるだろうと思って、ごんぶとに切ったものをびちゃびちゃの油で炒めて、火加減がよく分からず表面が焦げてどうしようもなくなった、フライドポテトでも揚げ芋でもない何か。じょりっとした、でんぷん質の味だった。